お金の本質   索引  

                    

 第8回 お金の歴史 5 ── 中央銀行の創設
           (世界戦略情報「みち」平成20年(2668)9月1日第278号)

 商工業などの産業が発展すると、お金に対する需要は増大した。
 これに伴い、お金の流通量も爆発的に増加し、お金が市場に出回る速度は急激に加速しつつあった。
 近代科学が急激に進展し産業の発展を促すと、当時はまだ黎明期だった資本主義の制度的基盤は少しずつ固まっていき、金融の技術革新も目覚ましい進歩をとげた。
 やがて銀行業が発展すると、小切手や銀行券の形をとって産業発達の媒介的役割を強めていくようになった。
 前回まで採りあげて注目した英国のゴールドスミス(金匠)は、その典型的な一例である。彼らが発行した金匠宛手形や金匠手形は銀行券の原型だった。
 西欧諸国では資本主義の発展とともに、多くの銀行が誕生した。
 どの銀行も預証として銀行券を発行するようになり、それは次第にお金として共同体のなかで受け入れられていった。
 こうして銀行が発行する預証がお金に変わっていくと、ひとつの問題が浮き上がってくる。
 これまでのように国家がお金をコントロールすることができなくなったのである。
 そこで、政府と銀行の間でひとつの取引がなされた。
 銀行は政府がお金を必要とする時は必ず供給する一方、銀行がお金を発行して管理する権利を得るというものだった。
 こうして一九世紀後半から銀行券は中央銀行のみが発券するという制度が誕生し、世界各国へ広まっていくことになる。
 預証紙幣の歴史の終着点この、この中央銀行制度なのだ。
 現存する中央銀行のなかで最古の歴史を有するのは、一六六八年に設立されたスウェーデン国立銀行である。
 だが、今日みられるような典型的な中央銀行制度の確立過程において最大の貢献をしたのは、一六九四年に設立されたイングランド銀行であった。
 イングランド銀行はロンドンの商人たちによって民間の大銀行として設立された。
 当初は銀行券発行についての独占権を有していなかった。
 だが、その後次第に銀行券発行に関する独占的地位を強化するとともに、国内金融業の発達の過程でその中核的存在へと成長し、今日一般に見られるような中央銀行制度の嚆矢となった。
 イングランド銀行は一八四四年に、ピール銀行法によって銀行券の独占権を認められた。
 他の欧州諸国でも一九世紀に入ると、通貨価値の安定化や金融組織の整備などを目的として続々と中央銀行が設立される。
 一八〇〇年フランス銀行、一八一四年にオランダ中央銀行、一八五〇年にベルギー国立銀行が設立された。
 一八七六年には、ドイツでライヒスバンクが、イタリアでは一八九三年にイタリア銀行が、スイスで一九〇五年にスイス国立銀行が設立されるなど、一九世紀末までにほとんどの欧州主要国で中央銀行が誕生した。
 日本でも、一八八二年に日本銀行が設立され、米国では、連邦準備制度が一九一三年に設立された。
 中央銀行の特徴はまず何といっても、国家から銀行券発行の独占権を与えられている点だ。
 また、その銀行券は法定貨幣(法貨)の規定を賦与されることにより、高い流動性を持つことになった。
 中央銀行が発行する銀行券が世の中に出回っても、実際には金または銀の鋳造貨幣や、その他金属の補助鋳貨も並んで使用される。
 中央銀行制度においては、貴金属は鋳造貨幣や地金銀のかたちで兌換準備として中央銀行に集中される。
 普段は銀行券の保有者から銀行券と引き換えに金貨や銀貨の返還を求められることはないが、もしなされた場合に備えて一定量の鋳造貨幣や地金銀を保有しておく必要があるからだ。
 英国のゴールドスミスのような悪賢い智恵者は、信用創造の仕組みを編み出し、それを巧妙に利用した。
 銀行券という預証紙幣はその賜物である。
 各銀行が有していた銀行券発行権は、やがて国家に召し上げられて、国家の専有物となった。
 中央銀行券がもたらす影響はひとつの共同体からより広範な地域社会へ、そして国家へと、その規模を大幅に拡張した。
 確かに中央銀行券の誕生は人間社会のお金の不足を最終的に解決し、経済を貴金属の軛から解き放って飛躍させることを可能にした。
 しかし同時に、人間の欲望を過度に刺激して際限なく膨張させ、自然破壊と人心の荒廃をもたらした。
 どちらの機能を有効に活用するのか、人類にはその選択の自由があった。
 しかし、お金の神様の甘く危険な囁きに心を奪われた結果で、後者の機能を自由自在に操る者たちに自らの経済主権を明け渡してしまっっている。
 このことに気付いている人々は、今だにほとんどいない。 (つづく)