エジプト情勢への一考察 
  (世界戦略情報「みち」皇紀2673(平成25)年8月1日発行第387号)

●七月八日、同月三日に実質的な軍のクーデタで解任されたモルシ前大統領の支持派と反対派による対立が一向に収まらないエジプトの首都カイロで、軍が大統領警護隊本部前の群衆に発砲し、保健省によると四〇人以上が死亡、三〇〇人以上が負傷した。
 一方、エジプト軍は、武装したテロ集団が警護隊本部を狙って攻撃してきたと発表。国営中東通信によると、これまでに銃や火炎瓶などの武器を所持していた二〇〇人が逮捕された。
 これに先立ち、モルシ前大統領の出身母体「ムスリム同胞団」は、警察と治安部隊がデモ隊に発砲して同胞団の支持者三五人が殺害されたと発表した。
 事件を受け、厳格なイスラム原理主義を掲げる「サラフィスト」の「ヌール党(光の党)」は、同日、暫定政権の樹立に向けた協議から離脱すると表明。二〇一一年の選挙で二五%近くを得票し、議会第二党となったヌール党はこれまで、軍によるモルシ前大統領の解任を支持していた。
 エジプトではモルシ前大統領支持派のデモ隊が銃撃を受けるなど混乱の長期化が不可避となるなか、軍を後ろ盾とするマンスール暫定政権は新内閣の発足を急いでいる。既成事実を積み上げることで、モルシ氏の出身母体であるムスリム同胞団の政治的影響力を削ぎたいとの思惑があるからである。
 新内閣が始動すれば、同胞団が主張するモルシ氏の復権は極めて困難となる。同胞団は八日の衝突を受けて「蜂起」を呼びかけたが、団員以外の市民を暫定政権に対する街頭闘争につなぎ留め続けるのは容易ではない。ただ、同胞団を追い詰めることは、一部の前大統領派による暴発の誘因ともなる。
一方、北部アレクサンドリアでは最近、前大統領派のデモ参加者が暫定政権派の男性を建物の屋根から投げ殺したことが、残された映像から裏付けられるなど、前大統領派の暴力行為もエスカレートしており、社会不安は着実に高まっている。
 七月九日、マンスール暫定大統領は暫定政権副大統領にリベラル派指導者で前IAEA事務局長のエルバラダイを任命、首相には経済専門家のビブラウィ氏を任命し、暫定内閣の組閣を命じた。
 一方、ムスリム同胞団系の政党「自由公正党」のエリアン副党首は同日、マンスール暫定大統領が発表した「憲法宣言」について、「政権転覆の首謀者が任命した人物によってつくられたもので、(民主革命を)振り出しに戻す行為だ」と非難、拒否する構えを明確にした。
●七月八日、オバマ米政権は、軍が大統領を解任して実権を握ったエジプト情勢について、ホワイトハウスで会議を開いて対応を協議した。米政府はこれまでエジプトの政変を「クーデタ」と呼ぶことを避けており、慎重な対応姿勢を見せている。
 また同日、ヘーゲル米国防長官は、エジプトのシシ国防相と電話会談を行なった。同国防相との会談は、軍が大統領を解任する前も含めて過去一週間で四度目。一方、米軍のデンプシー統合参謀本部議長もエジプト軍のトップと二度にわたり電話会談した。
 米政府はエジプトの政変を「クーデタ」と呼ぶことを一貫して避けている。もしモルシ大統領の解任をクーデタと断言すれば、米国は法律に従って一〇億ドルを超すエジプトへの軍事援助を打ち切らなければならなくなるからである。
 一方、米国とEU(欧州連合)は、エジプト軍などに対する資金支援について、現時点での見直しには慎重な姿勢を示している。また、米国では今回の衝突でエジプト軍に対する信頼は揺らぎ始めており、有力議員からは支援停止を求める声も出ている。
カーニー米大統領報道官は「直ちに見直すことは米国の国益とならない」と述べ、一九八七年から続く年間一三億ドル(約一三〇〇億円)のエジプト軍に対する軍事支援の見直しに否定的な見方を示した。イスラエルと外交関係があるエジプトは中東外交における重要な国の一つで、同国の情勢不安定化は米国の対外政策に影響を及ぼすとの懸念もあるからである。
 オバマ米大統領はモルシ氏が軍に政権を追われた直後の声明(七月三日)で、軍に対して「国民の人権を守る」ことを求めた。しかし、国務省のサキ報道官は七月八日の会見で「状況は変わっていない」と述べ、軍への期待が変わらないと強調した。
七月一〇日、ロイター通信は、モルシ前大統領の権限を剥奪したエジプト軍に対し、米政府がこれまでの援助計画に沿って、F16戦闘機四機を八月にも供与する方針だと報じた。
 米対外援助法では軍事クーデタと認定した場合、援助を凍結しなければならない。供与継続が事実であれば、米政府としてクーデタ認定を見送る公算が大きい。
同日、米国防総省は報道を受けて、エジプトとの軍事協力について「地域安定の支柱」だとする声明を発表した。だが、F16供与計画については確認しなかった。
