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 第7回 お金の歴史 4 ── 預証紙幣の弊害
            (世界戦略情報「みち」平成20年(2668)8月1日第277号)

 預証紙幣がお金に新しい特徴を付加する大きな要因とは何か。
 それは「金の貸出とそれに伴う利子の獲得」および「信用創造」である。
 ゴールドスミスは自分自身でも金貨を保有していたが、そのほとんどは当面の間、支払に使う予定がなかった。
 金庫に眠ったままではもったいない。金貨を他人に貸し手数料を取れば商売になるのではないか。
 手始めに自分自身が保有する金貨を貸し出してみた。すると、商売はうまくいき、引合いも多かった。
 改めて金庫を覗いてみると、金庫には顧客から預かった金貨がぎっしりと詰まっている。
 いったん預けられた金貨が引き出されるのは、全体の一〇〜一五%程度に過ぎず、残りの八五〜九〇%は金庫に納められたままだった。
「顧客から預かった金貨は自分が保有する量をはるかに上回る。これも貸し出せば、大儲けできるじゃないか!」。
 それは、耳に心地よい甘美な悪魔のささやきだった。
 他人の金貨を無断で拝借するというのだ。これは、詐欺と横領の罪で訴えられてもおかしくない立派な犯罪行為である。
 この禁断の果実を食べた瞬間から、ゴールドスミスは犯罪者としての道をひた走ることになった。
 さすがに大胆な発想とは裏腹に、最初の行動は極めて慎重だった。貸出期間を短期に限定し、万一、貸し倒れになっても損失を十分穴埋めできる程度の量にとどめていた。
 ところが、この仕組みが機能してくると、たちまち、顧客から預かったほとんどの金貨は金庫の外部へと流出していった。
 当然だが、貸出の原資になる金貨の量が多く、また貸出の期間が長いほど、ゴールドスミスの儲けは多くなる。
 貸出には高い金利を適用した。当時、手形割引の一般的な割引料の相場は、一〇〜一五%だったが、特に政府に対する貸出では二〇〜三〇%もの高利を得ていた。彼らの笑いは止まらない。
 貸出した金貨は、そのほとんどが当座預金の形で再び自分の金庫に戻ってきた。
 だから、同じ手続きを何度も繰り返すような面倒なことはせず、貸出と同時に金貨を再び預かることにして、預証(金匠手形)を発行した。
 こうすれば、本物の金貨はずっと金庫に納めておける。また万一、最初に金貨を預けてきた顧客から突然払戻しの請求があっても、それが同時に何件も起きることは想定し難いので、何食わぬ顔をして応じることができる。
 借手がお金を借りるとしても、その際に借手が受け取るのは実物の金貨ではなく金匠手形だった。しかもそれは、金貨との兌換の裏付けのない紙切れにも等しい。
「戻ってくる確率が高い」ということと「確実に戻ってくる」こととは似て非なるものである。
 しかし、借手は本物の金貨を借り受けたかのような錯覚に陥り、すんなり受け入れてしまう。
 このようなすり替えは、貸手方であるゴールドスミスの信用が高い(と思わせている)からこそ可能なのだ。
こうなると、ゴールドスミスには怖いものはなく、やりたい放題になる。
 彼らのなかには、自他保有分の金の二〇倍もの金匠手形を振り出した者がいたという。
 こうした方法で在庫の金貨すべてを払戻し用の原資にすれば、その数倍から数十倍もの金匠手形を作り出すことができる。
 この金匠手形がお金になると、お金がお金を生む、あるいはお金が何倍にも化ける。
 本物の金の裏付けは発行したお金のほんの数分の一から数十分の一に過ぎない。それ以外のお金はただの「紙切れ」だが、それがお金として堂々と実際の商取引に使われる。
 金貨の量は最初の預金者から預かった分だけで、まったく増えていないにもかかわらずだ。
 ほとんどコストが要らず高い利子がとれるこんなに「おいしい商売」ができるなら、金の貸出を本業とするのに何のためらいがあろうか。
 たくさん儲けるためには、より多くの金を集めればよい。
 預金者から手数料を取るのではなく、逆に利子を与えて金をゴールドスミスに預けさせるよう誘導した。借手から受け取る利子に比べれば、預金者に支払う利子はずっと少なくて済む。
 金の保有者を幻惑させ、自らの資産を自らの意思で喜んでゴールドスミスに明け渡させる。
 そして、他人の褌で相撲をとって、濡手で粟のボロ儲けをするのだ。
 この巧妙な手法を、金融経済学上の専門用語で「信用創造」という。
「金の貸出とそれに伴う利子の獲得」と「信用創造」はお金の歴史において、一つの大きな分岐点となった。
 つまり、お金の価値貯蔵手段としての機能に一定の歯止めをかけてきた良心と自制心をかなぐり捨てて、欲望の肥大化とその実現を野放しにする契機となったのである。  (つづく)