尖閣紛争激化への一考察 
   (世界戦略情報「みち」皇紀2672(平成24)年10月15日第369号)

●九月一一日、わが国政府が尖閣諸島の土地を買い上げて国有化する方針を決めた直後、支那では日本を非難するデモが各地で行なわれ、「愛国無罪」を大義に日系企業が襲撃されるまでに反日気運が盛り上がっている。
 反日デモでは、毛沢東元主席の肖像画が掲げられることが多かった。毛沢東の肖像画は、左派の勢いを強く印象づけることで共産党中央指導層内での権力闘争の優位性を象徴する側面もあった。だが同時に、毛沢東は「抗日」の象徴で、事実、「抗日」というスローガンも目立った。
 戦前、わが国が支那に進出し、彼らから見れば支那を半植民地化していた時代、毛沢東は、共産党軍を率いて抗日戦争を続けた。日本が日米戦争に敗れて支那から撤退した後、毛沢東はライバルの国民党軍を支那大陸から台湾に追い出し、中華人民共和国を建国した。日本を追い出して支那を植民地化から救った、というのが中国共産党の支那統治の正統性で、毛沢東や「抗日」の文字は、その象徴である。
一九九二年六月、当時の支那の最高指導者であったケ小平が、「黒い猫でも白い猫でもネズミをとる猫は良い猫だ」と、毛沢東が力を入れてきた「人民公社」の理念とは相いれない開放改革経済路線を採択した。
 それ以降、支那では高度経済成長に弾みを付けたが貧富の格差が開いて、貧困層の共産党に対する信頼が揺らいでいる。一方、胡錦濤から習近平への一〇年に一度の権力世代交代を進めている今、支那の全土に日本敵視のデモが広がって共産党の統治正統性の再確認につながることは党の上層部にとって都合の良いことで、共産党は反日デモを統制範囲内で積極的に容認した。
 わが国のメディアは、党中央は支那国内の不満分子のガス抜きに利点を見いだして反日デモを放置したなどと報じているが、甚だしい事実誤認である。同時に、尖閣諸島に関する領土紛争の棚上げという、これまでの支那とわが国が暗黙に合意してきた枠組みを、日本側が尖閣の土地国有化によって破り支那側を怒らせたことが、中国共産党にとって好都合だった背景事情もまったく無視している。
 田中角栄内閣が日中国交正常化に踏み切った際、支那側は尖閣問題を棚上げにして論点にしないことを前提に、国交正常化交渉を行なった。しかし、角栄が周恩来首相に尖閣問題をどう考えているのかと正した際、周は「今は論ずべき課題ではなく、後世に託すべきだ」と躱した。それ以来、支那側は尖閣問題は後世に改めて決着すべき問題で、それまでは現状棚上げ路線(日本の実効支配を黙認)を継承してきた。
 日本国民には周知されていないが、小渕内閣の時、日中間で棚上げを公文化した外交文書が取り交わされた。支那は日本の尖閣実効支配を当座は容認するが、領土問題化できる余地を確保したと解釈し今日に至っている。
 尖閣周辺がエネルギーの宝庫の可能性が高くなったことを機に、支那は尖閣問題を領土問題化することを決めた。その第一弾として、海保巡視艇に支那漁船を衝突させ、同時に、日米の反応を窺う姿勢に転じた。そして、野田内閣が尖閣国有化に踏み切ったことを好機と見立てて、一気に領土問題化に踏みきってきた。米国の衰退や、東アジアにおける地政学位相変遷の必然性を読みとった動きである。
●二〇〇八年九月、リーマン・ショックでアメリカ没落の印象が世界に広まった。
 〇九年八月、日本で親米自民党が下野して親中民主党が浮上、政権交代。「私は人民解放軍の野戦軍司令官」と公言する小沢一郎が実権を握る鳩山内閣誕生。親中小鳩内閣は「金銭問題」「普天間基地問題」などで崩壊、少し米国寄りの菅内閣誕生(一〇年六月)。
 小鳩を介した間接支配をあきらめた支那は直接行動に出て、尖閣支那漁船衝突事件が勃発(一〇年九月)。支那は「レアアース禁輸」「フジタ社員拘束」など厳しい制裁措置をとる。米政府が「尖閣は日米安保の適用範囲」と断言、支那は一時撤退。
 その直後、メドベージェフ露大統領は、「北方領土訪問」の意向を示し、一一月に訪問。 さらに、▼二〇一二年四月、石原都知事がワシントンで「都が尖閣を購入する」と宣言。支那は猛反発。 ▼七月、メドベージェフ露首相、北方領土を再訪問。 ▼八月、李明博韓国大統領、竹島訪問。 ▼九月、日本政府、尖閣を国有化。支那で大規模な「反日デモ」等々の抗日気運が昂揚。 ▼九月二五日、台湾漁船・尖閣諸島周辺の日本の領海に侵入、海上保安庁の巡視船が放水。 ▼九月二七日、フョードロフ露農業相が北方領土の択捉島を視察、と続く。
一連の流れは、リーマン・ショック以降の「米国没落」の印象が世界的に拡散されてからの動きである。すなわち、米国の没落を切っ掛けに、支那の動きが活発化し、東支那海や南支那海で支那の挑発が多発している。そして、その動きが北東アジアに伝搬し、韓国、ロシア、さらには台湾までが巻き込まれている。
