小沢裁判に関する一考察 
   (世界戦略情報「みち」皇紀2672(平成24)年5月15日第360号)

●政治団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件は、「秘書公判」と強制起訴された「本人公判」を合わせ、法廷で何百時間もの審議が尽くされ、それを報道するテレビの報道時間、新聞雑誌の特集記事は、他を圧する膨大な量となっている。
 政治家の犯罪報道で、これに類するだけの時間をかけたのは、ロッキード事件における田中角栄元首相の受託収賄と、金丸信元自民党副総裁の巨額脱税事件だけであろう。
 小沢一郎元民主党代表は、角栄、金丸の両人を「おやじ」と呼んで親しみ、また二人も実子同然に可愛がり、その後ろ盾で政界きっての実力者になった。検察が、小沢を執拗なまでに標的とした背景には、「角栄、金丸的な遺伝子を継ぐ小沢を政界から放逐させる」という強い意図が秘められていた、と考えて間違いないだろう。
 小沢は政党政治の表裏に通じた「政治のプロ」で、「政局」を操ることのできる数少ない大物政治家である。検察は、「おやじ」に対する怨念から、検察を快く思っていない小沢が、いつか自分たちに牙をむくのではないかとの危惧を抱いていた。小沢が民主党代表として首相の座に就くことが確実視された時、検察の一部幹部は、「政治主導」で検察の弱体化を狙うのが確実だった小沢の躍進を看過することはできなかった。

●角栄は五億円の受託収賄を問われ、金丸は一〇〇億円に達しようかという「たまり」を問われた。それに対して小沢は、〇四年の政治資金収支報告書に記載すべき四億円を、〇五年に記載した秘書の「期ズレ」を、「認識していたかどうか」という、事件化することに何の意味があるのかといった範疇の微罪だった。
 自己の都合で捜査を始めた検察は、一時、西松建設事件で暗礁に乗り上げたが、振り上げたこぶしを下ろすに下ろせなくなりマスコミに頼った。ことに、「反小沢」を鮮明にしていた渡邊恒雄主筆の『読売新聞』に、「秘書宅問題」を書かせて事件を再燃させた。
 ロッキード事件の口火を切ったのは、文藝春秋の「田中金脈の研究」と「越山会の女王」特集である。外国人記者クラブが問題視したことでマスコミに田中疑惑の火がつき、検察は高まる世論の不信を追い風に角栄逮捕・訴追に踏み切った。今回の小沢疑惑を煽動した主流メディアは、読売新聞であった。
その後、巨大メディア読売新聞に追従するかのように、様々なジャーナリストらが「小沢攻撃」に走り、政治の混迷に輪をかけた。だが、四月二六日の無罪判決で、ようやく一区切りがついた。しかし、小沢無罪が確定した翌週の週刊誌に、小沢隠し子疑惑が報じられるなど、メディア一体の小沢つぶしの勢いは衰えていない。
 マスコミが報ずべきは「四億円の認識」といった些末なことではなく、日本の政治を三年間も「小沢事件」「小沢裁判」によって遅らせたものが、検察の自己保身から始まったことへの批判ではないのか。だが、異常なまでの小沢叩きに相乗りするメディアのあり方は、結局、わが国のジャーナリズムは、「お上」と一体でなければ不安で、独自の視点で報道できないことを逆に証明したといえる。
 日本の政治を「小沢派」か「反小沢派」かに二分してきた小沢は、好悪は別にして、それだけの指導力を有する有力な政治家である。その有力者が「被告」となったことで、政治は混迷、「消費税法案も小沢判決次第」といった停滞を生んだ。
 しかも、小沢が「被告」となる要因となった「石川知裕代議士の捜査記録」が田代政弘検事の「捏造文書」であることが発覚し、強制起訴そのものの意味が問われている。さらに、一度は検察が起訴を断念した小沢を告発した検察審査会が、本当に存在したのかという疑問も投げかけられている。メディアが追求すべきは、検察の作為そのもので、政治の停滞を招いた今回の裁判自体に意味がないのではとの問いかけである。
 東京地検特捜部の前身は、第二次世界大戦後に日本の占領政策に当たった連合国軍最高司令官総司令部GHQが設立した「隠匿退蔵物資事件捜査部」である。それは、日本が本土決戦に備えて隠匿した退蔵物資を摘発するために作られた捜査機関である。
 その出自からして日本の為の機関ではなく、サンフランシスコ講和条約発効後も米国が日本を支配し続けるための機関である。
地検特捜部は検察エリートの登竜門とされ、米国留学組でなければトップに就けないとされている。穿った見方をすれば、米国御用達の買弁権力機関として、地検特捜部の人事権は米国に握られているともいえる。
 小沢裁判は角栄裁判と同様、米国の都合で起こされ、日本政府が遂行を命じられたと考えるべきである。角栄は対米従属脱却を志向してエネルギー供給源の多極化や、日中条約締結に日本自立への活路を見いだした。そのため米国に睨まれ、ロッキード事件で政治生命を絶たれたのである。
 その際、わが国の最高裁判所は、被告(収賄)側の反対尋問の権利を剥奪し、米国人の共犯者(贈賄)に免責を与えて証言させた。この決定は、独立国家を担保する三つの基本国家主権(軍の統帥権、通貨発行権、司法裁判権)の内の一つ、司法裁判権の独立性を自ら放棄したことを意味していた。
 しかし、わが国のメディアは、司法裁判権の放棄という国家主権に関わる重大な決定を一切問題視することなく、角栄醜聞を盛り上げることで地裁、高裁の有罪判決を当為と受け止める世論形成工作に徹した。だが、さすがに司法当局筋は、その愚昧さを承知していたため、最高裁は有罪判決を下すことを避け、角栄の存命中は審理を行なわず、彼の死去を受けて公訴を棄却(裁判そのものを封印)することで、司法の独立性を辛うじて保つ体裁を整えた。

