主権回復記念式典への一考察 
      (世界戦略情報「みち」皇紀2673(平成25)年5月15日発行第382号)

●四月二八日、安倍政権は天皇皇后両陛下のご臨席を賜わり、サンフランシスコ講和条約発効から六一年を迎え「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を都内の憲政記念館で開いた。主権回復をめぐる政府主催の式典開催は、回復直後の昭和二七年五月以来。
 安倍晋三首相は戦後復興の歴史を振り返り、「本日を一つの大切な節目とし、辿った足跡に思いを致しながら、未来へ向かって希望と決意を新たにする日にしたい」と表明。
 本土復帰の昭和四七年まで米施政権下に置かれた沖縄県では、四月二八日は「屈辱の日」と呼ばれている。このため同県の仲井真知事は県民感情に配慮して欠席し、高良副知事が代理出席した。
 この日、宜野湾市では抗議集会「四・二八屈辱の日沖縄大会」が式典と同時刻に開かれた。詰め掛けた約一万人(主催者発表)の参加者は「沖縄は捨て石のままで、主権は回復されていない」と怒りの声を上げた。
式典でお言葉を述べられなかった陛下は、昨年の天長節(天皇誕生日一二月二三日)を前にした記者会見で、次のように、長年にわたって沖縄に格別の想いを抱いてこられた陛下のお気持ちを述べられている(平成二四年一二月一九日)。

「沖縄は、いろいろな問題で苦労が多いことを察しています。その苦労があるだけに日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくことが大事ではないかと思っています。地上戦であれだけ大勢の人々が亡くなったことはほかの地域ではないわけです。そのことなども、段々時がたつと忘れられていくということが心配されます。やはり、これまでの戦争で沖縄の人々が被った災難というものは、日本人全体で分かち合おうということが大切ではないかと思っています」

 四月二八日は、日本政府が沖縄を日本から切り離す苦渋の選択を決断した結果、沖縄県民にとっては「沖縄切り捨ての日」である。同時に、この四月二八日は「対米従属の日」であって、「主権回復の日」ではない。
 昭和二七年四月二八日、サンフランシスコ講和条約が発効した。
 このことをもって安倍政権は四月二八日を「主権回復の日」としているが、これは表向きの説明でしかない。四月二八日に発効したもう一つの重要な条約と協定がある。日米安保条約と日米行政協定である。
 この条約と協定により、日本は米国の従属国家となった。被占領国家を抜けてたどり着いたのは米国の従属国の地位であったに過ぎない。すなわち、表向きは「主権回復の日」だとされているが、その実態は「対米従属の日」なのである。
●大東亜戦争の敗戦によって、日本は連合国軍=GHQの占領下に置かれた(昭和二〇年九月一日以降)。そして、昭和二七年四月二八日に日本は独立を回復したとされてる。
「独立」とは何か? 「独立」を考える上で基準になる規定がある。「ポツダム宣言」と「サンフランシスコ講和条約」である。領土主権については「カイロ宣言」がある。
「ポツダム宣言」第一二条に以下の条文がある。

一二条、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ

 そして、サンフランシスコ講和条約の第六条には以下の条文が置かれた。

第六条 (a)連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九〇日以内に、日本国から撤退しなければならない。

 これらの条文に従って解釈するならば、日本の「独立」とは「日本から占領軍が撤退すること」である。だが、米ソの冷戦が激化するなかで、米国は日本の「真の独立」を許さなかった。サンフランシスコ講和条約第六条は、そのための但し書きである。

第六条(a)(本規定に続いて)但し、この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐屯又は駐留を妨げるものではない。

