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 第5回 「大麻規制史 下」
  
(世界戦略情報「みち」平成23年(皇紀2671)6月1日第339号)

●現在、日本では「大麻取締法」によって大麻の取扱いが厳しく規制されている。大麻は麻薬や覚醒剤といった薬理作用のある他の禁制物質と同様、目の敵にされている。
 だが、「大麻取締法」が成立するまで、大麻を罪悪視する風潮は無かった。むしろ、国は大麻を優良な農作物と位置づけ、生産の奨励までしていた。
 大麻に対する姿勢が百八十度反転した分岐点は、この法律の制定である。そこに至るまでには様々な葛藤や抵抗があったものの、時代の流れと巨大な権力の前には為す術もなかった。
 それでは、「大麻取締法」制定に至るまでの過程を概観してみよう。
●わが国における大麻の生産は、遙か縄文時代にまで遡る。大東亜戦争終戦までは稲と並ぶ重要な作物として全国各地で栽培されていた。
 大麻の繊維は衣料品の他、下駄の鼻緒の芯や畳の縦糸、蚊帳や漁網、軍服やロープといった様々な軍需物資などに加工された。繊維を剥いだ後のおがらは、お盆の迎え火や送り火として燃やしたり、茅葺屋根の一部や素材にも利用された。
 種子である麻の実は粟や稗などと並ぶ貴重な食糧であり、絞った油は灯油や食用などにも供された。
 喘息の薬として「印度大麻煙草」と称され、一般の薬局でも市販されるなど、大麻は薬品としても庶民の暮らしのなかに深く浸透していた。
●しかし、二〇世紀に入ると米国発の大麻規制の風潮が世界中に拡散し、わが国もその余波を受けることになる。
 その第一波が「万国アヘン条約」中の「第二アヘン会議条約」である。この条約によって、大麻は初めて世界的に統制の対象となった。
 一九三〇年、わが国は第二アヘン会議条約を批准し、「麻薬取締規則」を制定する止むなきに至る。既に世界の一等国となっていた日本は、世界的な大麻規制の流れから一人逸脱するわけにいかなかったのである。
「麻薬取締規則」では、「印度大麻草、その樹脂、及びそれらを含有するもの」の輸出が内務大臣の許可制とされた。一方、製造は届出制とされ、販売は以前と同様に自由であった。
 日本には古来より、一般的に大麻を吸引する文化はない。虫除けのために葉を燃やして屋内を燻したり、きこりや麻農家の人々がタバコの代用品として使用することはあった。また、一部の山岳信仰や密教の中で精神変容のために吸引されていたが、これらは例外といってよいほど特殊なケースだ。
 大麻の使用に際しては、その用途の如何を問わず、人々には法律で取り締まられるような犯罪意識は全くなく、吸引に起因する事件も皆無だった。
 長い歴史のなかで培われ発展してきた大麻文化は、人々の暮らしに余りにも深く密着し、もはや切っても切り離せない存在であった。
 政治家や官僚はそうした大麻の重要性を熟知していた。彼らはここで一計を案じる強かさを発揮する。
 日本政府は、第二次アヘン会議条約が規制している大麻はわが国の大麻とは異なる種類の「印度大麻」である、と定義したのだ。
 実は、第二アヘン会議条約の公定訳では、原文の「Indian Hemp」を「印度大麻」と訳している。
 さらに、「印度大麻とは商業上如何なる名称を以て指示せらるるを問はず、大麻(カンナビス・サティバ・エル)の雌草の乾燥したる、花又は果実の附く枝端にして未だ樹脂を抽出せざるものを言う」と明記している。
 ところが、日本政府は日本の大麻がカンナビス・サティバ・エルであることを承知のうえで、故意に知らないふりをして、あえてこれを無視した。
 第二アヘン会議条約は批准こそしたものの、これを基に制定する麻薬取締規則は国内法なので、米国が介入する余地はない。「第二アヘン会議条約は印度大麻草などの医療用大麻を規制する条約」であるとして、米国の攻勢を巧みにかわしたのである。
 今では隔世の感があるが、当時の政治家や官僚には、こうして第二アヘン会議条約を実質的に骨抜きにしてしまうだけの智慧と機転があった。
●だが、大麻規制の第二波は巨大な津波となって押し寄せ、わが国の大麻文化を根こそぎ破壊することになる。
 一九四五年八月に受諾されたポツダム宣言により、連合国最高司令官の名でGHQ(連合国最高司令官総司令部)から出される覚書(メモランダム)に基づいて命令が下され、各分野で罰則も伴う原則が定められていった。いわゆる「ポツダム勅令」である。
 この中で大麻規制と関連して注目すべきは、同年一一月二四日の「麻薬原料植物の栽培、麻薬の製造、輸出及び輸入等禁止に関する件」なる勅令だ。
 当時の厚生省が発令したこの省令は、麻薬の原料となる植物の栽培、麻薬の製造と輸出入を禁じた。これらの原料となる可能性のある植物から種子、化合物に至るまであらゆるものを規制対象としている。違反者は三年以下の懲役もしくは禁固、五千円以下の罰則に処されるという内容だ。
