混迷深まるウクライナ情勢 
  (世界戦略情報「みち」皇紀2674(平成26)年5月1日発行第403号)

●四月九日、ウクライナ東部ドネツク、ルガンスクの二都市でロシアへの編入を求めるデモ隊が州政府庁舎などを占拠した問題で、ウクライナ暫定政府のアバコフ内相は、強硬手段を取る可能性を示唆した。両都市では、武装したデモ隊が政府庁舎や警察関係施設に籠城、四月七日には「人民共和国」の樹立を宣言した。
 四月一二日、親露派の武装勢力は、ドネツク州スラビャンスクやクラスヌイリマンなど計四地域の庁舎を新たに占拠。ロイター通信は武装勢力がスラビャンスクの警察施設で拳銃や自動小銃四〇〇丁以上を奪取し、デモ隊に配ったと報道。国営ロシア通信もドネツク駐留のウクライナ内務省特殊部隊が親露派に寝返ったと伝えるなど、混乱がさらに拡大している。
同日、アバコフ内相は武装勢力を「テロリスト」と批判し、「厳格な対応を取る」と強調した。しかし、ドネツク州では内務省特殊部隊の一部が、デモ隊の強制排除の命令を拒否し、ウクライナの国旗が降ろされた。そして、トゥルチノフ大統領代行は、治安対策を指揮するドネツク州の警察責任者を解任した。
 各地で親露派が勢いづいた背景には一時は強制姿勢をみせていたウクライナ暫定政権が、流血の事態を避けるため、治安部隊による実力行使を控えていることがある。ロシアの対抗策を招く恐れもあるためで、ヤツェニュク首相は現時点で「平和的解決が唯一の選択肢」と述べている。
四月一二日、暫定政府のデシツァ外相はラブロフ露外相と電話会談し、露特殊部隊が東部で煽動する庁舎占拠などの「挑発行為」を即時停止するよう要求した。また、ラブロフ外相は前日一一日のケリー米国務長官との会談で、平和的解決のため、暫定政府に影響力を持つ米国が親露派との対話を後押しするよう要求した。
●一方、四月一〇日、プーチン露大統領はウクライナがロシア産天然ガス代金を滞納している問題で、欧州一八ヶ国の首脳に書簡を送り、ウクライナが月ごとに全額前払いに応じなければ供給を削減あるいは停止すると警告した。大統領は書簡でウクライナへのガス供給が止まれば、同国経由の欧州向けガス輸出にも影響が及ぶ事態に「極めて深刻な懸念」を表明したとされている。
 このような大統領書簡の内容が明らかになるのは異例である。その直前に支那がロシアの欧州向け天然ガスの受け皿になることが決まった。すなわち、プーチン大統領の書簡が意図的に公になったのは欧州の弱点を突くだけでなく、当面のロシアの負担を回避できるとしたプーチン政権の巧妙な情報戦略の一環である。
 ロシアは欧州の天然ガス需要の三〇%を供給している。そのほとんどはウクライナ経由となっており、今回の処置が仮に発動された場合、欧州は三〇%の天然ガスを他から調達しなくてはならなくなり、まさに悪夢となる。
 また、ウクライナは一〇〇%ロシアから天然ガスの供給を受けており、これが止まると経済は破綻する。EUはウクライナ支援として、天然ガスを供給するとしているが、自分の国の需要さえ賄えないのに、どうすればウクライナに天然ガスを供給できるのか?
四月一二日、ケリー米国務長官はラブロフ露外相と電話会談し、親露派武装集団がウクライナ東部の市庁舎などを占拠していることに「強い懸念」を表明。しかしオバマ政権としては、ロシアがウクライナ東部での衝突拡大を口実に直接介入したとしても経済制裁を強化するしか対抗策が見当たらないのが実情で、外交解決を模索していく方針。この趨勢にあって、米露とウクライナ、欧州連合(EU)による四者協議が開かれた。
●四月一七日、ウクライナ情勢を巡る米露とEUなどの四者協議がスイスのジュネーブで開かれ、緊張緩和とウクライナの安全保障を目指す共同声明を発表した。ウクライナ危機で四者による話し合いは初めて。
 協議にはケリー米国務長官、ラブロフ露外相、ウクライナ暫定政権のデシツァ外相、EUのアシュトン外交安全保障上級代表が出席した。
 声明では、不法武装集団の武装解除、不法に占拠した建物の返還と占領した公共の場所からの退去を求め、退去して武器を捨てた者は、重大な犯罪を犯していない限りは恩赦の対象になると表明した。さらに、ウクライナでの暴力行為の停止を求めるとともに、過激主義や人種差別、宗教差別は容認しないと強調している。
今回の四者協議で、米欧の仲裁により、ロシアとウクライナが協約を結び、ウクライナ政府は武力による東部鎮圧や反政府勢力の逮捕を行なわない代わりに、ロシアが東部の露系住民を説得して公的施設への占拠を終わらせ、露系住民を武装解除する道筋が決まったと見なすことができる。合わせて、ウクライナ政府は地方自治拡大の憲法改正を行なって東部の露系住民の自治や住民投票の実施を認める代わりに、ロシアはウクライナ政府がやりたい大統領選挙に反対しないことも合意した。
