お金の本質   索引  

                    

 第13回 お金の功罪 2 ── 利子の驚異的破壊力
           (世界戦略情報「みち」平成20年(2668)11月15日第283号)

  お金のもつ大きな「罪」の一つに、まず利子がある。
 利子とは、「貸借した金銭などに対してある一定利率で支払われる対価」と定義することができる。
「お金の使用料プラス保険料」と言い換えることも可能だ。
 お金を貸し出せば、その間貸手はお金の使用権を放棄するので、その代償としてお金の使用料を受け取る。
 この場合に、借手の信用力、つまり返済能力が高ければ利子は少なくてもよいが、低ければ利子を多くしなければ貸手はお金を貸さないだろう。貸手は借手の信用力に応じたリスクプレミアムをお金の使用料に上乗せすることになるわけだ。
 利子に対する批判は、お金をめぐる金融犯罪や不幸な事件や社会問題等が発生するたびにわき起こり、論争の的になってきた。
 近代的な銀行業が発展した近代から利子に対する批判は高まったと思われているが、実はそうではない。
 利子に対する批判は、意外なことに大昔にまで遡る。
 紀元前四世紀に活躍した古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、著書『政治学』の中で「貨幣が貨幣を生むことは自然に反している」と述べて、利子に反対している。
 さらに千年以上遡る紀元前一八世紀のバビロニア王国で制定された最初の法典集ハンムラビ法典には、利子の上限を定めるという記述がある。
ハンムラビ法典ではアリストテレスのようにはっきりと利子を批判しているわけではないが、利子に対する規制を行なわなければならないほど、社会問題化していたことが窺える。
 イスラム教などの宗教も利子は悪と断罪する。かつてはキリスト教も、旧約聖書の規定に基づいて有利子金融を禁じていた。
これは利息を労働なくして得る所得、すなわち不労所得として卑しんだからである。
 利子を取ることでお金にお金を生ませ、神によって定められた自然の掟を無視し、少しも休むことなく金銭によって儲けることは、「自然に逆らう」罪であるとされていた。
旧約聖書には「あなたのところにいる貧しい者に金を貸すなら(中略)利息を取ってはならない」(出エジプト記二二章二五節)、あるいは「金銭の利息であれ、食物の利息であれ、すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならない」(申命記二三章一九節)と記されている。
 ローマ教皇庁は有利子金融を不当なものとして排除してきたが、一三世紀になると、税金や給料を払うための「補償金」という名目で事実上これを認める。
 それ以降、高利貸は両替商に生まれ変わり、表舞台で堂々と有利子金融を展開していった。その大多数はユダヤ人であった。
 欧州のキリスト教社会では、ユダヤ教徒はイエスを十字架にかけて殺した罪人として迫害されていた。
 彼らはほとんどの職業に就くことを禁じられた。
 そんな中で唯一許された職業が、キリスト教徒から忌み嫌われた利子を取り扱う高利貸(質屋)や金塊の保管人、両替商(貿易決済業)などの金融業であった。
 ユダヤ人はタルムードや旧約聖書の「外国人からは利息を取っても良い」(申命記二三章二〇節)とする定めを根拠に、異教徒から利子を取ることに何の痛痒も感じなかった。
 シェイクスピア『ヴェニスの商人』に登場する有名な「ユダヤの金貸し」(両替商)シャイロックはこのような時代背景の中で誕生した。
 金融の世界では、利子の計算に複利が用いられることが多い。
 複利とは複利法によって計算された利子のことであり、重利とも呼ばれる。利子を元金に組み入れる方式で、利子に利子が付いていく。
 利子を元本に組み入れることにより、元本を増やすことで次に受け取る利子が増えて、雪だるま式に利子が増えていくことになる。
 例えば、複利一〇%が生み出す百万円の利子はいくらになるか。
 五年後には約〇・六倍の六一万円だが、二〇年後には約五・七倍の五七三万円、五〇年後には何と!、約一一六倍の一一六四〇万円にまで膨らむ。
 複利でお金を運用する場合には運用期間が長ければ長いほど資産が急増するので笑いが止まらない。
 ところが、借金する場合はその逆で、債務はたちまち膨張し、返済金の山に押し潰されてしまう。
 初めは小波(さざなみ)のごとくひっそりと忍び寄って人々を油断させるが、時間が経つにつれ巨大な津波に変貌して人々に襲いかかる。
 気がついた時にはすでに遅く、万事休す。人々は絶望と破滅のどん底へと追いやられる。
 利子が蛇蝎のごとく忌み嫌われてきたのは、利子がこのように驚異的な破壊力を秘めていることを昔から人々はよく知っていたからだ。(つづく)