黒潮文明論    索引  

                     

 30 錦織の模様のような言語地図
         (世界戦略情報「みち」皇紀2670(平成22)年7月1日第319号)

●黒潮の民の言語表現は、実に多様・複雑だ。周りがわずかに二十四里(百キロ)の島でも、集落ごとに言葉の彩りが微妙に異なる。島の北と南では、もう単語が違うことすらある。蛙のことを、北では、ゴロージャ、南では、アッタラといい、ビッキャとも言う。トンボなどは、イージャンボーラと言う。古語のあきづも残る。芋は北でハンシン、南ではヤンである。不思議な空間だ。集落の境界も、五十年前までは道路が無いから、深い峡谷でなくとも、小川で橋が架かっていなければ人の往来は遮られた。共同体が文明単位として成立する条件としての農耕の田畑と、人の生死を祀る場所さえあれば、小さな島でも、群雄割拠のいがみ合いに至らずに、ひとまとめの境界線を引くことが出来た。舟で余所から上陸した者は、網を干して刳り舟を修理しながら、海岸の砂浜のあだんの茂みの脇に大風をよけるヤドリ(宿り)を建てて、そのうちに兄弟とした。八重山の小島で、糸満の言葉を話して門柱の上に漁労の印にジュゴンの骨を飾る集落があり、南面では、遙かな南方に祖先がいることを想像させる言葉が話され、お互いの言葉が通じる訳でもないが、生活を共存させてきた。琉球の島々でもこれ程だから、ポリネシアやパプアニューギニアの島々の言葉は、気が遠くなる複雑さだ。フィリピンやインドネシアの言葉が、モザイク模様に入り組んでいることは間違いない。旧ソ連の情報関係者が作成したインドネシアの言語分布地図が、国際関係学校の寄宿舎に誇らしげに張り出されていたが、言語の多様性が、美しい刺繍の模様の如くに色分けされていた。
●元来文字を持たないのも、黒潮の民の特徴である。博覧強記の口承能力で、文字を持つ大文明と出会ったときや、飲み込まれそうになると、その文明の文字を使って、必死に民族の歴史を記録する。万葉仮名も、古事記も日本書紀もグローバリゼーションと対峙する境界で成立した。琉球のおもろそうしも、そうだ。遣唐使を廃止して、古今和歌集を仮名文字を使って編纂するまでに、随分と時間をかけている。日本では、漢字の訓読みを発明して、外国の文字の発音をそのまま借りることをせず、昔からの発音をいちいち当て嵌めていったから、頭の中の言語認識の構造、つまり、民族の精神構造を破壊することは無かった。漢字は、訓読みもして、国字もたくさん追加したから、日本文字となった。日本語は、自然音を言語中枢で聞き分けているという。今年は、日韓併合百年の議論のある年であるが、朝鮮で発明された訓民正音は、植民地支配の間にも学校で教えられていたと言うから、元来文字を持たないという点では共通するから、半島にも黒潮の民の影響がある。インドネシアなどでも、元々は文字がないから、オランダの支配から独立した後、統一の国語を表音文字のアルファベットを借りて表現した。最近、スラベシ州の市が、少数言語である地元のチアチア語をハングルを使って表現することを決めたとする報道が話題になった。
●旧南洋群島で、国際連盟の委任統治となってから、日本語教育がすんなりと受け入れられ、相当な内容の日本語が現地に残ったが、あえいおうの五音で母音が成り立つ共通点もさることながら、借りてきた表音文字で、自分の言語の構造を保存するという手法は、黒潮の民の生き残り作戦であり、島嶼の言葉を仮名文字に写して力を出した。ハワイのアロハも、台湾万葉集の世界が残るのも、眼中に文字ひとつ無くとも、音を言語中枢に入れて捉える能力による知恵で、押しつけではない。インドネシアでも大変な苦労をして、オランダの主人の為にアルファベットを習い、コーランを読むためにアラビア語を習ってきたから、アルファベットに加えて、朝鮮半島からの訓民正音で、少数言語保存の可能性が開けたことは、黒潮の民の自己保全からすれば慶賀すべきで、実に興味深い実験である。
●左脳と右脳の違いを調べると、音楽音や雑音は右脳、言語音は左脳というのは、日本も西洋も共通するが、母音、泣き・笑い、虫の声、風波、せせらぎなどを、日本人は言語と同様の左脳で聴き、西洋人は楽器と同じく右脳で聴いているとの有力な説がある。漢字だけにするのか、仮名だけにするのかという激しい対立は日本では見当たらないが、韓国では漢字正統論者がいて、それに反発しするハングル一辺倒の論旨も強烈である。訓民正音がアルファベット同様の音として右脳で聞いてはいないか検証すれば、ハングルが黒潮の民の言語表現と保存に真に貢献できるかどうかの目処が立つ。ハングルは音素を正確に表現するが、音節を捉える平仮名や片仮名とは違い、揺らぎがないから、むしろアルファベットに近い。横文字のアルファベットがそのまま使われていれば土着に至っていないとの判断で、その次に片仮名で書かれていれば、生半可の流行の袢纏(はやり はんてん)として打ち捨てるのが日本の習いだ。概念定義が定まらない間は、雑音として聞く耳をもたない。ワンワールド言語が世界を制覇しつつあるように見えるのは虚妄で、黒潮の民が言語多様化を後押ししているのが現実だ。(つづく)