 アシュトン代表とともに記者会見したケリー長官は、「大切なのはこの言葉を行動に移すことだ」と強調。声明で打ち出した手順通りに緊張緩和が進まなかった場合、ロシアは「さらなる代償」に直面すると警告した。
ラブロフ外相は「非合法な武装勢力の武装解除を進める必要がある」と発言。ウクライナ東部で武装勢力が庁舎などの施設を占拠していることを念頭に「建物は合法的な所有者に戻されるべきだ」と述べ、「すべての勢力が暴力を控えるべきだ」とも強調した。
 ウクライナ新政権が親露派勢力の強制排除を始めたことにロシアが反発し、協議は中止される懸念もあった。ただ、ウクライナ南部クリミア半島の編入強行で米欧の制裁を受けるロシアは、外交による解決に向け対話姿勢を見せる必要があると判断した模様。
 ロシアはウクライナに連邦制を導入するよう求める立場。米国などは親露派勢力の武装解除と撤退が優先課題だとの主張を崩していない。協議では五月二五日に予定するウクライナ大統領選挙の正当性も議題にのぼった。すなわち、四者協議が開催されたことでウクライナ問題は外交解決への扉が閉ざされていないことが印象付けられた。しかし、ロシアは軍事介入への含みを放棄してない。
●同じく四月一七日、プーチン露大統領はテレビを通じ年一回の国民との直接対話を行なった。親露派勢力とウクライナ新政権との対立で緊迫する同国東部の情勢について「(両者が)交渉のテーブルに着く必要がある」と表明。事態収拾に向け両者が直接交渉によって地方分権などでの妥協策を見いだすよう求めた。しかし東部情勢が急速に悪化した場合には、露軍による介入に踏み切る可能性も示唆している。
 ウクライナの東部情勢ではロシアが親露派勢力を支援して軍事介入する懸念が残っている。プーチン大統領は露議会からウクライナでの軍事力利用の権利を与えられたと指摘。「この権利を行使しなくて済むことを期待する」と述べ、親露派住民に多数の犠牲者が出た場合の軍事介入に含みを持たせた。
 東部問題の解決策に関しては「東部(の人々)は連邦制について、新政権は地方分権について話している」と述べ、自治権の拡大では両者の立場が近いとの見方を示唆。新政権の方が親露派勢力との交渉を避けているとして、自治権の拡大に関して詳細を直接話し合うことを求めた。ただ、ロシアが連邦制の導入を支持するという立場は変えていない。
 親露派勢力が行政庁舎などの占拠を続ける東部情勢では、ロシアが特殊部隊を送り込むなど同勢力を支援していると欧米や新政権が批判しているが、プーチン大統領は「すべて戯言だ」と否定した。また五月二五日に投票されるウクライナ大統領選については、候補者への暴力が起きている状況では「結果を認められない」と述べた。
 四者協議に関して「きわめて重要だ」と指摘。事態打開へ露語を第二公用語として維持することや、州知事の公選制の導入など東部住民の権利保護が重要だとして、四者協議が新政権と親露派の直接交渉の実現につながることに期待を表明した。
 支那との関係では「中国との軍事同盟の計画はあるか」と問われ、「われわれは何らかの軍事、政治同盟を形成するといった課題は設定していない」と明言。同時に「国際政治で露中関係は重要な要素になる」とも述べ、ウクライナ問題をめぐって欧米との関係が急速に悪化する中、一段と支那を重視する姿勢を示した。
●四者協議から二日が過ぎた四月一九日も、同国東部の親露派武装勢力が占拠した政府庁舎などを明け渡す気配はみられなかった。協議では一定の合意に達した半面、その解釈をめぐってはロシアと欧米の間に大きな隔たりがある。ウクライナ南部クリミア半島を併合したロシアは、混乱が長引けば東部でも影響力が維持できるとみている可能性もある。
 四者協議の後に出された声明には、「違法集団の武装解除」が盛り込まれた。しかし、東部の親露派武装勢力の背後にロシアが存在すると主張する欧米に対し、プーチン大統領が「戯言だ」と述べるなど、ロシアは関与を否定している。
 さらに、ロシアは二月の政変でデモ隊を率いた極右勢力こそ「違法集団」だと主張。外務省は四月一八日、こうした勢力の武装解除の方が先だとする声明を出した。
 四月一八日、ウクライナ暫定政権のトゥルチノフ大統領代行とヤツェニュク首相は、州や市の決定で露語を地域の公用語に定められるよう憲法改正を行なう用意があると強調した。東部の親露派住民に配慮する姿勢を改めて示した形。しかし、ドネツク州北部スラビャンスクでは四月一九日、武装集団が報道陣の自由な報道活動を制限し始めたとの情報もあり、未だ双方が折り合う様子はない。
一連の流れは、ウクライナ問題はロシア優位で外交解決に向かう可能性を示唆している。また、多少の混乱が続くであろうが、内戦回避への動きにも拍車がかかっている。次の焦点は、五月に行なわれる大統領選挙結果へのロシアの対応である。
     平成二六年四月二〇日記