黒潮文明論    索引  

                    

 7 宝貝に象徴される黒潮の豊穣
       (世界戦略情報「みち」皇紀2669(平成21)年5月15日第294号)

●宝貝の広がりも黒潮の豊饒に連なっている。貝という漢字は、宝貝の象形からできている。宝貝は豊饒の象徴であり、ポリネシアの酋長も古代支那の王朝の貴人も首飾りにしている。
 ボストンの隣町ケンブリッジにあるハーバード大学付設燕京(エンチン)研究所は北京の精華大学と米国キリスト教関係者による大学設立に連動し発足した研究所で、日本を含む東アジア研究の中枢の地位にあり、支那、朝鮮、日本の文献を大量に所蔵している。
 そこの談話室の壁に西太后の油絵が掛かっていた。西太后は宝貝のネックレスをしている。支那大陸本土の中に貝があるわけがないし、沿海にも宝貝は産出しないので、その原産が日本の南西諸島と推測することは容易である。支那が琉球と呼ぶ所以である。宝貝は沖縄本島と宮古島との間にある黒潮の育む珊瑚礁に住み着いていて、大潮の時に海面に姿を現す。大珊瑚礁で採れた貝がはるばると朝貢貿易で運ばれて、西太后の首飾りになったものだろう。南支那海の群島も勿論大産地である。逆に、春秋戦国時代の燕の国の明刀銭が竹富島で発見され、前漢に初鋳造された五銖銭も出土しているから、交易路を伝って支那大陸に浸透したのは、駆虫薬としての海の海草の海人草だけではない。琉球王朝になっても、大明帝国に何と!五五〇万個の宝貝を朝貢した記録があるという。一六世紀というから、最近の話である。
 大日本にはそもそも発想がなかったので免れたが、宝貝は奴隷貿易の対価ともなった。インドやアフリカでは、収奪の媒介手段として機能した。インド洋のセイシェルなどに貝を思わせる群島があるように、モルジブなどの珊瑚礁のある島嶼から大量に採取して、帆船で運搬された。豪州で金鉱が発見されマルクスの世界革命の予想が頓挫し、西洋植民帝国主義が延命するが、それ以前には豪州の珊瑚礁や南太平洋の島々も貝殻を大量に供給して植民地経営の根本手段を提供した。文字通りの宝箱だったのだ。
 英国本土近くで難破した船には、何トンもの宝貝が積まれていたために、それが海岸に流れ着いて、宝貝が北海で獲れると思い込む者もいたという。その時代の名残であろうか、収集家もおり、珍しい宝貝は今なお高価で取引されている。
 英語では宝貝をカウリーと言うが、ヒンズー語からの借用である。ちなみに、古語の残る南島ではワンニャクと呼ぶ。子安貝とも呼ばれるが、これは八丈島あたりで産する大きめの宝貝であろうし、その形状から名付けたものだろう。
 南島では宝貝を算出する珊瑚礁をヒと呼ぶが、女性の性器もヒと呼んで、共通性がある。今は火をヒと呼ぶようになっているが、松明(たいまつ)の言葉に残るように、火をマチと呼ぶのが古の言葉であるとすれば、松明は大きな火の意である。三島由紀夫の小説『潮騒』の若い男女が結ばれる場面ではその火を跨いでこいと呼びかけるが、火でヒを象徴しているように読める。
●宝貝ばかりではなく、その他の貝も腕輪などの装飾となり、珊瑚礁の海に生息するゴホウラ貝やイモガイなどの巻貝の飾りなどは、北海道の貝塚からも発見されている。
 貝塚は世界的に見ても、東アジアの沿海域に濃密に分布している。東京湾の台地の端には貝塚が集中している。洪積台地の端はほとんど貝塚ではないかと言うほどの集中である。紀伊長島あたりでは、民宿でホラ貝の刺身が供されるほどであるが、修験道のホラ貝は、月山や羽黒山に行っても、黒潮の海鳴りを思い出すための方法のようだ。大名の娘の嫁入り道具の一つでもある絢爛豪華な貝合わせも、黒潮の豊饒の印である。二枚貝をミャーとかニャーと呼ぶが、宮に通じて、神の社の根源に豊饒の二枚貝が見え隠れする。女子の名前の美奈子とは、貝の子供との意である。おみなには生命がかかる。
 世界的な石油会社であるシェル石油の社章は黒潮の貝ではないが、日本のホタテ貝である。同社を横浜で創業したユダヤ人マーカス・サミュエルは、湘南の海岸で貝殻を拾ってロンドンに送り財をなした。一八六六年に横浜にマーカス商会を設立した。ボルネオで石油を掘り当てライジング・サン石油会社を設立、日本に送った。タンカーの一隻一隻に自分が拾った貝の名前をつけた。日清戦争では日本に軍需物資を売り、台湾ではアヘン公社の経営に関わる。一九〇二年にはロンドン市長になっているが、日英同盟との関連を想像させる。市長就任式に日本の駐英公使を招いて行列の馬車に同乗させたという。当時の英国にはユダヤ人差別があり、海軍に石油を納入していたので反感を買い、後にロスチャイルドに買収され、英蘭連合の会社として提携することになる。今は本社をオランダのハーグに置いているが、この会社が続く限り、社章だけはホタテ貝とすることを譲らないと見える。
 日本には、ユダヤ人を排斥した歴史はない。ワシントンで事件を起こした朝鮮系米人の著名ロビイストも父親が在平壌シェル石油の総支配人だったと述懐していた。    (つづく)