 七月一五日、バーンズ米国務副長官がエジプトの首都カイロを訪問、ビブラウィ暫定首相と会談した。モルシ前大統領が政権を追われて以降、米高官がエジプトを訪問したのは初めて。暫定政権の当局者らと面会し、民主的に選ばれた政権への移行を支援することを表明する。また、米国はイスラム勢力とも協議を図り、挙国一致体制の実現を目指している模様だが、協力を得られるかどうかは不透明。
 バーンズ氏は市民団体や経済界の関係者とも面談する。米国が「エジプト国民を支持し、暴力の停止と民主的に選ばれた挙国一致政府への移行を支援する」ことを表明するという。
一方、米紙は、わずか一年前にエジプトで初の民主的選挙で選ばれた指導者が、民意だけでなく「軍の力」を背景に追われたことに懐疑的な目を向け、イスラム勢力の巻き返しを予測している。一方、支那の各紙は混迷を前に「デモの無意味さ」を強調する独自の論調を展開、自国制度の正当性主張に躍起である。
●一方、マンスール暫定政権はモルシ前大統領が積極支援してきたシリア反体制派への態度を変化させている。エジプトは反体制派への直接的な武器供与は行なっておらず、シリア内戦の戦局への影響は限定的とみられるが、同国の首都カイロをアラブ諸国へのロビー活動の拠点とする反体制派の政治指導者らにとっては痛手となる。
 地元報道によると、エジプト当局は七月三日のクーデタ後、これまでほぼ自由に入国できたシリア人に、入国査証やエジプト治安機関の許可証取得を義務づけると決定、シリア人の拘束や退去も相次いでいる。六月中旬にモルシ前大統領がアサド政権との断交を宣言して閉鎖されたカイロのシリア大使館は、今月七月七日に再開した。
 イスラム原理主義組織ムスリム同胞団出身のモルシ氏は、自身と同じイスラム教スンニ派が中心のシリア反体制派を一貫して支援。同胞団幹部からは、シーア派の一派、アラウィ派が主導するアサド政権への「ジハード(聖戦)」呼びかけが相次ぎ、多数のエジプト人が反体制派に参加した。
 しかし、主に宗教的動機でシリア問題への介入を深めたモルシ氏の態度は、軍の逆鱗に触れ政変の誘因の一つになったとも指摘されている。シリアの同胞団組織などイスラム勢力が反体制派の一角をなしていることも、軍の警戒を呼んだ。
 ロンドンで発行されている汎アラブ紙アルハヤートのコラムニスト、ハルフーシュ氏は七月九日付の論説記事で、今回のエジプトの政変に至った一連の経緯は、モルシ前大統領の出身母体であるイスラム原理主義組織ムスリム同胞団の野望を潰えさせただけでなく、二〇一一年以来の「アラブの春の夢をも大きく後退させた」と論じた。
 記事はまず、アラブの春で期待されたのは、すべての政治勢力が投票結果を尊重する政治文化が生まれることであり、特定のイデオロギーに偏らずに国民に奉仕する政府が生まれることにあった…と語っている。
 しかし、モルシ氏と同胞団は、選挙での勝利を「エジプトを(自分の好き勝手に)作り替えるための許可を得た」ものと誤認したと指摘。その結果、一一年二月のムバラク政権崩壊後にさまざまな勢力が乱立した現実に目を向けず、いたずらに社会の分断を招いたと分析している。
 また、「野党も、同胞団の統治を手助けしようとはしなかった」として、政治・社会混乱の原因は反モルシ勢力側にもあると強く批判している。
 一方、同胞団などのデモ隊と軍との間で衝突が発生し五〇人以上が死亡したことについて、軍が武力を行使したことは政治的分断を助長させているとして、「結局は、軍の道徳的な立場を弱めることにつながるだろう」との懸念を表明している。
●エジプトの政変とその後の社会混乱は、イスラム圏に内在している宿痾を象徴している。
 軍のクーデタで失脚したモルシ前大統領は、一年前の国民投票で選出された民主体制下での政権を運営してきた。しかし、わずか一年で軍による追放を余儀なくされ、エジプト国内は内戦擬きの混乱に陥っている。
一方、アラブの民主化進展を促してきた欧米勢力は、モルシ政権への批判を抱きながらも、軍のクーデタを全面的に容認できないジレンマに陥っている。特に、米国はイスラエルとの外交関係を重視せざるを得ないため、エジプト軍への支援を続ける必要があり、今回の政変をクーデタと認めない欺瞞を恥じようとしない。
 一方、エジプトでの政変後、シナイ半島では、エジプト治安当局と正体不明の武装勢力の衝突が継続している。
 また、エジプトではキリスト教の天使ガブリエルがムスリム同胞団の味方をしているとイスラム学者が衛星放送で説法したことで、ガブリエルの話が異様な盛り上がりを見せ始めている。
 ムスリム同胞団には、ユダヤ・キリスト教欧米勢力との最後の聖戦を戦うイスラム的な使命があるとの認識が強まり、その先鞭として欧米系の傀儡・エジプト軍との戦闘を激化させている。今回のエジプト政変は、天啓宗教世界の神々の争いを本格的に誘発させている。
 平成二五年七月二一日記