黒潮文明論    索引  

                 

 13 一枝も心して吹け沖つ風
     (世界戦略情報「みち」皇紀2669(平成21)年9月1日第300号)

●神島(かみしま)は伊勢湾にある。現在の行政区では鳥羽市に属する。だから、定期船は鳥羽市の経営で、最近では高速の双胴船二隻も投入されている。陸に近い方の菅島(すがしま)に立ち寄り、神島と連絡している。菅島の岬を離れると太平洋の波が直接打ち込む海峡であるから、南風の時にはうねりがあり、双胴船の腹を打つようになるが、それでも高速で時間の節約になるから便利だと島の住民はいう。神島の集落は島の西側、つまり、伊勢湾側にある。台風の時は外洋側は松の木が倒れるほどの強風になるから、冬場の寒風のことを考えても、家々は西側の入江に立地する。最近ではコンクリートで固めた防波堤ができたから、船を陸に引き上げる設備があれば、漁船も何とか島に留めることができる。伊勢湾の潮の流れの興味深いところである。神島は鳥羽からよりも、伊良湖岬の方が距離的にはずっと近いのであるが、波の高さは、渥美半島へ渡る方がずっと高く、潮の流れは、伊良湖水道を横切る方がずっと難しいという。今では動力船であるから、市営の定期船よりも小さな船が難なく往来しているが、その昔の手こぎか帆掛け船での横断は難儀だった。だから距離があっても鳥羽と行き来する方が簡単だったのだ。知多半島の師崎あたりに遠縁の親戚がいたにしても、姓が同じだけで疎遠になっている。
 ちなみに、和歌山県の田辺市に神島なる地名があり、南方熊楠所縁の神島として有名だが、そこは「かしま」と訓む。鹿嶋の神宮にも繋がる訓み方である。常緑の森があり、粘菌について御進講をすすめるにふさわしい土地柄であり、熊楠は

一枝も 心して吹け 沖つ風 わが天皇(すめらぎ)の めでましゝ森ぞ

と誇らかに詠っているが、伊勢湾の神島も同様である。
●鮑や栄螺が獲れるから、海女の仕事も残る。鮑の禁漁が解けるのが夏期の一〇日間ぐらいであったにしても、サラリーマンの仕事を休んででも真夏の海に潜りにもどる若い女性も相当いるようだ。天竜川の先から御前崎のあたりまでは、今でも気軽に出かけているらしい。神島には鏡岩という岩がある。女が岩に油を塗って鏡代わりにしたという。陽光の反射板になった可能性もある。大学生が土に埋もれた岩の復旧作業を手伝っている話が名古屋の新聞に美談で紹介されていた。
 島の神社は、八代神社である。八代(=八大)竜王の名前が被さっているからには、島の悩みの水不足の歴史を思い出させるが、今では送水管で水が鳥羽市から送られている。御祭神は綿津見命である。文字通り海の神様で、参道に真新しい玉砂利が敷き詰めてある。この神社の森から鳥や蝶々が更に南方の島に渡りをする。蝶の浅黄まだらや鳥のさしばがこの島を渡る。琉球の宮古島の隣の伊良部島に今でもさしばが渡っているが、その一群が神島にも立ち寄る可能性がある。山上に海辺の光景を造りあげておくことは渡り鳥や、わたり蝶のためにも必要なことである。内陸部の民が、海辺の思い出を大事に守っていることは、先号に書いたが、上高地の明神池の畔の明神社の御祭神も海の神様である。
 神島の真西の方向に伊勢の斎宮がある。伊勢の奥宮である朝熊山(あさまやま)から見れば、神島の頂上が富士山と一直線上に結ぶように建立されており、夏至の日には神島の頂上から太陽が昇るのは、荘厳である。
●海の民の共同体の精神を幼い子供の時から叩き込むため寝屋子(ねやこ)制の若者宿も答志島(とうしじま)あたりには健在であるらしい。若者宿の仮親である寝屋親(ねやおや)は、若者の結婚式には仲人となるから、擬制的な大家族とはいえ、外来者から見れば、派手派手しい振舞いの、盛大を極める祝宴となる。若者宿とは親元を離れて共同体の中で集団性の束縛を考え自覚を養いながら生きる知恵を習うための海人の若人の人生修練の場で、外来の脆弱な個人主義とは縁遠い青年教育の場だった。最近の分断された個の確立などという、怪しげな外来の教育方法とは縁遠い世界が、まだまだしぶとく生き延びているのは心強い。
 神島は三島由紀夫の名作『潮騒』の舞台である。小説では歌島(うたじま)になっているが、カシマの音が念頭にあったものと思われる。主人公の青年は、この島から、沖縄の運天港に旅立つ。カシマ立ちである。その熾火を超えてこいと名指しをした許嫁との約束を守るためにも、台風の波風が逆巻く沖縄の山原(やんばる)の港で一人前の男になる。現代に肉体も精神も屈強な綿津見の命が、ひとり誕生する物語である。
●離島振興法が大改正され、特に港や船の設備の改善は著しいものがあったが、反面、菅島の港にかかる巨大な橋のように何のための土木工事かと疑う施設が残骸となりつつある。市場原理主義が伊勢湾の島にも密かに入り込んでいた証拠物件を見れば、伝統と文化を破壊する連中の高笑いと、島人らの噎(むせ)ぶ嘆きが伝わるようでもある。連絡船船長が「義を見て為さざるは勇なきなり」と神島郵便局長に転身し十五年が経つ。先の選挙でわが邦では虚妄の市場原理主義に鉄槌を下したが、島人らは新政権に潜む外来思想の政治暴風を、なお警戒している。(つづく)