黒潮文明論    索引  

                   

 98 黒潮文明の平等分配原理
     (世界戦略情報「みち」皇紀2673(平成25)年8月1日第387号)

●兵庫県福崎に民俗学者柳田国男の生家が残っている。実に小さな家だ。柳田は、日本人の住居の狭さが家庭生活の悲劇を生んできたと主張し、子供の頃に新婚の夫婦がその狭い家に同居していた経験があるらしく、エロスの世界が抑制されることをほのめかしている。柳田が立身出世をして西洋の洋館作りの家に住むようになったり、洋行したりした後の体験から来る比較の上での想像に過ぎないと思う。
 確かに、西欧で家庭訪問をすると、主人に、居間はもとより、洗面所から夫婦の寝室まで案内されて面食らうことがある。日本の場合には、せめて床の間の裏の小部屋が夫婦の寝室となり、昼間は布団の置き場になっているようなことがあっても、人様に見せることはしない。だからといって、家庭生活の悲劇の原因になるほどの禁欲主義になっている話は聞かない。
 インドネシアの多島海のバジャウの人々のように、住居を狭い家船にする民の経験から判断しても、柳田の仮説を肯んじることはできない。バジャウの家船に乗り合わせたドイツ人女性写真家の観察によれば、客人が、家船の屋根の外の舳先で眠るように配慮すれば、家船の夫婦の睦み合いを邪魔することもない。声は出さないし、動きは穏やかであるから、ほとんど気づくこともなかったと言う。キスもしないし、いざというときになっても、男女が裸で寝ることはしないと報告している。
 日本の雪国では、むしろその方が暖かいから、寒い夜には男女が裸になって布団にくるまって寝るという習慣があるが、たとえ情熱がいかに秘められていても、人前では愛情表現をあからさまにしないことがたしなみであり、黒潮文明に共通している。森鴎外の「舞姫」の小説にも、洋の東西の愛情表現の仕方が、ドイツから来訪した若い女性との恋物語の中で描かれているが、日本を含め黒潮文明の場合には、家族の男女の自由が心の中にあることをはっきりさせていて、外部の他者との関係を全く無視する没我の世界をつくることはしない。女の足が纏足になり行動の自由を制してエロスを感じる等の、遊牧民が家畜を扱うような気質は全くないことも指摘しておきたい。
 東京の国際都市化が進み、西欧人が都内の公共交通機関の中でも、舞姫のような振る舞いをしている向きがあるが、それは、単なる傍若無人の振る舞いでしかないから、むしろ黒潮文明をそのままにしておこうと考える向きは、さらりと注意することが大切であるかも知れない。江戸仕草のように遠慮深いたしなみも、家船のような狭い空間で調和を保つための生活の知恵を今に伝えている。むしろ、抑制された愛情表現は詩歌の世界にもち込まれた場合に大胆かつ奔放に解放されるのが常である。日本の源流の表現方法は、万葉集から寺山修司に至るまで残る。
●三重県の錦では、回遊してくるブリを集落総出で捕獲して、成果を分配する。その持ち分を、「株」と言うが、その原則はやはり、平等に分配することである。筆者は、子供の頃、トビウオ漁から帰ってくる舟の陸揚げを手伝い、魚を一匹二匹貰ったが、子供でも何らかの取り分が想定されていたし、のどかな風景を作るために猫の分け前も考えるような優しさがあった。ブリの「株」の場合にも、居住者の年限の制約があるにしても、単に余所者であるから完全に排除されるわけではなく、共同体の活動に対する貢献に応じて、老若男女の別なく公平である。つまり、黒潮文明における富の分配の方法は、平等が原則ではなかろうか。
 だから、新自由主義が主張するような、一部の者が富んでもいつかはその富が配分されて、皆が栄えるという思想は、黒潮文明では、国体や共同体の基本原理と合致しない。特に魚の場合には、生で食べるのか加工するのか、自家消費するのかが、迅速に判断されることになる。女達は、頭に盥とはかりを載せて町に魚を売りに駆け出すかどうかの判断を迫られる。黒潮の源流の地にあるバジャウの人々の、漁労を統率する指導者の資質は、漁獲を平等に分配する資質であると、明快に指摘されている。水揚げ高から創業費を差し引いた利益を分配するに当たっては、もちろん船主は、船そのものの経費、燃料・潜水具などの経費を負担しているから、全体で三人分を得ることができるように仕組まれており、魚群探知機がある場合には、更に一人分と追加換算される場合もある。その他、日本の地引網の漁や山地のまたぎの分配なども、平等な分配が原則である。
●さて、操業費を融資の対象として、漁獲による生産物の全てを融資元に売らなければならないとする商慣行が持ち込まれた場合に、平等主義の原則が崩壊する。この場合、融資が無利子となっても、買い上げ価格は融資元に有利に設定され操作されることになり、操業費の分担金に対する借金には三割の利子がかかり、船主の取り分であるから、他の漁労者の取り分は、減る仕組みに変質する。支那人の融資元が多島海のバジャウの漁民を収奪する仕組みである。市場原理主義を謳歌して、経営者の給料を大幅に上げ、労働分配率を低下させた、日本の構造改革論の経営手法と同じである。(つづく)