黒潮文明論    索引  

                    

 3 黒潮に乗って蝶が渡る
   (世界戦略情報「みち」皇紀2669(平成21)年3月15日第290号)

●田中一村(いっそん)という、孤絶孤高の画家がいた。明治四一年生まれ。東京の画壇と関係を絶ち、昭和三三年から、昭和五二年九月一一日に六九歳の生涯を終えるまで、奄美大島の名瀬で亜熱帯特有の多彩な動植物や風景を描き続けた。七歳の時に児童画で天皇賞を受賞し、弱冠一九歳で当時の国民新聞社で奉賛会が開かれ、全国美術家名鑑にも掲載されるほどだったと言うが、画壇の諍いがあったらしく、東京を離れ、奄美に移り住み紬工(つむぎこう)で生計を立てながら、亜熱帯の自然を描ききった。その死後、作品が注目されることになり、黒潮の画譜を収集した美術館が、奄美大島の地に建設されている。蘇鉄やあだん、ダチュラと言った植物や、アカショウビン、虎ツグミなどの鳥、伊勢エビやベラなどの魚を精密なデッサンを基に描いている。ツマベニ蝶がデイゴの花に群がる「奄美の杜」と題する大作もある。画壇の虚飾を捨てて、黒潮の風景を切り取ろうとした迫力が伝わる。杜の林の切れ目から奄美の海が見える。西日が潮に反射している。亜熱帯の陽光の色彩が田中一村の作品の中に凝縮されているかのようだ。
 沖縄の与那覇朝大(よなはちょうたい)画伯がまだ存命のころ、田中一村が沖縄に来ていたらどんな絵を描いただろうかと聞いたことがある。与那覇画伯の絵は琉球の城の石積みや、ガジュマルの木のまつわり具合や、赤瓦の琉球の家屋、髭を蓄えた沖縄のサムライや凛とした女を数多く描いている。ハーバービューホテルの玄関近くに掲げられていたのは琉球の小型の船のサバニがコバルトブルーの海に浮かんでいる、沖縄の海を象徴する油絵だった。与那覇画伯は石垣島出身で、若い時には独学で肖像画などを米軍基地の前で書いたりしながら絵を習ったとかで、田中一村のように南画系統の日本画ではないから、別世界かも知れないが、島々の光の量が変わるだけで、共通の色彩のように思う。東京の有名建築家が建てた役所の高層建築を見ながら、珊瑚礁の石垣に遠く及ばないコンクリの粗雑な壁を二人で蹴って爪先を痛めたことがある。与那覇朝大氏は伊平屋島にある念頭平松(琉球松の名木)を描いているが、松の近くに寄るばかりではなく、松の幹を抱きしめて松の精気を吸収して描くのだと言っていた。与那覇画伯は沖縄限定の切手のデザインを何種類かしたが、切手印刷の色合わせはいつも手間暇がかかった。その理由は、東京の印刷局の色は黒潮の色と比べるとくすんだ色が好みで、また逆に黒潮の色が鮮やかすぎるからであった。
 名嘉(なか)睦念(ぼくねん)氏も沖縄の版画家であるが、世界環境会議が開かれたときに、その記念切手をデザインした。切手の枠に、珊瑚のペンダントを淡くしたような、かすかに桃色の気配を含んだ色がなかなか出せなくて、担当も苦労したようであるが、黒潮の色合いが籠もって、後世に残る記念切手となっている。
●田中一村の陽の光が西日であるのは、黒潮が島々の北側を流れているからである。南西諸島東岸は太平洋の荒波を受けて断崖絶壁になっているところが多い。人の住居は太陽の沈む西側に集まり、那覇や名瀬、宮古でも石垣でも与那国でも、大きな集落は「いり」側にある。日の昇る方角が「あがり」、沈む方が「いり」、「にし」が北である。家々の玄関もいり向きだ。夜寝るときの枕の向きは、あがりか南で、北枕は凶とされる。南風原は「はいばる」と訓むが、南は「はえ」または「はい」である。田端義男の歌う「島育ち」に朝はにし風、夜は南風とあるが、そのにし風は北風のことで、はえの吹く夜は眠られぬともある。じくじくと湿っぽい熱風が南から吹くと耐え難い暑さの夜となる。浜辺で潮騒を聞きながら、月が昇るのを待って夕涼みをする時の三味線の音は月影に吸い込まれるかのようだ。北からの季節風もきっと幾分和らげられている。一一月の初めころ吹く「みーにし」はみーが新しいとの意味で、初めての寒風であるが、九州や本州の沿岸のように厳しい季節風ではない。渡り鳥は黒潮の上の風を捕まえて渡りをする。新潟大地震の山古志村の鳥がアカショウビンであったことには驚かされた。宮古島の元高等農林学校の植物園の鳥がワタリをしたのかと思ったものだった。
 田中一村も嘴が朱色で眼が不均衡に大きく鮮やかなこの鳥を好んで描いている。さしばも島伝いに渡る。伊良部島の止まり木が少なくなったが、それでも季節になれば渡る。ツグミの類は昔は月のない暗闇の空を、おそらくは天敵に見つからないため好んで渡ったから、しかも空が真っ黒になるくらいの大群であるから、羽音だけでも不吉である。ユワトゥシといって、大人も子供も渡り鳥の通り過ぎる夜に戦いた。羽音の大きさからすれば黒潮の流れと同じ北向きに渡る鳥の数が多いように思う。蝶も渡る。テフテフは、黒潮の世界では「はべら」である。神々の御拝所には蝶々の大好物の木があって、蝶の長旅の休息所になっている。田中一村の絵の構図のように、蝶は花蜜を求めて鳥か人の魂のように木に群がる。おそらく蝶は、黒潮が造る大気の上昇下降の気流に乗って、長距離の海上を鳥のように渡るのだ。 (つづく)