黒潮文明論    索引  

                    

 74 八女のクスノキと樟脳生産
     (世界戦略情報「みち」皇紀2672(平成24)年7月1日第363号)

●福岡の八女市に住んでいたことがある。昭和五三年の夏から年を越して、次の夏までのわずか一年間であったが、記憶には鮮明に残る。支那大陸では、文化大革命という暴虐の嵐が吹き荒れ、紅衛兵がスズメを追い回していることをあたかもいいことのようにマスコミが書いたり、挙句の果ては蝿がいなくなったと嘘八百を並べたこともあったが、共産支那の楽土を想像して大陸旅行をした連中は、惨状を見て内心がっかりして帰ってきたころだ。
 八女はお茶の産地だから、熱湯ではなく、湯を冷ましてから急須に移して注(つ)ぐ等のお茶の飲み方の作法も習ったし、驚いたのは、茶が不味くなるからという理由で、カルキを含む公共水道が、市制施行の町になかったことだ。この原稿を書くために知人に電話をして水道のその後を確かめたら、市内中心部には水道が工事されたが、町外れでは、やはり水道水の世話にはなっていないとのことだった。
 茶が不味くなるから水道工事は要らないし無駄だ、と相変わらずの意見だった。八女の南側に矢部川があり、北側には筑後川が流れているから、豊富な伏流水がある。春の長雨の頃には、蛇のアオダイショウが、市内を縦横に巡る水路を、木の枝のように流れていった。矢部川を上流に辿ると、深い谷になり、そこから阿蘇に抜ける山道がある。その山間部の星野のお茶などは、黒い膜を張って日陰にして手間暇をかけて育てるから、玉露の典型の上等至極なお茶だった。米国ハワイ選出の上院議員、ダニエル・イノウエ氏の両親の出身地が、この矢部川を奥に辿った山間の土地だった。
 信州の穂高あたりから一九世紀の末に、北米の大陸横断鉄道敷設のために海外に出稼ぎにいったことと同じで、明治の近代化があって、大木巨木を切り倒して山里の生活が楽ではなくなり、それが、戦後の共産党の山村工作隊が見果てぬ革命の夢をみて入り込む素地になったように思う。
 星野村で土産に買った桜の木の皮で細工した茶筒などは、あれから四〇年経った今も一寸の狂いもなく、蓋がぴったり合いお茶が湿り気を帯びない。当時は新幹線が開通しておらず、筑後駅も羽犬塚(はいぬづか)と呼ばれていた。八女には、大きな古墳が残されている。八女市北側にある陵上には、四世紀から七世紀にかけての古墳約三〇〇〇基が築かれており、この中心が岩戸山古墳であり、九州最大級の前方後円墳である。岩戸山古墳は筑紫君「磐井」が築いたといわれ、築造者と築造年代が推定できる貴重な古墳である。昭和五三年当時には、佐賀の吉野ヶ里遺跡などはまだ発見されておらず話題にもなっていなかったが、羽犬塚の名前からして古墳が連想され、筑後川と矢部川に挟まれた八女の一帯が地味豊かで古代から舟材としてのクスノキが繁茂する栄えた地域であったことは間違いない。
●八女市内に「鈍土羅」(ドンドラ)と字を当てる不思議な地名があるが、そこにクスノキの巨木が残る。ドンドラの楠である。墓の上に目印としてクスノキが植えられたとしているのは、熊本の戦国の武将の墓をクスノキが抱くようになったことと同じで、だから切り倒されることもなく残ったのだろう。今は熊野神社の敷地になっている。八女市に合併したが、丁度矢部川の平野から山に入って行く取り付きの場所である黒木町の津江神社にクスノキの大木が残っている。同じ町内の釜屋神社にも、まだ見てはいないが、大木があると言う。ドンドラの近くの馬場にもクスノキの大木があり、ここは熊野速玉大社の敷地になっている。クスノキが熊野の神様と関係があるらしいとも想像する。電話をした友人からは、久留米の善導寺町飯田にもクスノキの巨木が二本あるから、いつか見に行こうと旅に誘われた。筑後平野の南のみやま市瀬高町長田の新舟小屋には、クスノキの林がある。歴史が浅い人工林だが、元禄八年(一六九五)に矢部川の堤防を守る目的で植栽され、九〇〇本を超える林となっている。
●クスノキのエキスを集めて作る樟脳は、強い毒性があるから防虫剤として使用されてきた。昭和三七年に専売制度がなくなるまで、九州、四国、紀州各地で生産されていたが、八女や筑後近辺で天然の樟脳を生産する業者は、堤防に植えられてクスノキ林となった瀬高町の炭酸湧水の長田鉱泉近くに工房を構える内野樟脳一軒になっている。クスノキは切削機で細かいチップに砕かれ、釜に詰められ、下に水を入れ、薪を燃やし蒸留して、冷却槽に集めた蒸気を冷やし、結晶をすくいとり、結晶を圧搾機にかけて、樟脳とオイルを分離する。内野樟脳の製品は

ぎんなん工房
福岡県みやま市瀬高町長田二二六五の一
〇九四四・六三・二一六二(ファックス)

で販売されている。国内での樟脳生産は、みやま市瀬高町と宮崎県の日向市、それに世界遺産となった屋久島の三ヶ所だけになった。
●クスノキの北限はどこにあるのか。黒潮の木であるクスノキの北限の植生を尋ねて、勿来近くのいわき市小浜町にあるクスノキを近々見てくる予定だ。いわき市立夏井小学校の校庭にもある。熊野神社に虚空蔵のクスノキがある。平(たいら)の瑞光寺にもある。 (つづく)