北朝鮮最新動向に関する一考察 
      (世界戦略情報「みち」皇紀2674(平成26)年4月15日発行第402号)

●昨平成二五年一二月一二日、北朝鮮では国家安全保衛部特別軍事法廷が開かれ、金正恩体制における実質的なナンバー2と見られていた張成沢に「国家転覆陰謀行為」で死刑判決が下され、張は即時処刑された。
翌一三日、朝鮮労働党中央委員会、最高人民会議常任委員会は、朝鮮労働党政治局委員で最高人民会議代議員である党検閲委員会委員長の金国泰氏が八九歳を一期に死去したと訃告し、彼の葬儀を国葬とすることを発表した。
 一二月一五日、金正恩第一書記は金国泰の霊柩を訪れ、深い哀悼の意を表した。そして、故人の遺族と会って深い弔意を表し、温かく慰めた。
 翌一六日、金国泰の国葬が平壌で行なわれた。葬儀には、金永南、朴奉珠、崔竜海の各氏をはじめ、国家葬儀委員会のメンバーと故人の遺族が参列し、故人を追悼して黙祷した。出棺後、霊枢車は愛国烈士陵に向かった。
 愛国烈士陵では永訣式が行なわれた。労働党政治局委員の金己男書記は哀悼の辞で、兄の金国泰は聖なるチュチェ革命の道で、党と領袖、祖国と人民のために自身のすべてを捧げて闘ってきた老革命家であると述べた。そして、金国泰は死去したが、党と革命、祖国と人民に立てた氏の功績は末永く残るであろうと強調した。故人の遺骨が墓地に安置され、金正恩からの花輪が墓に供えられた。
 翌一七日、金正日総書記の追悼国民大会が開かれ同国の政治および軍の幹部らは金正恩に忠誠を誓い、新しい金正恩時代の開幕を大々的に演出した。この式典の総合司会を務めたのは前日国葬された金国泰の弟の金己男。
北朝鮮は本格的な金正恩時代の幕開の演出に際して、金国泰・己男兄弟の存在を強く印象付けた。通常、国葬にされるのは国家元首か、それに準じる功績のあった政治指導者である。金正恩が金国泰を国家元首並に遇したのは、国泰の父親である金策が果たした功績を讃えたかったからである。
 金策に関して北朝鮮関連の人名録には次のように記述されている。
「金策。一九〇三年生、モスクワ共産党大学卒、ソ連内務省GPUに入り、満洲の金日成などの活動を支援した。ソ連軍中佐。金日成の腹心の一人で、人民軍の建設に中心的な役割を果たした。朝鮮戦争では前線司令官となったが五一年爆死。その功により、出生地を金策市と改め、その地の鉄工所を金策製鉄所、大学を金策工科大学と命名された」
北朝鮮の正史では金策は朝鮮戦争で戦死したとされている。だがそれは、彼が政治の表舞台から姿を消して北朝鮮を金王朝体制に育成するためであった。また、金正日著『金日成回顧録』のなかに、正日が父親の金庫を空けてみると金日成と金策と二人だけで映っている写真が出てきたと記述されている部分があって、金策の特殊な立場が間接的に示唆されている。
●金策は黒龍会の一員だったとされている。黒龍会指導者の内田良平翁は対露工作に全力を注ぐために朝鮮半島の安定化を願い、日韓合邦運動を推進した民間人である。彼は朝鮮半島の恨の歴史は国民の団結心の欠如にあり、その主たる原因は偏狭な正統性への執着に起因しており、その因習・弊害の克服が朝鮮自立の大前提だ、との信念を持って朝鮮工作に邁進した。
 内田は朝鮮社会の構造的な因習は本貫家系への拘りにあると喝破して、「壇君神話」に基づいた疑似天皇制国家の家長に朝鮮家系の本貫図をすべて止揚・一元化する構想を打ち出して、半島人士との連携を強めた。
 金日成は一時、北朝鮮社会のすべての宗家は金日成から発するとして本貫図を一元集約化した王朝体制を目指し、朝鮮民族を「金日成民族」と呼称した。そして、その正統性を白頭山を神聖視した「壇君神話」で補完した。その構想は、金策の提言に基づいたものである。
 金日成が死去し、二代目正日が正当な後継者と決まるまでに三年かかったが、その間、金王朝神話づくりが進められていた。
 そして、金王朝の二代目後継者に決まった正日は最初の仕事として、あたかも橿原神宮を創建するかのように、巨額を投じて広大な壇君廟を建設した。また、二代目金王朝体制が成立した直後に公表された党幹部の序列一七位に、一度限りであるが「金策」の名が明記されたことがある。
 金正日が逝去したとき金正恩は二八歳の若造であった。正日は死に際し、張成沢の動向に注意し、警戒するよう関係者に託したと言われている。その中心人物が金国泰や己男など、金策の薫陶を受けて北朝鮮を盤石な金王朝統治体制に仕上げたい影の黒子集団。
 彼らは二年かけて張成沢排除を成し遂げた。張成沢が習近平政権に唆されて北朝鮮を支那の册封国家とすべく、正恩を廃嫡して彼の異母兄・正男を金王朝の最高位に据える工作をしていた、と彼らは主張している。
金正恩は張成沢排除を最後のご奉公と尽力した金国泰を国家元首並みの国葬に遇することで、金策の金王朝建立構想が完成したことを内外に宣言した。そして今後は、対日関係の改善と韓国取り込みで、支那を牽制する外交路線を打ち出して来るであろう。ちなみに、金策の正体は日本人の畑中理(はたなかおさむ)である。
