ゲットーと化した国家イスラエル
     (世界戦略情報「みち」皇紀2674(平成26)年8月1日発行第409号)

●イスラエル軍は七月八日からパレスチナ自治区のガザ地区を空爆し、ガザを統治しているハマス(スンニ派のイスラム武装勢力)の兵器を破壊するとともに、多数の市民を殺害している。
七月一二日、イスラエル軍がガザ内のモスク二ヶ所を爆撃、ハマスはこれに強く反発し、報復攻撃を強化する考えを示した。
 イスラエル軍はモスク爆撃はハマスなどの武装勢力が建物に武器を隠していたためだと説明。これに対しハマスは「イスラエルがイスラムに敵対的なことを示す行為だ」と非難。戦力が圧倒的に劣勢なハマス側には、イスラム諸国の宗教感情をあおりイスラエルを牽制する狙いがある。
 一方、イスラエルのネタニヤフ首相は七月一一日の声明で、「平穏さが戻ったと国民が確信できるまで軍事作戦を継続する」と表明。対パレスチナ強硬派のリーベルマン外相は同日、近く地上侵攻に関する決定が下されるとの見通しを示した。
 七月一三日、イスラエル軍部隊はガザ内に一時入り込み、長距離ミサイルの発射拠点を襲撃した。侵入していた時間は約三〇分間で、作戦の目的は完遂されたと述べた。この作戦で銃撃戦が発生し、イスラエル軍兵士四人が軽傷を負った。
●七月一四日、エジプト政府がガザでの停戦を提案した。その骨子は

