「イスラム国」テロ事件への一考察 
         (世界戦略情報「みち」皇紀2675(平成27)年2月15日発行第420号)

●一月二〇日、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」はインターネット上に日本人二人の殺害を警告する映像を公開し、わが国に対し七二時間以内に身代金二億ドルを支払うよう要求した。二人は昨年八月にシリアで拘束された民間軍事会社代表の湯川遥菜氏、昨年一〇月に拘束されたフリージャーナリストの後藤健二氏。
 一月二四日、後藤氏と見られる男性が湯川氏が既に殺害されたとの声明を読み上げる画像がインターネット上で配信された。そして「イスラム国」は後藤氏解放の条件として、ヨルダンに収監されているサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放を求めてきた。 
 この問題に関して地元メディアは、ヨルダン政府が後藤氏を含む人質二人と死刑囚二人の「交換」を模索しているとの観測記事を報道した。ヨルダンは自国軍パイロットを「イスラム国」に拘束されており、後藤氏の解放を優先すれば世論の反発を招きかねない事情があるからだと推測されていた。
 もう一人の死刑囚カルブリはイラク人で、「イスラム国」の前身「イラクの聖戦アルカイダ」を率いていたザルカウィ容疑者(二〇〇六年死亡)の元側近。二〇〇五年に起きたイラクでのヨルダン人運転手殺害やモロッコ外交官拉致に関与したとされている。
 一月二七日、後藤氏とみられる男性の新たな音声付き画像がインターネット上に公表された。「これが最後のメッセージだといわれた。時間はもう限られている。二四時間しか残されていない。ヨルダン政府に圧力をかけろ」と述べている。信憑性は不明で、日本政府は確認に追われていた。
●「イスラム国」とみられるグループによる日本人人質事件について、一月二六日の支那紙、光明日報は「安倍政権の積極的平和主義への挑戦だ」とする評論を掲載した。
 評論は、積極的平和主義を進める安倍政権が「国際貢献の強化」を声高に訴えた結果、人質事件が起きたと主張。今回の事件により、日本は反テロの「脇役から主役に変わった」と指摘した。さらに、事件を受けて多くの日本国民が「安倍政権の積極的平和主義に潜む巨大なリスクに気付くだろう」とした。
米国務省のサキ報道官は二六日の記者会見で、「イスラム国」が日本人の人質の解放の条件にヨルダンで収監されている重要テロ犯、リシャウィ死刑囚の釈放を要求していることに関し、取り沙汰されている人質の身柄交換に否定的な見解を示した。身柄交換についての見解を問われたサキ氏は、「米国はテロリストに譲歩はしない」と述べた。また、「イスラム国」が公表した湯川氏の殺害場面とする画像について「米情報機関は映像を疑う理由はないとしている」と語った。
一方サキ報道官は、「イスラム国」が激しい攻勢を続けていたシリア北部の少数民族クルド人の町アイン・アラブ(クルド名コバニ)とその周辺について「『イスラム国』に対抗する勢力が約七〇%を支配している」と述べた。
 米軍と有志国の軍は二五日から二六日にかけ、シリアとイラクに「イスラム国」の拠点を狙い計三四回の空爆を実施した。シリアでは北部アイン・アラブ周辺に一七回の集中的な空爆を加えたほか、イスラム国が首都と主張する北部ラッカの周辺も二回攻撃し、軍用車両などを破壊した。
一月二六日、米国が主導する有志連合の軍事支援を受け、「イスラム国」と戦闘を続けているシリアのクルド人部隊はトルコ国境に近いシリア北部の要衝、アイン・アラブを奪還した。ロイター通信がシリア人権監視団(英国)の情報として伝えた。
「イスラム国」は昨年九月以降、アイン・アラブへの攻撃を開始。有志連合軍は、近郊の「イスラム国」の拠点に空爆を繰り返していた。ロイターによると、クルド人部隊は「イスラム国」の全戦闘員を街から退けたという。
 一月二八日、ヨルダンのオンライン・ニュース配信サイト「ヨルダン・ニュース」は、「イスラム国」が後藤氏を解放する交換条件として釈放を要求しているサジダ・リシャウィ死刑囚について、ヨルダン中部ザルカの刑務所に移送されたと報じた。釈放の準備とみられるとしているが、移送の事実も含め真偽は不明。
翌二九日夕、「イスラム国」の日本人殺害脅迫事件で、モマニ・メディア担当相は、国営ペトラ通信に対して、ヨルダン政府が死刑囚解放の条件とする「イスラム国」が拘束中のヨルダン軍パイロット、ムアズ・カサスベ中尉(二六)の安否が依然として確認できないとし、リシャウィ死刑囚はまだヨルダン国内にいると述べた。
 メディア担当相は、カサスベ中尉の安否を確認できる証拠を示すよう「イスラム国」側に「非常に強く要求している」と述べた。中尉の安否を確認できる証拠が提示されれば、死刑囚の釈放に向けた協議に応じるとの考えを示した。
