深層潮流  

                




   平壌のオモニに関する一考察 
      (世界戦略情報「みち」皇紀2672(平成24)年3月1日第355号)

●一月八日、北朝鮮の朝鮮中央テレビが放映した金正日総書記の後継者、金正恩氏の記録映画で、正恩が自身の母親に触れた一言が紹介された。北朝鮮メディアが正恩の母親に言及したのは初めてである。
 ラヂオプレス(RP)によると、女性ナレーターが「敬愛する金正恩同志はおっしゃいました」として「現地指導の道から帰らない将軍(金正日)を、お母様とともに夜通し待ったこともありました」と続けた。
続いて二月一三日、北朝鮮の朝鮮労働党機関紙『労働新聞』が、正恩の母親を「平壌のオモニム(お母様)」と表現した。
 わが国のメディアは一連の報道を紹介するなかで、一般的に正恩の母親とされる「高英姫」の偶像化を進める狙いがあるとの憶測記事を掲載した。
 産経新聞は高英姫の出自とその家庭環境について、これまでの通説を覆す記事を大々的に報じた。同紙は、彼女の父親は旧日本軍の協力者だった上、女性遍歴から兄弟姉妹が十数人いるなどの複雑な家庭環境にあったとしている。さらに、新たに判明した彼女の負の出自が「革命の血統」を揺るがす虞もあり、国母としての偶像化に打撃を与えると論評している(二月一五日)。
 同紙の報道内容は韓国筋の情報を元にしており、今後、北朝鮮で進むであろう「国母偶像化」の過程で、不都合な真実はどのように塗り替えられていくのかと疑問視している。しかし、この疑問は、韓国の複雑な思いと思惑を反映しただけの内容である。
 韓国の思惑、諜報戦攻勢を折込み済みの朝鮮中央テレビや労働新聞は、自信と余裕を持って、「オモニム」の具体的な名前については一切言及していない。むしろ注目すべきは、一月八日は単に「オモニム」であったが、二月一三日は正恩の母親を「平壌のオモニム」と表現していることにある。
「平壌のオモニム」表現を公的に打ち出した背景には、金正恩体制の発足に伴い、北朝鮮の国体は朝鮮労働党一党独裁支配体制から、平壌を都と定めた万世一系の金氏朝鮮王朝体制に移行するとの意が込められている。同時に、「平壌のオモニム」を強調するのは、金氏朝鮮創建に貢献する偉大な国母陛下の存在を近い将来、内外に明らかにするためでもある。
 徳川幕藩体制は、家光が三代目将軍に就任したことで長期安定政権への礎が築かれた。その最大の後見人は、家光の乳母・春日局であった。金王朝創建の後見勢力は、「平壌のオモニム」を春日局に見立てており、日本史に精通した日本人ならではの叡智が色濃く反映されている。

