お金の本質   索引  

                    

 第1回 もう一つの側面を探る
    (世界戦略情報「みち」平成20年(2668)5月1日第271号)

 書店の金融経済関係のコーナーには、いつも大勢の人々が集まる。
 これは八〇年代以降加速化する金融経済情勢の変化に対する人々の関心とニーズの高さを反映するものだ。
 それはまた、国内外で激化する金融市場の動きに飲み込まれ生活が脅かされる事態となった人々の増大する不安の象徴でもある。
海外では、一九八七年にいわゆるブラックマンデーが発生した。ニューヨーク株式市場で株価が暴落し、世界各国の金融市場にその影響が波及した。
 九〇年代には、アジア通貨危機が起きた。経済的混乱はアジア地域に留まらず、ロシア財政危機、ブラジル危機へと連鎖していった。
 一連の通貨危機では、ジョージ・ソロスをはじめとするヘッジファンドの功罪が大きな論争を巻き起こした。
 最近では、サブプライムローン問題に端を発した金融危機が株式、為替などの市場を暴落させ、世界的な経済・金融危機の契機になるのではないかと懸念されている。
 一方わが国内では、九〇年代前半のバブル崩壊を契機に長年続いた景気後退とデフレ、高水準の失業率が、人々の生活不安をかき立ててきた。
 金融機関の相次ぐ破綻、国と地方の財政危機や年金問題も、国民の将来に暗い影を投げかけている。
 最近では、ライブドア事件や村上ファンド事件といった金融犯罪が世間の注目を集めたことは記憶に新しい。
 九六年から始まった金融ビッグバン以降、自己責任原則のもと、人々は自らの個人資産を守るため資産防衛に取り組まなければならなくなった。
 書店の店頭には金融経済の解説本や時事問題の特集を組む専門誌、マネー投資のノウハウ本や、恐慌への備えを叫ぶハルマゲドン本が所狭しと並べられ、そこに多くの人々が群がる。
 これらの書籍が販売ランキング上位を占める趨勢は、お金に対する人々の関心がいかに高いかを物語っている。
 また、将来への漠然とした不安が人々をこうした書籍や実際の投資行動へと駆り立てているとも言える。
 金融市場の混乱やお金をめぐる問題が起きるたびに、専門家や評論家は拝金主義がその根底にあると指摘、批判する。
 金銭を無上のものとして崇拝する社会では、あらゆるものの価値基準をお金に置き、モノの価値だけでなく人の価値までもお金に換算して評価する異常な状況が出現した。
 ただ、こうした現象は今に始まったことではない。近年、より広範囲に拡散し、先鋭化・深刻化してきたということだ。
 お金や貨幣を悪とする価値観も大昔からあった。
 古今東西、お金にまつわる諺は数多い。お金が権力者や庶民の暮らしと密接につながっていることの証である。その中には、次のように否定的な意味を含む諺がある。
 例えば、聖書には「金銭欲は諸悪の根元」、「金持ちが神の国へ入るより、ラクダが針の目を通り抜ける方が簡単である」といった訓言がある。
 わが国では「金と塵は積もるほど汚い」、「地獄の沙汰も金次第」がお馴染みだ。
 人間の醜い欲望が生み出すお金の負の側面や悪影響を見て、人々は「お金は魔物」、「お金を稼ぐことは罪悪」と考え、これを忌避したり憎悪してきた。
 その背後に、拝金主義を鼓吹し、人々の欲望を助長する世界寡頭権力の存在がある。
 このことは、洞察力と観察眼に優れた識者や、われら『みち』執筆陣が指摘するところである。
 人々は己の欲望に身を任せ、世界寡頭権力が密かに作り上げたマネーシステム=仮想現実世界(マトリックス)の検証を怠った。
 そして、マネーシステムの受け入れと引き替えに、自らの経済主権を明け渡してしまった。
 われわれは、現代になってようやく、自らが仮想現実世界の住人であることに気付き始めた。
 ところが、拝金主義者や彼らを使嗾する者、さらにお金そのものを憎悪しマネーシステムの廃止を訴えても、何とも言いようのない違和感に襲われる。
 お金のない世界やマネーシステムの代替物を想像しようにも、イメージがなかなか思い浮かばないのだ。
 われわれはマネーシステムにあまりにも深く依存しすぎたようだ。
 この違和感はどうやら、お金が持つ魔性の側面とは違う「別の側面」から来ているらしい。
 その価値が認められる前に葬り去られはしないかという危機感から、「別の側面」はわれわれにお金の本質を問い直すことを訴えている。
 われわれはお金の本質を知っているようで、その一面しか知らない、あるいは全く知らないのかもしれない。
 お金とマネーシステムが魔物とされても長い間存在してきたのは、人智では計り知れないそれなりの理由があるのだろう。
 今回からお金がもつ「別の側面」の声に導かれるがままに、その本質を解き明かしていきたい。