①即時停戦
②停戦後、ガザとの検問所を再開
③停戦発効から四八時間以内にカイロでイスラエルとハマスが停戦内容を協議する

などである。
 翌一五日、イスラエルは治安閣議で停戦案の受け入れを決めた。ハマス軍事部門幹部は、受諾は「降伏に等しい」として難色を示した。これに対し、イスラエルのネタニヤフ首相は、ハマスが仲介案を拒絶すれば「軍事作戦を拡大させる」と警告した。
 同一五日、イスラエル軍はガザ地区の北部と東部の住民に自宅から退避するよう警告し、一六日にも軍事作戦を強化する考えを示した。一方、ハマス報道官は一六日、エジプトが提示した停戦仲介案を拒否すると正式に同国に伝達したことを明らかにした。
 一三日のイスラエル軍による一時的なガザ侵攻は本格的なガザ地上作戦を正当化するための前触だった。
イスラエル軍が本格的なガザ掃討作戦に踏み切る意向を固めたのは、昨年のクーデタでエジプトの政権をムスリム同胞団から奪ったシーシー将軍が六月八日に大統領に就任したことと関係している。二〇一一年二月に「アラブの春」でムバラク大統領が辞めてからシーシーが大統領になるまで、エジプトではムスリム同胞団が強かった。ハマスは同胞団の弟分組織。
 イスラエルは同胞団政権時代にエジプトからガザに多くの武器が搬入されたと考ており、同胞団を権力から追い出して弾圧し始めたシーシーが大統領になるとともに、搬入武器を破壊一掃するためガザ掃討作戦を決断した。
 また、ハマス側がエジプトの停戦仲介を拒否したことで、イスラエルはガザ掃討作戦の正当性を得たとしている。
 イスラエルは翌一六日もハマス指導者らを狙った空爆を継続。またイスラエル南部のガザ境界線付近では一五日、ハマスの迫撃砲攻撃でイスラエル人男性一人が死亡。七月八日の軍事作戦開始以降、イスラエル側に死者が出たのは初めて。ハマスには今回の戦闘をイスラエル、エジプト両国によるガザ経済封鎖の緩和に繋げたいとの思惑がある。
●一方、七月一七日、イスラエルとハマスは国連の要請に基づき、午前一〇時から五時間、一時的に戦闘を停止した。ガザの人道状況悪化を受けての措置で、住民は食料や水を買い求めたり、銀行から現金を引き出したりして空爆の再開に備えた。ただしイスラエル軍は、ガザから攻撃があれば、報復攻撃を行なうとしている。
 同一七日、エジプトでの報道によると、カイロではイスラエル当局者とハマス側がエジプトの仲介で間接的に協議。パレスチナ自治政府のアッバス議長も一六日、ハマス政治部門の最高幹部アブーマルズーク氏とエジプトの停戦仲介案などについて協議した。
 しかし同一七日夜、イスラエル軍はガザに対する地上作戦を開始した。また同日、新たに予備役一万八〇〇〇人の召集も発表した。イスラエルのネタニヤフ首相とヤアロン国防相は、ガザとイスラエル領をつなぐ地下トンネルを破壊するための地上作戦を命じた。
 治安筋によると、イスラエル軍の戦車はガザ中心部のアブホレーに到達。また、地上部隊はハマスや武装組織イスラム聖戦の戦闘員と衝突したとされている。もしイスラエル軍が中心部から海に至るルートを抑えれば、ガザを分断することも可能。
 今回のイスラエルによるガザ地上侵攻に至った展開は、八日間で停戦合意に至った二〇一二年一一月の大規模戦闘よりも、三週間の長期作戦となった〇八~〇九年に近い。ハマスは仲介役であるエジプトに強い不信感を抱いていることからも、停戦調停は難航が予想され、戦闘がいたずらに長期化する可能性もある。
 同一七日、「軍事作戦は、必要な限り継続する」と、イスラエル軍報道官は地上侵攻決定後にこう述べ、地上部隊撤退までの期限は設けていないことを強調した。
●イスラエル軍によるガザ地区への地上侵攻をめぐり、国際社会の調停外交が活発化し始めた。七月一九日には国連の潘基文事務総長が中東訪問へ出発、フランスなども停戦に向けた働きかけを強めている。
 潘事務総長は中東訪問中、イスラエルやパレスチナ自治政府の首脳らとエジプトによる停戦仲介案などについて協議する見通し。自治政府のアッバス議長は、無条件での戦闘停止を求める同案に賛成の立場を取っていることから、潘は自治政府を通じハマスに停戦を受け入れるよう圧力を強めたい考えとみられている。
 その一方でアッバスは、停戦を実現するにあたり、ガザからの過激派流入を警戒するエジプトの懸念を和らげるためとして、ガザ南部のエジプト境界線付近に自治政府の治安部隊を再配備する考えを示しているとされている。
 また、フランスのファビウス外相も一八~一九日、エジプトの首都カイロで同国のシーシー大統領やアッバス議長と会談したほか、ハマスを支援するカタールやトルコにも停戦に向けた協力を呼びかけた。
●しかし、ガザでのイスラエル軍とハマスの軍事衝突はハマス戦闘員が地下トンネルを通じてイスラエル領へ侵入して軍と交戦するなど、地上戦は同国内にも広がる様相となっている。七月二〇日、イスラエル軍の地上戦の開始はガザから延びる地下トンネルの破壊が主要目的だったが、ハマス戦闘員のイスラエル侵入を受け、イスラエル軍は地上戦の拡大を発表した。
 イスラエルのテレビ局「チャンネル10」によると、ハマス戦闘員は一九日、ガザ中心部からのトンネル経由で侵入してイスラエル軍兵士に発砲し、二人を殺害した。イスラエル軍によると、戦闘員は同軍兵士の制服を着込んでいたとされている。この戦闘でハマスのひとりがイスラエル領内で殺害された。残りの戦闘員はガザへ逃走したがイスラエル軍の武装ヘリコプターに襲われ、死亡したとされている。
 ハマスの軍事部門「カッサム隊」によると、別の戦闘員十数人がガザ地区の外にあるイスラエル軍基地に侵入。軍兵士の車列に待ち伏せ攻撃を仕掛け、兵士六人を殺害し、複数の兵士を負傷させたと述べた。
 七月二〇日、イスラエル軍はガザ地区に部隊を追加派遣し、地上作戦を拡大させたことを明らかにした。イスラエル軍はガザ掃討作戦に本格的に踏み込む意向を誇示している。だが、ガザ地上作戦の拡大でイスラエル軍や民間の被害が増大する可能性も懸念されており、イスラエル右派が主張する強硬策(ガザ再占領支配)に傾斜する可能性もある。そうなれば、イスラエルは世界から孤立し、最終的にはイスラエル崩壊にも繋がりかねない危険性も秘めた動きとなる。
●ガザ地区でのイスラエルとハマスの地上戦闘は七月二二日で五日目となり、戦闘は拡大している。そして七月八日の武力衝突開始(空爆)以来のパレスチナ側の死者はすでに六〇〇人以上にのぼり、その大半は子供を含む非戦闘員とされている。また負傷者も三三〇〇人以上と報じられている。地上戦の開始によりイスラエル兵士の死者も増えているが(二五人)、パレスチナ側に比べれば微々たる数である。
 イスラエル軍によるガザ地区への空爆及び地上侵攻はトルコ国内で強い反発を引き起こしている。各地で反イスラエル抗議デモが発生するとともに、トルコ国会はイスラエル非難決議を採択(七月二二日)し、政府は三日間の喪に服すと発表。エルドアン首相はイスラエルの攻撃を「ジェノサイド」と主張した。そして二〇一〇年に発生したマーヴィ・マルマラ号事件の補償交渉が進むなか、ここにきて再び両国関係は急速に悪化している。
 また、イスラエルの非人道性を糾弾する抗議活動が世界各国で行なわれるなど、反ユダヤ気運が世界的に拡散する兆候も出はじめている。
七月二一日、オバマ米大統領はホワイトハウスで声明を発表、パレスチナ自治区ガザへのイスラエルの軍事作戦で市民の犠牲者が増大していることを「深く懸念している」と述べ、即時の停戦実現を求めた。すなわち、イスラエルを間接的に非難しているのである。
 七月二二日、欧米の航空当局はガザ地区へのイスラエル軍地上侵攻を受けた情勢悪化を踏まえ、イスラエルのベングリオン国際空港を発着する便の運航停止を航空各社に通達した。これを受け、米国と欧州の主要航空各社は即日運航を停止した。外国の航空会社がテルアビブへの運行を停止したことは、イスラエル国家そのものがゲットー化したことを暗示している。
 イスラエルはハマスとの地上戦闘に突入したが、どのような結末を想定しているのであろうか? さらにまた、七月二三日には、ハマスとイスラエルの停戦を模索してケリー米国務長官がテルアビブ入りしたが、果たして停戦が成立するのかどうか、予断を許さない状況にある。   平成二三年七月二四日記