日朝協議進捗の問題点 
      (世界戦略情報「みち」皇紀2674(平成26)年11月15日発行第415号)

●一〇月二七日、拉致被害者らの再調査に関する現状を確認するため、日本政府の代表団が北朝鮮に入った。今回の訪朝で拉致問題は進展するのか。北朝鮮に詳しい専門家は、国際情勢や北朝鮮国内の状況から、かなり厳しい見通しを示していた。
 翌二八日から予定されていた協議で、日本政府は再調査を実施している特別調査委員会会長で、秘密警察に当たる国家安全保衛部の副部長である徐(ソ)大河(デハ)氏との面会を強く求めていた。
 同日、日本政府代表団との協議で、北朝鮮の特別調査委員会はトップの秘密警察高官を含め、すべての責任者が顔を揃え、日本メディアの前に姿を曝すという異例の対応に出た。拉致被害者ら日本人調査に取り組む「誠意」を日本世論にアピールすることで、今後の協議を北朝鮮ペースに持ち込もうとの思惑が滲み出ていた。
 その日午前、調査委庁舎の玄関で、副委員長二人と軍服姿で外務省の伊原純一アジア大洋州局長らを出迎えた徐大河委員長は、握手の手を差し伸べながら、「徐大河と申します。委員長を務めています」と自己紹介した。
 支那や欧米の現地駐在メディアも代表団を待ち構えていた。北朝鮮側が手配したとみられ、海外に向けた宣伝姿勢をのぞかせていた。
 庁舎は平壌中心を流れる大同江沿いの道路に面した二階建て。玄関には「特別調査委員会」の真新しい金看板が掲げられていた。日本人調査が外国人管理に関わるためか、「出入国事業局」も入居している。
●一方、同じ二八日に、韓国情報機関の国家情報院は、北朝鮮で昨年一二月に処刑された張成沢元国防副委員長の関係者への粛清が最近まで続いていたことを確認し、国会に報告した。
 北朝鮮では北朝鮮軍の幹部が多数降格され、今年に入って賄賂や女性問題、韓国ドラマを視聴したなどの理由で朝鮮労働党幹部約一〇人を含む約五〇人が銃殺された。
 また、同報告によると金正恩第一書記は五月ごろに左足首のくるぶし付近の神経を痛め、「足根管症候群」と診断された。九月から一〇月初旬にかけ、欧州から医師を呼んで手術を受けたという。肥満や過度の視察活動などが原因とされ、再発の可能性があると韓国国家情報院ではみている。
 その二八日に、国連で北朝鮮の人権問題を担当するダルスマン特別報告者は北朝鮮の代表団と初めて会談した。
 国連の人権特別報告者と北朝鮮側の会談はこの一〇年間、実現していなかった。ダルスマン氏によると、会談は前触れなしに行なわれ、約一時間続いたという。
 北朝鮮当局者らはこのなかで、人権問題に関する調査団を受け入れる可能性を示唆した。一方で、国連に提出されている対北朝鮮決議案への懸念を表明したとされている。
 決議案は北朝鮮による人権侵害を国際刑事裁判所(ICC)で裁くべきだとする内容で、欧州連合(EU)と日本が共同でまとめた。ダルスマン氏も二八日、国連総会への報告で、人権問題をICCに付託し、制裁強化を検討すべきだと主張した。
●一〇月二九日、拉致被害者らについて調べている北朝鮮の特別調査委員会と日本政府代表団との協議が終了した。
 北朝鮮はこの日、日本人遺骨や日本人配偶者問題についての調査が進んでいることを強調。日本が最優先とする拉致被害者の調査の現状が分からないなか、ほかの調査が先行しているようにも映り、拉致被害者の家族は不安をのぞかせた。
 北朝鮮のこの日の説明に対し、日本人遺骨問題を担当する厚生労働省社会・援護局の担当者は「どこまで具体的なものなのか、調査レベルの実態は図りかねる」と困惑している。
翌三〇日、日本人拉致被害者らの安否などを調べる北朝鮮の特別調査委員会幹部との協議を終えた政府代表団は平壌から北京経由で帰国し、団長を務めた外務省の伊原純一アジア大洋州局長らが首相公邸で、安倍晋三首相らに協議内容を報告した。首相はその後、記者団に「拉致問題解決に向けた日本の強い決意を北朝鮮の最高指導部に伝えた。今後の迅速な調査と一刻も早い結果の通報を要求した」と述べた。
 首相は、北朝鮮側から「過去の調査結果に拘らず、新しい角度からくまなく調査を深めていく」との方針が示されたことも明らかにした。その上で「対話と圧力、行動対行動の原則に則り、拉致問題解決に今後とも全力を尽くしていく決意だ」と語った。
 日本政府は、今回の政府代表団の平壌派遣について「半歩前進」と強調している。謎に包まれていた北朝鮮の特別調査委員会幹部らに直接説明を聞いたうえ「過去の調査結果に拘らない」という前向きな言葉を引き出せたからだ。ただ、初回報告の時期についての言質は取れずじまいで、「張り子の成果」との指摘もある。七月初旬の再調査開始から四ヶ月となり交渉は長期戦の様相を呈しつつある。