●北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの両親がめぐみさんの娘のキム・ウンギョンさん(二六)と三月一〇~一四日にモンゴルの首都ウランバートルで初めて面会した、とわが国の外務省は三月一六日に発表した。
 今回の面会は、今月三日の支那・瀋陽での日朝赤十字会談に伴う非公式の政府間協議で、夫妻が高齢になったことなどを理由に日本側が提案し合意した結果、実現した。政府関係者によると、面会には日朝両国の政府関係者も同行した。
外務省の発表に併せるかのように韓国の情報機関筋は、ウンギョンさんと金正恩の実妹、ヨジョンさんが同じ大学に通い、同じ政府機関の部署で勤務しているとの情報を発信した。韓国筋の情報は、ウンギョンさんが金王朝のロイヤル・ファミリーの一員と遇されていることを暗示しており、北朝鮮はめぐみさんの存在を国母並みに敬していることを示唆している。ちなみに、ウンギョンの漢字名は恩慶だともされている。正恩の一字が使われていることは実の妹の可能性すら想像される。また、横田早紀江さんはめぐみさんの生存を確信していると公言している。
 今後、北朝鮮側はウンギョンさんの訪日を働きかけるなど、日朝間最大の頚城である拉致問題を彼らなりに解消しようとしてくるであろう。すなわち、めぐみさんを拉致問題解決の切札に使い、最後はめぐみさんを表に出す逆転劇すら選択肢の一つにしている可能性も考えられる。なぜなら、彼らにとって真の拉致事件はめぐみさん事件だけだからである。
北朝鮮による日本人拉致事件ほど不可思議な事件はない。何故、わが国の優秀な警察組織が拉致事件を一件も摘発出来なかったのか? 何故、日本政府や国会議員は小泉訪朝で金正日が日本人拉致を認めるまで拉致問題を政治問題として取り組まなかったのか?
 北朝鮮側は、その深層背景を彼らなりに把握しており、日本側はめぐみさん以外の拉致問題を曖昧にせざるを得ないと読み切っている。
 金正日が小泉訪朝で日本人拉致を認め、日本政府すら把握していなかった亡命米国人を夫としている曽我ひとみさんを一時帰国させたのは、拉致事件の真相をばらすぞと、米国を威嚇するためであった。すなわち、日本人拉致は米朝野合による日本封じ込めの事件で、日本政府も看過せざるを得なかったと間接的に表明するも同然だった。
クリントン政権末期の二〇〇〇年一〇月、米朝国交樹立をも目論むオルブライト国務長官が訪朝した。ちなみにオルブライト訪朝を実質的に根回ししたのは金国泰だった。だが、二〇〇一年発足のブッシュ政権は二〇〇二年に北朝鮮を「ならずもの国家」と認定し、それまでの北朝鮮との取り決めをすべて反故にした。それに怒った金正日が逆襲のため日本人拉致事件を公にし、わが国政府も政治問題化させて今日に至っている。
●三月三〇と三一日の両日、日本と北朝鮮は北京で外務省局長級による公式の政府間協議を行なった。日朝局長級協議は一年四ヶ月ぶりで、第二次安倍晋三政権下では初めて。両国は協議に先立って、「肯定的な方向になることを願っている」と日朝関係の改善に意欲を示していた。
二日間の協議を終え日朝間では公式な「対話」の継続が確認された。
 拉致問題で日本側は「一定の手応え」を感じ取っているが、北朝鮮側は新たに朝鮮総連中央本部の土地建物売却問題を持ち出し、日本の「前のめり」姿勢を逆手にとるかのような対応もみせた。核・ミサイル問題で北が強硬路線を崩さないなか、日本が経済制裁解除カードを切るのも容易ではない。
 日本側の伊原局長は協議後の記者会見で、「具体的な成果を目指して取り組んでいくことが重要だ」と語った。協議に同席した外務省幹部も「中身の濃い意見交換だった」と強調した。
 拉致問題の「在任中の解決」を掲げる安倍首相は三一日の自民党役員会で「拉致問題をしっかり進めないといけない」と決意を示した。北朝鮮が三〇日に新形態の核実験の可能性に言及する声明を出したにもかかわらず、日本側が三一日の協議を予定通り行なったのも首相の意気込みの表れ。
 だが北朝鮮が核・ミサイルで暴走を続ければ米韓との連携を無視できず、日朝協議はまた頓挫しかねない。北朝鮮が平成二〇年八月に約束した拉致被害者の再調査を、その後一方的に破棄した経緯もあり、拉致問題の行方はなおも不透明。
 今回の協議は日朝対話が継続されることになったのが最大の成果である。今後、紆余曲折があろうが、日朝双方、ことに北朝鮮側は対日関係の改善に全力をあげてくるものと思われる。日朝関係改善は、ユダヤ系国際金融勢力による「新河豚計画」構想推進のために必要不可欠だからである。
「新河豚計画」とは、いわば現代版の「満洲・大高麗帝国(北金王朝)」を樹立する構想で、国際ユダヤ金融勢力が目指す、ユダヤ人東方大移動による最終的な世界統一構想の一環である。
      平成二六年四月九日記