●今回の小沢裁判も角栄裁判と同様に、小沢を野放しにすると日本が本格的に独立を志向し米国が間接支配権を失いかねないと危惧した、米国の都合が最優先された裁判である。だが、皮肉なことに、小沢訴追中の三年間にオバマ政権の対日戦略(対外戦略)が大幅に転換し、オフショアバランシング戦略に変わったため、無罪判決が下されたと見ることができる。
小沢裁判の判決の当日、米国の対日間接支配の手先として暗躍しているG・カーチス・コロンビア大学教授(日本政治研究者)が、有楽町の外国人記者クラブで、「小沢裁判の総括」をめぐって講演と記者会見を予定していた。有罪判決を前提にしていたはずの講演情報が事前に漏れたため、彼は逆に「CIA疑惑」を追求され、大恥をかいた。小沢無罪判決を受けて、識者が公然と「CIA疑惑」を追求したことに、日米関係にこれまでとは違った微妙な変化が生じ始めていることが象徴的に暗示されていた。
 四月一六日、石原都知事が訪米中に行なった討論会で、現日本国憲法の破棄を提唱した。その際、米側の討論者のR・ローレス元国防副次官は、「日本の憲法は確かに米軍占領時代の遺物であり、日本はそれを変える権利も自由も有している」と述べた。同じくJ・アワー元国防総省日本部長も「米国が反対することはまったくないだろう」と確言し、日本の憲法改正に今の米側には抵抗がないことを明示した。
四月二八日、自民党が憲法改正草案を発表した。サンフランシスコ講和条約発効の六〇周年記念日にタイミングを合わせての発表だった。
 自民党の動きは、石原都知事が米国は現日本国憲法の改正に前向きな姿勢を発信したことを踏まえてのことである。今後、米国と一体化した流れのなかで、日本国憲法改正を巡る論議が高まるであろう。その背景には、現憲法を改正させた方が、日米同盟(軍事同盟)の強化に役立つとする、米国の思惑が見え隠れしている。
残念ながら、わが国独自の主体的な発想ではなく、米国の思惑によって現憲法改正気運に弾みが付いている。しかし、現憲法の成立過程を踏まえれば、米国の存在を無視出来ない事情もあり、その背景を忖度しながら日本自立への一歩を踏み出す時がきたと、受け止めるべきである。

●そもそも、現日本国憲法の起草者は米国である。
 現憲法は、日本を占領する米国がGHQを使って一九四六年二月に一〇日ほどの期間で書き上げた。現憲法は米国製で、日本の安全保障は米軍によって支えられてきた。その安全保障の根幹を左右する憲法のあり方が、米国の対日政策と密接にからみ合っている現実を無視することは不可能である。
 主権国家が自国の防衛や安全保障の一部に自縄自縛の制限を課すというのは、国家主権の中枢を凍結させるに等しく、国家であって国家ではない。普通の主権国家としては重大な弱点と欠陥を抱えており、わが国は半国家として名目的な独立を果たして、半世紀以上も過ごしてきた。その背景には、日本を永久に非武装にしておくとする米国の狙いがあった。
だが、国際情勢が変わり、米国もわが国も変わり、日米関係も変わりつつある。そして今、米側では日米同盟の強化のために、日本の憲法改正をも希望するという状況となっている。特に、オバマ米政権の対外戦略の転換にともなって、米国は、わが国の半国家状態を是正する必要性に直面している。
 連邦議会の調査機関として中立性を保つ議会調査局も、二〇一〇年五月に作成した日米関係の報告書で「米国が起草した日本の憲法は、日本に集団的自衛を禁ずる第九条の現行解釈のために、日米間のより緊密な防衛協力への障害になっている」と、現憲法の不備について記している。
 奇しくも小沢裁判の無罪判決は、日米関係の変遷を象徴する一幕となった。しかし、検察役の指定弁護士が控訴を決めたため、第二幕が開幕することになる。控訴審が続く期間、小沢の政治家活動にはある歯止めがかかることになる。控訴決定の背後に米国筋の影響が見え隠れしている。その背景には、米国の国権支配をめぐる選良層内部に、熾烈な確執が生じている複雑な内政事情が暗示されている。
平成二四年五月一〇日識