黒潮文明論    索引  

                   

 52 牛に引かれ大海を渡った黒潮の民
           (世界戦略情報「みち」皇紀2671(平成23)年7月1日第341号)

●人が海を渡るのに、泳いで渡れない距離を船を漕いで渡るにしても、筏を組んで、凪(なぎ)で風波が無い季節に動物にひかせて相当の距離の海路を往来したことを聞くと驚かされる。奄美のシマ唄の有名な唄者の坪山豊氏はもともと船大工で今も奄美大島で伝統的な船を造っておられるから、海の話に詳しい。日本列島知恵プロジェクトというサイト(http://www.chie-project.jp/005/no01.html)には、奄美出身の新進歌手の元(はじめ)ちとせ氏が、坪山豊氏にインタビューした記事が掲載されている。
「梅雨時期のことを島では黒吹きと言います。黒い雲がかかって雨は降らんで風が吹く。それが上がったら、シラハイになる。シラハイというのが今です。白い雲で南の風のこと。そしてもうそろそろうーぎゃんとぅりになる。どこまでも泳げるべた凪のことを島口(しまぐち)(島の方言)でそう言います。そのときは、魚はまったく動かないから釣れない時期。この凪の期間を利用して、昔、瀬戸内の人たちは、イカダで徳之島から牛を買っていました。イカダに牛の草を乗せて牛を泳がせてひっぱらせるんです」「徳之島から牛を泳がせるんですか?」その言葉に驚くと、「動物で一番泳ぎがうまいのは牛ですよ。次は猪。同じ季節にはその凪を利用して、喜界島から住用(すみよう)の港までイカダで馬を買っていました。馬に泳がせて。そういう面白い生活が昔はありましたね」と坪山さん。
 平安座(へんざ)島は米軍が無理に珊瑚礁の海を埋め立てて海中道路と称する道路を通して沖縄本島と陸続きになった島であるが、その昔は、徳之島から牛の売り買いをする馬喰がやってきたと島で聞いた。沖縄の国頭(くにがみ)の安田(あだ)の港でも、昔は与論島との定期船が牛馬を積んで往来していたと聞いた。さぞかし王朝のまーらん船の時代には凪の季節に筏をしつらえ、闘牛に出すような立派な牛に引かせ島々の海峡を往来したことだろう。「ふてくされる」と日本語で言うが、闘牛のことを「ふてうし」という。「ふて寝」ではないが、泳がされてはかなわないと気が荒くなって、猛然と船の舳先から飛び込んで黒潮の海を泳ぎ出す気性の荒い牛がいたのかも知れない。
 石垣島から西表島に渡る観光コースに由布島という小島がある。海流によって堆積した砂だけの面積〇・一五平方キロ、周囲二キロの小島で、西表島との間は、通常は大人の膝に満たないぐらいの深さしかなく、満潮時でも一メートルほどにしかならないから、由布島と西表島間の移動手段として水牛の引く車が利用されている。由布島の水牛は、もともと台湾から連れて来られた水牛が繁殖したものだ。由布島は竹富島や黒島から移り住んできた人々で栄えて対岸の西表島の水田まで行き帰りして生活をしていたが、昭和四四年の台風により島は壊滅して、西表島などに移り住んでいったという。もともと島との連絡船や筏を牛が引いていた可能性が想像される。由布島の観光開発を牛車で成功させた沖縄の実業家の故知名洋二氏に牛車の由来を聞いておくべきだったことが悔やまれる。由布島の牛は台湾の水牛だから、その名前のように、もっと水に慣れていて、泳ぐことが得意なのかも知れないが、沖縄本島に水牛は渡っていない。
●島根の隠岐諸島は、日本海中に大小百八十以上の島々があるが、知夫里島(ちぶりじま)では冬になると牧草がなくなるので、冬でも牧草が残っているほかの島に、牛を泳がせて渡しているというから、黒潮の民にとって牛を泳がせることは、不思議な珍しいことではなかったのだ。松江駅には、泳ぎ牛弁当と言う名前の人気のある牛肉駅弁がある。猪が海を渡ることも知られている。長崎あたりの島では、親子連れの猪が海を渡っていく映像が撮影されているし、瀬戸内海の小豆島では、その昔、野生の猪が乱獲され絶滅していたが、また最近になって猪が海を渡って山に住み着いたらしく、農作物に対する害が話題になっている。構造改革で人里が壊され、山が荒れて野生の猿も増えた。
 風や波が無い凪のことを、南島の言葉で「とぅり」とか「のい」という。風が無くなることを「風が取れる」というのと関係があるし、天地の安寧を祈(いの)る祝詞(のりと)とも関連があろう。東日本大震災の大津波に、猫が住んでいることで有名な宮城県の田代島の猫が大方生き残った話を聞き、仙台で犬が飼い主を探し当てて来た話もどこかで読んだが、スマトラ地震では、象が真っ先に津波を避けて丘に駆け登った。動物の能力は人間を遙かに凌ぐ。小川ばかりではなく、池の深みを馬に乗って渡ることなど、南北米大陸の牧童などはいつもやっている日常茶飯事の芸当だ。犬かきをして犬は泳げる。兎も泳ぐが蛇も泳ぐ。梅雨を集めて水量が増した用水路には、アオダイショウが海を目指して泳ぐ姿を見かける。古生代から南島に住む毒蛇のハブは、その中で台湾と石垣島のハブとが同類で、沖縄と奄美のハブにもわずかな違いしか無いことは、上野の科学博物館の標本を見れば一目瞭然である。蝶々や鳥が大海を渡るように、牛馬に引かせた船筏で(ふねいかだ)海峡を渡り、人が大海を越えて旅した時代があったのだ。
(つづく)