●北当局は正恩体制発足直後、朝鮮総連に対して、今後、「高英姫」に関しての報道、論評を厳禁する旨を通達している。「高英姫」の名前を封じるということは、尊崇されるべき正恩の母親は「高英姫」ではない、ということを暗示している。
 その伏線は、すでに二年前、正恩が軍事パレード謁見で内外にデビューした直後に行なわれていた。
 過去のジョンウンの漢字表記は「正雲」で、彼の母親は高英姫である。しかし、北当局は、正恩後継体制の構築を急速に進める過程で、彼の表記を正雲からジョンウンとカタカナ表記に改めていた。
 ジョンウンが金王朝の三代目後継者として内外にお披露目された直後、韓国や支那は、ジョンウンの漢字表記は「正銀」だと公表した。しかし、北当局は、朝鮮総連を通じて、正式な漢字表記は「正恩」だと通達し、その後は「正恩」が一般的に使われている。
「正雲」「正銀」「正恩」のハングル表記を精査してみれば、「正銀」と「正恩」は同じ表記だが、「正雲」とは微妙な違いがある。すなわち、北当局が漢字表記を認めた時点で、「正恩」の母親は高英姫ではないことを認めたも同然であった。さらに、正銀ではなく正恩だと、内外に通達したのは、「恩」という漢字表記に特別の思いを込めてのことである。
「平壌のオモニム」表現には、その特別な思い入れを何時かは公にしたいとの意味が込められている。その思い入れの意味合いを具体的に示唆するため、飯山一郎氏の著書『横田めぐみさんと金正恩』が著者の意向を無視して緊急出版された。
北当局から高英姫に関する報道、論評の全面禁止を通告された朝鮮総連内部に一種の衝撃が走っている。「もはや、われわれ(朝鮮総連)はご用済みだと平壌から切り捨てられたのでは」との衝撃である。
 彼らは、日朝間での国交樹立交渉が進捗するなら、一定の存在感を発揮して、それなりに貢献したいとの思惑を強く抱いている。同時に、北大使館業務の一部を彼らの手中に収め、ある種の特権を確保したいとの野望も秘めている。しかし、その野望が挫かれたとの挫折感が日増しに強まって韓国籍に切り替える人士が急増し、民団系も彼らを積極的に支援している。
 奇しくも、二月一九日、朝鮮総連の徐萬述中央常任委員会議長が死去したのも、総連組織の命運が尽きたことが暗示されている。その命運を見越したように、総連関連団体は資産の売却を急いでいる。
 逆に、「平壌のオモニム」を正式に打ち上げた金王朝当局は、対日関係正常化への働きかけを急ぐかのように、様々な動きを見せ始めている。
 二〇〇八年四月、民族派運動組織・一水会の木村三浩代表と鈴木邦男顧問が訪朝し、戦時中に北朝鮮で亡くなった日本人の遺骨の収集と返還などを要求し、北朝鮮側は調査して回答する姿勢を示した。だが、その後は音信不通であった。しかし、本年の二月中旬、平壌筋は一水会に対して、彼らが申し入れていた日本人の遺骨収集団を受け入れると通告してきた。
 同時に、わが国の外務省にも同様の通告を行ない、民間団体の運動に日本政府も一枚噛んでみたら如何かとの謎を投げかけてきた。そして、荒れ放題に放置していた日本人墓地の整備改修を手がけているとの噂もある。
北朝鮮に日本人の遺骨収集団が正式に派遣され、北当局の丁重な墓地整備が公になれば、わが国の対北認識が大きく変わる可能性が高い。同時に、恥も外聞も捨て去って従軍慰安婦像を建立して反日感情を煽る韓国とは違う、北朝鮮の日本に対する対応に感激する現象すらわき起こる可能性もある。
また、北側は、特定の日本人に働きかけて、米の援助を働きかけている。
その日本人とは梨本隆夫氏である。彼は旧梨本宮家の第六代祭祀継承者。梨本徳彦氏の養子で、一般財団法人「梨本宮記念財団」の代表理事のほか、宗教団体「出羽三山」第一七代教主を務めている。
北当局が梨本氏に的を絞って米支援を要請したのは、梨本宮家と大韓民国の歴史的な因縁を日本国民に覚醒させたいとの思惑を秘めてである。その因縁とは、元皇族である梨本宮家に生まれ、ご本人の意志とは無関係に旧大韓帝国の李垠皇太子に嫁ぎ、数奇な運命に翻弄されて生涯を閉じた方子妃の足跡である。
 方子妃は戦後は日本への帰国を余儀なくされ、在日韓国人としての夫君を支えてきた。しかし、夫君の韓国への想いは断ちがたく帰国を嘆願したが、当時の李承晩大統領に帰国を妨げられた。李承晩退陣後の一九六三年(昭和三八)、朴正煕大統領の計らいで夫妻はようやく帰国を果たした。夫妻の生活費は韓国政府から支出されて昌徳宮内に住まうこととなったが、一九七〇年、方子妃は李垠と死別した。
韓国に帰化した方子妃は亡夫の遺志を引き継ぎ、当時の韓国ではまだ進んでいなかった障害児教育に取り組んだ。また、終戦後の混乱期に韓国に残留したり、急遽韓国に渡った、さまざまな事情を抱えた日本人妻たちの集まり、在韓日本人婦人会「芙蓉会」の初代名誉会長を勤めた。度々来日し昭和天皇や香淳皇后を始めとする皇族とも会う機会があった。平成元年(一九八九)四月三〇日逝去、享年八七歳。
北当局が方子妃の実家を受け継いでいる当主に積極的に働きかけているのは「平壌のオモニム」に方子妃の足跡を重ねて、日本と朝鮮半島にまつわる過去の歴史を想起させたいからである。なぜなら、「平壌のオモニム」は日本人なのだから。

●北朝鮮による日本人拉致事件、特に幼少の横田めぐみさん拉致というくさびは、日朝隔絶のために機能してきた。拉致事件が日朝交渉の最重要課題になることによって、日朝間は半永久的に交渉不能な状態が続いてきた。これを打開するためには、拉致問題の位相を劇的に変える必要がある。
北当局が朝鮮総連に高英姫の報道、論評の厳禁を通達して総連側の受け入れを確認したうえで、「平壌のオモニム」を大々的に唱え始めたのは、その「オモニム」が横田めぐみさんである可能性を日本人に知らせるためである。
 横田めぐみさんが、ついにその姿を現わしたとき、世界史を揺るがすほどの、日本と北朝鮮と、「新河豚計画」を推進したい一部ユダヤ勢力をも巻き込んだ地殻大変動が東亜に起きるだろう。それは失われたものが復活し、死者が墓場から蘇るような事態である。米朝協議の再開はその前哨戦である。
 二月二三〜二四日、北朝鮮の核問題をめぐる米朝高官協議が北京市内で約四ヶ月ぶりに再開された。協議終了後に米側は「真摯な話し合いができた」とだけ語っている。
 米中協議再開に併せて米財務省は、指定暴力団山口組の司忍六代目組長とナンバー2の弘道会会長高山清司被告を金融制裁の対象に指定した。
米側は六代目山口組を日朝間の密輸取引における最大の仲介組織と認定、その力を削ぐことを北側に徹底させるため、あえて現実性のない金融制裁を科すことを決め米朝協議に臨んだ。
 事実、六代目山口組は日朝貿易仲介の実績を積み重ねている。米側は朝鮮総連に代わり山口組が北朝鮮の裏権益代理人になる可能性を封印するため、彼らを排除することを北側に迫った。同時に、山口組の切り捨てには日本人拉致問題の真相(米国の関与)暴露を北側に封印させるためのダメ押し、という意味も託されている。

平成二四年二月二五日識