黒潮文明論    索引  

                  

 75 クスノキ北限いわき市を訪ねた
        (世界戦略情報「みち」皇紀2672(平成24)年7月15日第364号)

●日本列島の太平洋岸にあるクスノキの北限が福島県いわき市小浜町(おばまちよう)にあるらしいと聞いて、一泊二日で取材の小旅行を敢行した。勿来(なこそ)の関の北側の海辺の小浜町には小さな漁港があり、今度の東北大震災でも、津波による大きな被害が出たことも聞いていた。小浜の集落の南側の砂浜は埋めたてられて、小名浜共同火力発電所が建設され、集落の中心に小浜漁港があり、北側は小名浜の港に繋がっている。クスノキは、神木になっているかと勝手に想像して、集落内のお社を回って探した。まず愛宕神社で、朱塗りの厳島神社の鳥居を縮小したような鳥居があったが、クスノキはなかった。漁港の上の那智神社には、お酒が一本供えられていて、大地震の後の安寧を祈る人がいることは分かったが、クスノキは見当たらなかった。町内に三社があり、もう一つの社は、海側で大津波を耐え抜いただけの風情で、叢林もなぎ倒されたように荒れていた。クスノキの北限を探して、念の為に翌日も聞き回ったところ、自生のクスノキは確かにあったが、床柱にするために伐採したとの話だった。昔の魚付林の近くにある岬の高台の家は、台風の時には風当たりが強いから、一〇〇年は経ったモチノキが整列して、防風林として大切にされていた。防風林にならない北限のクスノキは珍しさも加わって、大黒柱に製材されたのか。他に自生のクスノキがないかとしつこく探し回ったら、鹿の角製の釣針が発掘された大畑貝塚が近くにあり、貝塚公園の駐車場近くの空き地にクスノキが数本あったが、自生の確証はない。
●いわき市立夏井小学校の校庭に、クスノキの巨木が残る。てっぺんで烏が啼けば八咫烏にみえる様な巨樹である。神社仏閣の境内ならいざ知らず、学校の庭に残っているのは珍しいが、校庭の南の角に、占領軍の言いつけを無視して二宮金次郎の銅像も残っていたから、神様の依り代になるクスノキを切らずに残した心意気の人々が地元にいたようだ。近くに、石城国の国造の墳丘とされる甲(かぶと)塚という円墳もある。夏井小学校の地名は塚越であり、その甲塚の先の海側にあるからだ。山側には、大國魂(おおくにたま)神社がある。石城国が、養老二年(七一八)に置かれ、一帯がその中心地となった。石城国が陸奥国に編入された後は、岩城郡となり、大國魂神社は岩城郡の郡司が奉斎する神社として崇敬された。大国魂神社には大杉がある。タブの巨木もある。タブの木は、クスノキ科であるが、その北限は三陸沿岸となっており、岩手県の船越大島に北限の自然林があるから、クスノキよりも寒さに強いらしい。夏井小学校のクスノキは自生にはみえない。黒潮の民が南方から持ち込んで植えて、日本最北限の大木になったのだろう。
●国道旧六号線沿いのいわき駅に近い熊野神社に、虚空蔵のクスノキがある。地番はいわき市平塩字宮前地内である。銀杏の大木もある。保存樹の看板も放置されていたから、手入れはおろそかになっている。いわき市錦町御宝殿の熊野神社のクスノキは勢いのある樹だ。熊野神社は、鮫川の右岸で常磐線の鉄橋から四〇〇mほど上流側に鎮座している。昔の船着場の跡だろう。紀州の熊野川の本宮大社が熊野川の中洲にあったように、その昔は、このいわきの熊野神社も鮫川の中洲に鎮座していたのかも知れない。ケヤキの巨木があり、昭和五〇年まではもっと大きなケヤキがあって、同年八月二日未明の火災で瀕死状態となり翌五一年一〇月一五日に伐採された記録が残る。クスノキの巨樹は、社殿の近くの畑の先の宮司の住まいの脇にある。紀州の熊野本宮大社を参拝したおりに、全国の熊野神社分布図の資料があって、福島県には一番沢山の熊野神社の分祀が行なわれているとの記述を読んだことがある。このケヤキとクスノキのある熊野神社は下宮で、いわきの山側に奥宮がある。杉やケヤキやクスノキを舟の材料として人為的に植樹して来た名残りが平野部の森となって残る。福島各地の熊野神社は黒潮の民が波濤を越えて熊野の本宮と往来した証拠だ。
●いわき市平の瑞光寺に、クスノキの大木がある。すらりと天を衝くように植わっている。クスノキを街路樹として植栽した道路もあちこちで見かけた。特急列車が停まる駅がいわき市内には三つあるが、その一つ泉駅南口の広場にクスノキが一本植わっていた。きっといつか大木になる。案内役を買ってくれた徳之島出身の同級生は、炭鉱の町で人の出入りがあり、出自で分け隔てをしない土地柄だ、と評した。
 奄美大島出身の田畑(たばた)金光(かねみつ)氏(大正三年一月生)が市長を昭和四九年から三期一二年務め、公害を規制する環境アセスメントに尽力した。南方の樹種が繁茂しても抵抗のない北の境界にある。クスノキ北限の地いわきは、寂れた炭鉱町となったが、常磐ハワイアンセンターのフラガールの町として一世を風靡し、いままた福島原発の暴走という文明の反逆と対峙する南側の前線都市に変容した。放射能汚染で故郷を追われた者の仮設住宅が建ち並ぶ。地震直後の操業開始式にウォーレン・バフェットが参列して話題になった、イスラエル資本の傘下となったタンガロイ社の工場もある。(つづく)