●二月一日、「イスラム国」に拘束された後藤氏を殺害したとする動画がインターネット上に投稿された。
 映像ではまず、「日本政府へのメッセージ」という英語の文字が表示され、続いてオレンジ色の服を着た後藤氏とみられる男性が屋外に跪き、その後ろにナイフを持った黒服の戦闘員とみられる男が立っている。
 男は「安倍総理大臣の間違った判断でこの男は殺害されることになる」と話し、そして、最後に後藤氏が殺害されたとみられる画像が映し出された。動画には左上に「イスラム国」の広報部門が声明などを発表する際に利用するロゴが表示されていた。
「イスラム国」が後藤健二氏を殺害した可能性が高まり、解放交渉に当たってきたヨルダン政府はいっそう苦しい立場に追い込まれた。
 同政府は、『イスラム国』に拘束されている自国の軍パイロット、カサスベ中尉の解放を重視する方針をとったが、中尉の安否すら確認できない状況が続いていた。
 中尉の救出に失敗した場合には世論の反発が高まり、国内情勢の不安定化につながることも懸念されていた。
 二月三日、「イスラム国」は拘束していたヨルダン空軍パイロットを殺害したとする映像をインターネット上に公開した。
 配信された映像と画像によると、ヨルダン空軍のカサスベ中尉は檻の中に閉じ込められ、生きたまま火をつけられて死亡したとみられる。映像の長さは二二分。冒頭でヨルダンのアブドラ国王を非難し、中尉殺害は国王の責任だと追及している。
 ヨルダン軍の報道官は映像公開の直後、中尉は一月三日に「暗殺」されていたと述べた。
二〇〇五年に起きたテロ事件実行犯として死刑判決を受けていたサジダ・リシャウィ死刑囚と、もう一人の囚人について、ヨルダン当局は死刑を執行したことが二月四日までにわかった。
「イスラム国」がヨルダン軍パイロット、カサスベ中尉を殺害したとする映像を公開したことを受け、ヨルダン空軍は二月五日までに「イスラム国」に対する空爆を強化した。事実上の報復とみられる。
 ヨルダン政府幹部は、同国空軍が米国と協力し「イスラム国」が「首都」と称するシリア北部ラッカで空爆を始めたとメディアに明らかにした。ラッカ周辺はカサスベ中尉が空爆したと伝えられる地域で、幹部は「中尉殺害を受けた空爆だ」という見方を示した。
 二月五日、ヨルダンのアブドラ国王はカサスベ中尉の出身地である同国中部カラクを訪れ、中尉の父らと面会し弔意を表した。国王は中尉を殺害したとする映像の公開を受け、訪米日程を切り上げて四日に帰国。すぐに国軍幹部を集め「英雄であるカサスベ中尉が流した血を無駄にしない」と述べた。「イスラム国」との戦闘は「無慈悲なものになるだろう」と壊滅する方針も示したとされている。
●二月六日、「イスラム国」とみられるグループは、ヨルダン軍が同日シリア北部ラッカ近郊で行なった空爆で、米国人女性一人が死亡したと発表した。
 真偽は不明だが、米軍が主導するイスラム国掃討の「有志連合」に参加するヨルダンと米国を牽制する狙いがあるとみられている。
 投稿は「イスラム国」の支配下にあるラッカの広報組織「ラッカ情報センター」の名前で行なわれた。「ヨルダン軍機が人質の米国人女性を殺害」との見出しがつけられ、本文には、「六日正午ごろラッカ郊外の一地点が一時間以上、連続して爆撃された。『イスラム国』の戦闘員に負傷者はいなかったが、米国人女性一人が死亡した」とある。
「イスラム国」は、女性の名前を「カイラ・ミューラー」としている。米紙ワシントン・ポスト(電子版)によると、ミューラーさんは二六歳。シリアで援助活動に従事していた二〇一三年八月に拘束され、家族は多額の身代金を要求されていたという。
 ライス米大統領補佐官(国家安全保障担当)は「非常に心配している。現時点では『イスラム国』の主張を裏付けるものはない。情報を精査している」と述べた。また、「『イスラム国』の野蛮な行為は、世界の団結を強めるだけだ」と語り、米国と有志連合による「イスラム国」壊滅への決意を強調した。
 ロイター通信によると、ヨルダンのモマニ情報相は六日、投稿について「非常に疑わしい。悪質な政治宣伝ではないか」と疑義を唱えた。
●一連の流れは、「イスラム国」が日本人二人を拘束し、その釈放をめぐってヨルダン政府が巻き込まれて苦境に陥りヨルダンと「イスラム国」の対立が激化し、米国主導の対「イスラム国」打倒有志連合の結束が強化され、日本もその一員に組み込まれる動きが加速されつつある現状を象徴している。
 一連の流れについて、政府が秘密事項に設定しているため詳細は不明である。だが、日本が天啓一神教文明世界の神々の争い(ハルマゲドン位相)に巻き込まれて、反イスラム陣営に組み込まれる危険性が暗示されている。
 現在の世界情勢は人類文明史における大転換位相にあると見なしても過言では無い。わが国は神国と言われてきたように、ハルマゲドン的な世界を救済する文明を構築する使命を担っている。今こそ、その使命に覚醒すべきである。 平成二七年二月七日記