お金の本質   索引  

                    

 第12回 お金の功罪 1 ── 支配者への権力移譲
            (世界戦略情報「みち」平成20年(2668)11月1日第282号)

 お金は人類にいかなる功罪をもたらしたか。お金の歴史の中で概観してきたが、項を改めて整理していこう。
 まず「功」であるが、第一に、物々交換の不便さを解消することができることである。
 お金が誕生すると、売ること(販売)と買うこと(購買)が分かれ、異なる時と場所で売買が可能になる。
 これは、金銭上の信用が成り立つことを意味している。
 何かを買う際にお金を持っていれば、自分の身元や素性を明かす必要はなく、他人に信用してもらう努力をする必要もなくなる。
 お金そのものが信用を表わす証拠となっているので、売り手は買い手が何者であるかを調べる必要がなく、お金だけを見ていれば良い。
 取引においては、匿名でいられるため、人が自立的な個人となる可能性が生まれる。
 次に、お金は取引にかかる費用を大幅に節減させることができる。
 取引相手方の信用調査の必要がなく、物々交換に伴う取引費用もかからない。
 お金は、迅速かつ匿名性を維持した取引を可能ならしめる、潤滑油としての役割を果たすことになる。
 また、お金は取引の細分化を可能にし、物々交換に比べてはるかに少ない情報量で取引が行なえるようになったため、分業の発展を促した。
 さらに、異なる場所、異なる時に誰もがお金をやりとりすることで、物々交換のときに交換者が保有する各種の財とは異なる、他の財よりも優れたモノに替えることができる。
 これらの良い点が相乗効果を生み出すことによって、お金は文明発展の強力な原動力となり、文明間の交流を活発に促進させてきた。
一方、「罪」であるが、「功」に比べて数は多く、かつその影響力はすさまじい。
第一に、人の関係がいわばお金の信用面に限定されてしまう。
 人の実質的な信用は相手の人格や立場、それまでの人間関係を勘案することなく金銭上の信用に集約される。
 つまり、人間関係を希薄化させ、金権万能の風潮を生み出し、冷酷非情な社会を出現させる土壌を生み出すのだ。
 第二に、元来物々交換の不便さを解決すべく作り出されたお金が、単なる交換手段から人々が渇望するモノを獲得する手段に悪用されてしまった。
 英国の小説家・ジャーナリストであるジェームス・ブキャンは、人がお金に対して権力を与える理由を次のように説明している。

 交換媒体という意味では「言葉」も「お金」も同じだが、お金は言葉と違って一人ひとりに全く違った意味をもつ。ある人にとって、お金はバーでの飲み代を意味するかもしれないし、またある人にとっては遊園地のジェットコースターのチケット代を意味するかもしれない。また、お金は別の人にとってはダイヤの指輪、寄付金、保釈金にもなり、そしてある人にとっては感動や安全を意味している。つまり、お金とは凍った願望なのである。……
 私たちの頭の中で毎秒何万回も繰り返される願望と想像のプロセスこそが、私たちの文明のエンジンである。(中略)なぜなら、人間の願望は無限であり、あえて言うなら想像力のみによって限られている。それは結局、無限であるということだ。

 凍った願望とは実に絶妙の喩えだ。
 人々はお金に権力を与え、そこに自分の夢や欲望をめいっぱい詰め込むのだ。
 お金が共同体内で受け入れられるに従い、あたかもお金の獲得自体が目的であるかのように錯覚されていき、やがてお金を持つ者が権力が握る状況が生まれる。
 社会権力が僧侶に握られていた頃は寺院が、王が支配していた時代には君主が、工業社会では国民国家(中央銀行)が権力を掌中に収めた。
 権力の保持者が叡智に満ちあふれた良識のある者なら問題ないが、自己中心的で強欲な者なら大きな禍となる。
 価値貯蔵手段としての機能を悪用し、お金を貯め込むだけでなく、故意に社会にお金の不足状態を作り出し、人々を支配しようとする者が現われる。強欲な者たちに支配される共同体には、悲惨な運命が待っている。
 人々が具体的な信用を抽象化したお金に従属するようになると、意識するとしないにかかわらず、人々はお金に権力を授けていく。
 お金の誕生以来、大多数の人々はお金に権力を委ね、マネーシステムが何たるか分からぬまま一生を終えていった。それは、お金を悪用する仕組みを作った者や、ごく少数の覚醒者を除いて、いまも変わらない。
 かつてマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドはこう語った。

 私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうと、そんなことはどうでも良い。

 つまり、お金さえあれば世界支配は実現可能だということだ。これはハッタリでもホラ話でもない。この大言壮語を裏付けるお金の重大な「罪」が他にもある。次回以降、引き続きそれらについてじっくりと述べていきたい。
(つづく)