 焦点の再調査の内容に関する初回報告の時期について、菅義偉官房長官は一〇月三一日の記者会見で「年内」との見通しを示したが、外務省幹部は「明確な合意、共通認識はない」と指摘し、早くも「予防線」を張っている。
 菅長官の発言は北朝鮮に早期の報告を迫る狙いがあるとみられるが、外務省との認識のずれが浮き彫りになった。あいまいな態度を取り続ける北朝鮮の姿も鮮明になっている。
 北朝鮮はこれまで、日本政府認定拉致被害者一二人の安否について「八人死亡、四人未入国」と主張し、一貫して「拉致問題は解決済みだ」との姿勢を取ってきた。このため政府は、北朝鮮が従来の主張を覆す可能性を示したことに加え、拉致を実行した特殊機関への調査も明言したことを成果としている。
●拉致被害者に関する新たな情報を得ることなく、日本政府代表団の訪朝は終わった。逆に北朝鮮の特別調査委員会に関して幾つかの疑問が浮かび上がっている。徐大河委員長の朝鮮人民軍での階級と国家安全保衛部での肩書の矛盾や調査委が入る建物の狭さ……。それらの疑問からは、調査委の権限の不確かさや訪朝を宣伝に利用しようとした北朝鮮の意図がみえる。
 政府代表団との協議が始まった二八日、外務省の伊原純一アジア大洋州局長らを出迎えた徐委員長の軍服には、大きな星一つの肩章が付いていた。その肩章は、徐委員長が朝鮮人民軍の少将であることを示している。
 徐委員長は秘密警察である国家安全保衛部の副部長を務めているとされる。だが、三一日に伊原局長らから説明を受けた拉致被害者の支援組織である「救う会」の西岡力会長は、北朝鮮の元工作機関幹部から聞いた話として、軍での階級と保衛部での肩書が符合していないことを指摘している。
 元幹部の説明では、保衛部の部長は大将、副部長は上将、副部長の下の局長が中将の階級になっており、少将が保衛部の副部長であるはずはないという。西岡会長は「特別調査委員会なるものに権限はなく、形式的なものであることを意味している」と指摘し、期限を切って北朝鮮に拉致被害者に関する報告を求め、「回答がない場合は再制裁や交渉を白紙化するよう通告すべきだ」と話している。
●一一月四日、朝鮮総連中央本部の土地建物の競売で、最高裁第三小法廷(木内道祥裁判長)は、不動産業マルナカホールディングス(高松市)への売却許可を不服とした総連側の抗告を棄却する決定をした。売却許可が確定し、落札代金二二億一〇〇〇万円の入金で所有権が移る。
 総連本部は日本と国交がない北朝鮮にとって事実上の大使館といえる重要拠点。明け渡しに応じない場合はマルナカが「引渡命令」を申し立てて裁判所による強制執行が実施される可能性もある。北朝鮮側は売却に強い懸念を示しており、拉致問題の再調査などをめぐる日朝協議にも影響を与えることが予想される。
 最高裁は今年六月、総連側が供託金一億円を支払うことを条件に効力をいったん停止していた。東京地裁は今後一ヶ月以内に代金の納付期限を定めるとみられている。
一一月五日、菅官房長官は記者会見で、朝鮮総連中央本部の売却許可確定が拉致被害者らをめぐる日朝協議に与える影響に関して「法的手続きに入ったものについて、日本政府として何もできないことを(北朝鮮に対し)明言している。まったく影響はない」と述べた。また、「後は(売却先の)マルナカホールディングスの判断だ」として、政府として働きかけない考えを示した。
 一一月七日、北朝鮮の朝鮮労働党機関紙労働新聞のウェブサイトは、日本出身の一〇〇歳の女性が北朝鮮国内で元気に暮らしていると紹介する記事を、この女性の写真付きで掲載した。北朝鮮が拉致被害者らの再調査に応じた五月の日朝合意以降、北朝鮮メディアへの女性の登場が確認されたのは、これで二回目。
 日本出身者を丁重に扱ってきたことを強調するとともに、様々な経緯で今も北朝鮮に住む残留日本人の存在をアピールし、日本側が最重視する拉致問題の矮小化を図ろうとする意図が北朝鮮側には窺える。
 記事などによると、女性は首都平壌近郊の南浦市に住む永松民玉さん。記事は「帰化した日本人女性」と表現した。東京出身で、父とともに日本の統治時代の朝鮮半島に渡り、その後地元男性と結婚した。夫は朝鮮戦争で亡くなった女性である。
 一連の動きは北朝鮮が国際社会への復帰を目指して、日朝関係改善に乗り出し始めたことを暗示している。
 日朝間での最大の懸案事項は、日本人拉致問題である。だが、その背景には米国の関与があり、北朝鮮の対日改善は対米関係の対応と同位相にある。北主導の対日関係の改善は、わが国に戦後体制の総決算を促すことになる。
 日本側にかかる認識なくして北主導での日朝関係の改善が進捗すれば、わが国は米朝の狭間で翻弄され続けることになる。また、支那や韓国も日朝協議の進捗に多大な関心を抱いて様々な情報工作を仕掛けることで、わが国を挑発・翻弄しようと種々策謀を仕掛けてくるのは必至である。  平成二六年一一月八日記