黒潮文明論    索引  

                 

  60 徳之島方言の研究
   (世界戦略情報「みち」皇紀2671(平成23)年11月15日第349号)

●昭和五〇年と翌年の夏に、東京大学文学部言語学研究室を中心にした二〇人前後の学生が柴田武教授と共に参加して、徳之島方言の研究が言語地理学の方法で行なわれ、その成果は翌年『奄美徳之島の言葉──分布から歴史へ』と題し秋山書店から出版された。本稿の引用は同書に拠る。柴田教授は、三省堂から出版されてベストセラーとなった『誤訳』という新書を、W・A・グロータース(ペンネームは愚老足)というカトリック神父の言語学者と共著した言語学者と記憶する。
 余談であるが、グロータース神父は後に日本に帰化したが、ベルギー人で、パスポートには、「このパスポートを持つ者がベルギー国外で行なう行為について一切責任を負わない」と書いてあったと述べ、比較文化論を展開していた。日本国旅券には、「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えるよう、関係の諸官に要請する。日本国外務大臣」と書かれている。中東の空港辺りで諸国の官憲が手助けをしてくれることなど皆無で、アジアの国でも、日本人と判れば袖の下を要求される目印にされたことも珍しくなかった。日本では、青色の外交官用の旅券が別にあるが、イギリスの旅券はその区別がない。職業が外交官だとあるから、外交特権があるのであって、日本の場合には、緑色の公用旅券という種類もあって煩瑣にしているが、そうした旅券を区別する国際慣行はないから、大事にされる理由がなく、外国官憲からは却って疎ましい旅券と判断される恐れがある。現実にはジャングルで猛獣が解き放たれているような殺伐とした国際関係が支配している世界を、自在に跨いで旅行するには、この旅券の所持人をいじめるとただではおかないとでも書く方が効果的かも知れない。島国の外務大臣はナイーブで、諸国民の善意を信頼して期待しがちだ。
●徳之島では、集落毎に言葉が違うのかと思うほどに、各集落が独自性を保っている。南部の伊仙町が一つのまとまった言語圏となっているのは例外である。どの集落の言葉が一番良いかとの問に対しては、母間の言葉が良いと言う答えが島全体に分布しているが、言葉が集落毎で差異が少ない伊仙では、自分たちの言葉が標準語に直しやすいとの理由で一番良いとしている。母間の言葉がいいのは、やさしい、丁寧だからとの理由であるが、実際に南島の言葉は優しさがあり、初めて鹿児島弁を聞いたときには、島言葉の声調と比べて、喧嘩をしているように聞こえた程である。
 土間の囲炉裏の地炉(じる)にかけられていた鍋や釜についた黒い煤を松原の方言ではフグルと言っていた。魚の鱗をイッキというが、髪の毛から落ちる「ふけ」のことでもある。蛙は、島の北西部の松原方面では、ゴロージャというが、ビッキャ又はアッタラビッキャと呼ぶところが、島の北東を中心にある。伊仙や大部分では、アタラと言う。ちなみに、奄美大島の北部では、ビッキャ、南部では、ビキ、徳之島の南の沖永良部島では、ガークという。蛙が、こうも違う呼び方である。トンボは、松原方言では、イージャンボーラと言うが、島の南部では、ウッシャ、ウシャミャ、ウェーシャと言い、エーザマが、今の徳之島町の南部で、カネマと呼ぶところがあり、ビィートゥと呼ぶところもあるのは、驚くべき多様性である。トンボのことを日本の古語で「あきづ」と呼ぶからそこに繋がりがある。カマキリは、松原では、キョーキンバイ、亀津では、イッサルマイと呼んでいたが、集落によっては、ケーシャトバイ、ユーサイト、イサト、イッソダマイタン、タウツコ、などがある。方角は北がニシで、歌謡曲「島育ち」で「朝はニシ風、夜は南風」とあるニシ風は北(にし)風のことである。西はイリである。沖縄で、一一月初めに吹く季節風をミーニシと呼んでいるが、ミーは新しい、ニシは北で西ではない。音韻の分布は、丁寧語で貴方のことをウイと言うが、伊仙では、ウリと言う。鶏は、松原ではトゥイ、伊仙ではトゥリ、奄美大島の南部では、トゥルと発音している。鶏を呼び寄せるときに、トゥー、トゥーと呼びかけている。バナナは、バサナイと北部では言い、南部ではバサナリと発音する。針をハイと言い、南部ではハリだ。左はシジャイ又はヒダイ、南部でヒダリになる。ラジオをダジオと発音している人も結構いた。歯をファーと島の南部では発音していたし、南のハエは南部ではハイで、むしろ、島の北西部の松原当たりでファイとなるから、江戸っ子が日比谷公園を鴟尾屋講演(しびやこうえん)と発音しているようでおもしろい。ふくらはぎのことをクブラと松原では言うが、島の大部分ではクンバと発音している。ものもらいの腫れ物のことを、イビレと松原では言い、その他では、インベかインメと言っている。おできのことをニブトゥと言っていたし、牛の引く車を右に曲がらせようとする時には、ウニ、ウニと声をかけたし、ウシ、ウシと鞭打って左に曲がらせた。家の南側の小川をムェーンコ(前の川)といい、サイというアミのような甲殻類を掬(すく)った。湧き出る水をイジュンと言う。泉だ。清冽な島の思い出である。(つづく)