 興味深いことに、この省令は麻薬をアヘン、コカイン、モルヒネ、ヂアセチルモルヒネ、「印度大麻」と定義し、大麻を「印度大麻草」に限定している。
 同年一〇月一二日に発行されたGHQのH・W・アレン大佐名の覚書「日本における麻薬の生産及記録の統制に関する件」の和訳の中でも、麻薬とはアヘン、コカイン、モルヒネ、ヘロイン、「Marijuana(Cannabis Sativa L)」とされている。このように大麻だけがあえて英語のまま表記されている。
 ここに日本政府の微力ながらも毅然とした抵抗の意志が窺い知れる。
 米国の規制案は当然、大麻産業に従事する農家や県の役人にも大きな衝撃を与え、抗議へと立ち上がらせた。
 当時の林修三内閣法制局長は、その衝撃を次のように回想している。
「終戦後、わが国が占領下に置かれている当時、占領軍当局の指示で、大麻の栽培を制限するための法律を作れといわれたときは、私どもは、正直のところ異様な感じを受けたのである。先方は、黒人の兵隊などが大麻から作った麻薬を好むので、ということであったが、私どもは、なにかのまちがいではないかとすら思ったものである。大麻の『麻』と麻薬の『麻』がたまたま同じ字なのでまちがえられたのかも知れないなどというじょうだんまで飛ばしていたのである」(「大麻取締法と法令整理」、『時の法令』昭和四〇年四月、通号五三〇号所収)
●これに対し、GHQ側は一九四五年一〇月一二日のアレン大佐名の覚書を徹底遂行せよと日本政府に強要した。
 しかし、日本側の抵抗が功を奏したのか、一九四六年一一月二二日に発出された覚書「日本に於ける大麻の栽培の申請に関する件」では申請により栽培が可能とされ、全面禁止という最悪の事態は免れることとなった。
 一九四七年二月一一日には「繊維を採取する目的による大麻の栽培に関する件」という覚書が出される。
 この中では登録や栽培管理、収穫報告などの煩雑な手続きに加え、栽培地域や面積、就労人口にわたる厳格な規定が設けられた。
 栽培面積は日本全体で五千ヘクタール以内、栽培地区は青森、岩手、福島、栃木、群馬、新潟、長野、島根、広島、熊本、大分、宮崎の一二県、就労人口は総計三万人以内に限定された。
 同時に、大麻製の薬品は医療目的も含めて、その利用が著しく制限された。
 一九四七年四月二三日、それまでのGHQの指令に基づく国内規定を整備する「大麻取締規則」が発布される。続いて、これに依拠する「大麻取締法」が両院の厚生委員会並びに衆参両院本会議で可決され、ついに翌年七月一〇日に施行された。
 通常、法律にはその制定目的や趣旨が謳われている。だが、大麻取締法にはその制定目的が記されていない。ここには、GHQに強制的に作らされたという無言の抵抗が秘められている。
 このように、大麻取締法も日本国憲法同様、GHQ側の圧力に押し切られて制定された代物なのである。
 しかし、同時にその一方では、日本側の抵抗が中途半端だったために招いた結末であることも否めない。
 そして、過剰な自己検閲と大麻の重要性に対する認識不足が、その後に訪れる失地回復の絶好の機会を逃したことも、また事実なのである。
●一九五〇年、占領法制の再検討と戦後の新体制にかかる議論が国会で執り行われた。
 この際、大麻取締法に関しても、大麻生産農家や関係者からの強い見直し要請を受けて、衆議院厚生委員会で麻薬取締法と大麻生産のあり方を巡る議論が展開された。
 ところが、論点は日本における大麻生産の歴史、戦時中に大麻栽培を奨励した軍部の方針との整合性などに絞られていた。
 大麻が持つとされる薬理作用の有無、厳格な罰則規定の対象とするに値するだけの害毒の有無についての検証といった本質的な議論は一切ない。「進駐軍の指令は前後のつじつまが合っているか」が唯一の論点だった。
 議論の末、大麻取締法は一九五三年に改正されたが、大麻の定義が「大麻草及びその製品」と改められ、種子を規制対象外とするに止まった。
 逆に、一九六三年の改正では罰則の法定刑が引き上げられ、一九九〇年には栽培・輸入・輸出・譲渡し・譲受け・所持等についての営利犯加重処罰の規定、及び未遂罪、栽培・輸入・輸出についての予備罪及び資金等提供罪、周旋罪が新設された。
 さらに、一九九三年の改正において、資金等提供罪の処罰範囲の拡大、大麻の運搬の用に供した車両等への没収範囲の拡大、国外犯処罰規定の新設等が行われた。
 制定から十数回行われた改正では、このようにむしろ日本人自らが積極的に主導して改悪に次ぐ改悪を重ね、取締をより厳格化している。
 他人が勝手に決めたルールの妥当性を一度も検証せず、愚直にこれを墨守して、違反者を血祭りに上げる。魔女狩りにも似た狂気の沙汰は、いまや日常を彩るお馴染みの光景となり、いよいよその猛威を逞しくしている。
 現代日本の大麻規制厳格化の歴史は、原理主義的な偽善的正義感と過剰な自己検閲、免疫力の減退と思考停止が招く他人依存、そしてこの為体を恥とも思わぬ奴隷根性が重症化してきた軌跡でもある。