 また、サンフランシスコ講和条約第三条には以下の規定が置かれた。

第三条 日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

 二つの点が重要である。
 一つは、サンフランシスコ講和条約によって日本が主権を回復することと「引き換え」に、南西諸島および南方諸島が日本から切り離されたこと。
すなわち、沖縄を切り捨てることによって日本は形式的な主権を回復した。
 もう一つのポイントは、サンフランシスコへ講和条約第六条によって、占領軍の日本からの撤退が示されたにもかかわらず、実際には米軍が日本に居座ったことにある。米軍の日本駐留継続の根拠となったのが「日米安全保障条約」である。
 この「日米安全保障条約」とともに、日本国土でありながら、日本の法令が適用されない「治外法権」を定めた「日米行政協定」が、昭和二七年四月二八日に発効した。
 つまり、表向きは「主権回復」であるが、本当の核心は「米軍の駐留継続」、「沖縄の米国への提供」、「治外法権の容認」が発効したのが四月二八日なのである。すなわち、四月二八日の本質は「主権回復」ではなく「対米従属」にある。
 安倍政権は四月二八日の本質的な意義を承知のうえで、あえて「主権回復の日」と謳って式典を執り行なったのであろう。すなわち、真の主権回復への一里塚と位置づける意を秘めてのことであろう。その伏線として靖国神社参拝気運を盛り上げ、憲法改正への道筋を切り開く決意を公言している。
●麻生副総理兼財務相など第二次安倍内閣で閣僚の参拝が判明したのは計四人。安倍首相は靖国の春季例大祭に合わせた参拝を見送り、代わりに「真榊」と呼ばれる供物を「内閣総理大臣」名で奉納した。
また、四月二三日、超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の所属議員一六八人が春季例大祭にあわせて靖国神社に参拝した。
 四月二三日、安倍首相は参院予算委員会で、憲法改正の発議要件を過半数に緩和する憲法九六条の改正について、「七月の参院選でも、堂々と掲げて戦うべきだと自民党総裁として考えている」と述べ、参院選の党公約に明記し争点とする考えを示した。
 一方、過去の植民地支配と侵略について謝罪した平成五年の村山首相談話について、「『侵略』という定義は、学界的にも国際的にも定まっていないと言ってもいい」と指摘した。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り」などとした談話の記述に関しても、「あいまいな点と言ってもいい。この談話はそういう問題が指摘されている」と述べた。
 安倍政権は、「真の独立」「真の主権回復」を念頭に置いて、様々な動きを活発化させている。その本旨は大いに歓迎すべきであるが、対外的な配慮を軽視すると「日本孤立化」を招く危険性があることを肝に銘じておくべきである。
●四月二八日、支那の蔡武文化相は訪中した日中友好会館会長の民主党の江田五月元参院議長らと北京市で会談し、麻生太郎副総理ら現職閣僚が靖国神社に参拝したことに苦言を呈した。日中関係筋によると、蔡氏は現職閣僚の靖国参拝に懸念を示すとともに、第二次世界大戦後のドイツの周辺国への対応を日本も見習うよう要求した。
 四月二四日付の韓国紙は安倍首相の侵略概念の見直し発言を一面で報じた。韓国世宗研究所のチーフアナリスト、陳昌秀氏は「慰安婦や領土問題など残された問題と比べて、安倍晋三首相のこの発言は性質がまったく異なったものである。日本の首相が国会で侵略の歴史を否定するのは前例のないものだ」と指摘した。同日、韓国の尹炳世外相は四月二六、二七日に予定していた訪日を取りやめた。
 四月二五日、歴史認識をめぐる安倍首相の発言や閣僚の靖国神社参拝に対し、オバマ米政権が東アジア情勢の不安定化を招きかねないとして日本政府へ外交ルートで非公式に懸念を伝えていたことが明らかになった。
 四月二九日付英紙フィナンシャル・タイムズは、安倍首相による靖国神社への供物奉納や歴史をめぐる発言に対し社説で批判し、経済政策に集中すべきだと苦言を呈した。
 社説は安倍政権の経済政策を「経済再生に向けた近年で最も大胆な試み」と評価。同時に、副産物として生じる円安には他国の理解が欠かせないとして、他国を刺激する言動を控えるよう求めた。
 五月三日、シーファー前駐日米大使はワシントンで開かれた日米関係に関するシンポジウムで、従軍慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた「河野談話」の見直しは、「米国における日本の利益を大きく害することになる」と述べ、米国では同問題への厳しい見方が大半を占めると指摘した。
 また、シーファー氏は安倍政権の閣僚による靖国神社参拝に関し、戦没者らに対し「敬意を表したいという感情は理解できる」と述べ、一定の理解を表明。一方で「従軍慰安婦問題は違う問題だ」と強調した。
 一連の動きは、安倍政権の「真の独立」「真の主権回復」を目指す意向を牽制するものである。自虐史観を超克する歴史認識の確立はわが国にとって最重要事項である。だが、同時にそれは戦勝国・連合国(中韓は含まれない)を刺激することにもなりかねない危険性を孕んでいることにも留意すべきである。 平成二五年五月五日記