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 第5回 お金の歴史 2 ── 鋳造貨幣から預証紙幣へ
            (世界戦略情報「みち」平成20年(2668)7月1日第275号)

最初の金属貨幣が登場した舞台は、紀元前六世紀頃の小アジアのリディアだったというのが定説である。
 鋳造貨幣が日常的に使用されるようになるのは国王の登場以降と言われる。
 米国の経済学者グロスクローズは、国家が保証を与えた小さな円盤の虜になったギリシアの人々を、次のように描写している。

 明るく輝く円盤は不思議な新しい紋章とさまざまな特徴的な画像で飾られ、ギリシア人にも蛮人にも強い印象を与えた。もっと現実的な問題として、国家が保証する標準的な重量の画一的な金属片が豊富に出回って、めんどうな物々交換をしなくて済むようになり、どこでも新しくめざましいチャンスが生まれた。
 あらゆる階級の人々がマネーに魅せられた。以前は自分と家族に必要なだけを生産して満足していた人たちが、工芸品や労働の産物をもって市場にでかけ、貨幣と交換するようになった。

 鋳造貨幣の時代は一八〜一九世紀にまで及び、人類史上極めて長い期間にわたって他の形態の貨幣と並存した。
 その鋳造貨幣の次に登場したのが、「預証紙幣」である。
 預証貨幣の起源には諸説あるものの、一七世紀半ばの英国のゴールドスミス(金匠)はそのひとつだ。
 いつの時代もお金は階級や貧富の差を問わず、あらゆる人々を魅了する。
 お金に日常的に接する機会が多く、お金を大量に持っている人々は、特にその傾向が強いものだ。
 鋳造貨幣の発行権を握る国王やその側近は財政資金をより多く欲するとき、必ずといってよいほど悪貨鋳造の誘惑に駆られた。
 国王は専門技術を持つ者たちに命じて悪貨を鋳造させたが、この専門家が金細工師とも呼ばれるゴールドスミスであった。
 彼らは定期的に鋳造貨幣を回収して、税金として金属を少し削り取ったり、あるいは削り取ったものに他の金属を混ぜたりして、新たに刻印して返却した。
 一方、資産家は自分で所持している金貨が盗難や強盗に遭って喪失するのではないかと不安を常に抱え、リスクを解消する手だてを探していた。
 経済学者のジョン・ガルブレイスは預金についてこう語った。
「人々は、引き出すことができるとわかっている限り、もはや引き出すことを欲しない」
『ドン・キホーテ』の作者である文豪セルバンテスも短編小説『焼餅やきのエストレマドゥーラ人』の中で、資産を持つ者たちの贅沢な悩みをこのように代弁している。
「金貨は心労をもたらすが、金貨の欠如もまた然りである。しかしながら、後者の場合は心労はある程度の金額を手にすれば軽減できるが、前者のそれは、多く持てば持つほどいっそう募るという点に違いがある」
 抜け目ないゴールドスミスは資産家のこうした不安と悩みに目をつけた。
 ゴールドスミスは鋳造貨幣の純度をチェックする最高権威であり、持ち込まれるコインの真贋の見極めには絶対の自信があった。また商売柄、彼らの家には、集めた貨幣を保管する大きな金庫があった。
 彼らは資産家から金貨を預かって自分の金庫で保管する代わりに、資産家からその保管料を徴収して預証を発行した。
 そして、資産家が必要なときに預証をゴールドスミスに渡せば貨幣を再び取り戻すことができる、という仕組みを作った。
 取引を決済する場合は、本来、預金者は預証と引き換えにゴールドスミスから金貨を受け取り、それを取引の相手方に支払わなければならない。
 ところが、人々はこの仕組みを利用するうちに、金貨同士を交換するよりも、直接預証を使って支払を済ませる方が便利で安全でもあるということに気付いた。
 ゴールドスミスには頑丈な金庫があり、ちゃんと預かってくれている……。
 人々はゴールドスミスに絶大な信用を寄せており、あえてリスクを冒してまで実物の金貨を動かす必要はないと考えたのである。
 当時の英国は名誉革命の真っ直中にあり、政治的に不安定な状況にあったことも預証で支払をする動きを後押ししたと思われる。
 ゴールドスミスにしてみれば、預かっている貴金属の状態には全く変わりなく、その所有者が変わるだけだ。
 それなら、貴金属の出し入れのような面倒で危険を伴う仕事は止め、紙に記した情報を送って、ゴールドスミスに貴金属の名義を書き換えてもらえばよいではないか……。
 この仕組みが機能していくなかで、資産家とゴールドスミスがともにそう考えたとしても無理はない。
 名義書換を依頼する紙、つまりお金(鋳造貨幣)を預けた人たちが自分に代わってお金を支払うことを依頼するゴールドスミス宛の紙は「金匠宛手形」と呼ばれた。すなわち、これが現在も支払手段として流通している小切手の原型である。(つづく)