 そもそも、韓国は竹島を、ロシアは北方領土を実効支配し、現状に満足しているため、わざわざ日本を挑発する理由などない。だが、支那が米国の衰退を好機と見立てて、アジア・太平洋覇権制覇への野望を見せ始めたことで、日本を取り巻く北東地政学位相が大きく変遷する先行きを見越して、周辺諸国はそれなりの対応シグナルを発し始め、対米従属一辺倒の日本を四面楚歌位相に囲い込み始めているのである。
●李韓国大統領は竹島上陸を行なっただけでなく、その後、昭和天皇批判を公言した。その真意について、朝鮮日報は詳細に解説報道している。
同紙の論旨は、日本は朝鮮半島を植民地支配した歴史的悪行を自らの目線で反省的に総括していない。その主たる原因は、自らの戦争責任論を躱したい昭和天皇の意向で封印されたからである。その結果、日本はアジア侵略戦争から目をそらし、過去の責任を棚上げにしている、といった趣旨である。
 同紙は、戦後の日本は自らの目線で過去の歴史を総括しないまま、米国が押しつけた極東軍事裁判史観を受け入れることで勝者に媚びは売っても、被害者に対しての道義的責任認識を放棄したままだ、と批判している。
 朝鮮日報の指摘は、ある意味で、わが国の急所を突く可能性が秘められている。同紙に指摘されるまでもなく、わが国は極東軍事裁判史観・自虐史観を受け入れることで、自らの目線で大東亜戦争の人類文明史における意義を含めた総括と、米国に敗れた真因を封印したまま現在に至っている。その結果、天皇だけでなく、わが国の歴代総理は周辺諸国、特に支那への配慮を最優先して、靖国神社への参拝を控えるなど萎縮している。さらにいえばこの敗因の解明を怠った故に「福島原発事故」で敗北を重ねることになった。
 朝鮮日報の記事は、わが国戦後の歴史認識の盲点を突いたもので、今後、支那が尖閣問題をテコに提起してくる近世アジアに関わる歴史認識問題を先取りした可能性が高い。
●九月二七日、支那の楊外相は国連総会で一般討論演説を行ない、日本政府の尖閣諸島の国有化を支那の主権に対する「重大な侵害」として、日本を名指しで非難。楊は、日本が一八九五年の日清戦争で尖閣諸島を「盗んだ」と述べ、支那固有の領土であるとの主張を国際社会に向けて強調した。
 また、尖閣諸島は戦後、連合国による「カイロ宣言」や「ポツダム宣言」に基づいて支那側に返還されたとする、独自の考えを強調した。
 そのうえで、日本政府による国有化は「世界の反ファシズム戦争の勝利に対する公然たる否定であり、戦後の国際秩序と国連憲章に対する重大な挑戦だ」との主張を展開。尖閣国有化は「違法であり無効だ」と述べ、支那の正当性を強調した。
 支那は国連総会で、尖閣紛争問題を日本が日清戦争と第二次世界大戦で二重に犯した領土侵犯だと位置づけ、その不当性を世界に発信した。同時に、その不当性を暗黙の内に擁護している米国を問題視する意向を滲ませてきた。すなわち、反ファシズム戦争を過大表現することで、支那とともに軍国主義日本と戦った米国よ目を覚ませと、今後、日米分断工作を仕掛ける意向を間接的に表明しているのである。
支那は、米国による日米軍事同盟の強化を、日本軍国主義の復活への序章と捉えている。だが、反ファシズム戦争で共闘した米国は、軍国主義日本に盗まれた尖閣を取り戻すことを了承すべきだと迫る。同時に、軍国主義日本は、竹島や北方領土を力尽くで取り戻そうとするであろうと、韓国やロシアにも警告を発し、暗に、領土問題での共闘を呼びかけているのだ。
支那は、今回の尖閣問題は火付け役となった石原都知事の背後に控える米国内の右派勢力(旧ネオコン勢力)が目論む、支那大陸分断工作の一環だと認識している。そして、わが国に対しては周辺諸国と連携して孤立化攻勢を仕掛け、同時に、日米分断工作に力を注いで来るであろう。
●米国は今後、非対称戦略で支那の超限戦戦略と対峙する米中総合戦略対峙の一環として、日本との軍事協力の強化を図って日中対峙を積極的に煽動する反面、支那との妥協を探る硬軟両様の戦略を駆使するであろう。
 わが国は、米国追従一辺倒ではなく、日本独自の戦略眼に覚醒して米国が目論む日米軍事同盟の強化を対米自立への好機と捉えて対処すべきである。
 米国は、実のある日米軍事同盟強化のため、国際交戦権を認めていない現日本国憲法の不備を払拭すべく、現憲法改正を働きかけている。わが国はこれを奇貨と見たて、自主憲法を制定し、片務性の強い現行の日米安保条約を双務条約に変えることで、日米政治協定のしがらみから脱却する意志を米国に強く見せつけるべきである。
 同時に、支那の覇権体制下に組み込まれることを懸念している韓国やロシア、あるいは、インドやASEAN諸国に対して、日本独自の外交工作を積極的に仕掛けるべきである。すなわち、文明地政学位相における現代版の大東亜攻略構想に基づいて、支那との全面対峙に備える時がきている。
 そのためにこそ、自虐史観の払拭だけでなく、明治維新以降の全近代史を総括する必要がある。
平成二四年一〇月六日記