黒潮文明論    索引  

                   
 本稿「黒潮文明論」が連載100回となりました!

 100 黒潮文明と硫黄
 (世界戦略情報「みち」皇紀2673(平成25)年9月15日第389号)

●石油天然ガス・金属鉱物資源機構の調査船「白嶺」が音波探査をしたところ、徳之島西方七〇キロの海底に新たな火山活動域が発見されたと九月一〇日(平成二五年)に一斉に報道された。オリンピックの東京開催が本決まりとなり、国中が沸き立っている中での報道だから、直径五〇〇メートルの火口状の地形を発見しただけで、そこに熱水を噴出する噴出孔や、特有の深海の貝や生物が発見されたとなれば、レアメタルが存在する可能性があるとして、海底大鉱山の発見でもあったような記事で、景気の良い話題作りであった。これまで、鹿児島の錦江湾の奥の海底にも噴出孔があり、レアメタルの埋蔵が確実視されたことを書き、その噴出孔の名前がしゃれていて、若尊(わかみこ)との名前がつけられていることも紹介した。米国のウッズホール海洋研究所が深海艇を使って、アフリカ大地溝帯で火山活動が活発に行なわれている紅海海底の噴出孔の撮影をしたのは、一九七〇年代の初めのことであったから、それから遅れること四〇年にしてようやく、海底調査船と最新の科学技術の精華を駆使して、自らの国土と周辺海底の探査ができるようになったのは慶賀すべきである。その徳之島の西方六五キロには硫黄鳥島がある。現在も火山活動を続けている無人島であり、今回発見された海底の噴気孔は、その直近にある。硫黄鳥島は北部にある硫黄岳と、南部にあるグスク火山とが接合して一つの山体となっている。硫黄岳は水蒸気を噴出する成層火山であり、グスク火山は中央火口丘として溶岩円頂丘がある二重式の成層火山で、周囲には爆裂火口の跡が残る活火山である。だから、硫黄鳥島の近辺の海底に、火口があるほどの活発な火山活動があっても、何の不思議もない。しかも、霧島や桜島の大火山帯の延長線上にあるとすれば、世界有数の金鉱山である菱刈鉱山などの鉱脈ともつながっている可能性すらあり、さらなる想像をかき立てる要素があるが、新聞の報道はおざなりで、肝心の硫黄鳥島のことには触れていない。
●硫黄鳥島は現在の行政区画では沖縄県に所属している。しかし、沖縄とは一九〇キロも離れていて、近場の徳之島を経由しての往来の方が頻繁だった。徳之島の北東に位置する天城岳の麓の松原や平土野の港からは、硫黄鳥島近辺を漁場とする漁民を含めて往来があった。沖縄ではなく、奄美の島々と通婚圏を共有していた。硫黄鳥島は奄美群島の一部でありながら、琉球王国では唯一の硫黄産地であったために、奄美群島が薩摩藩の直轄支配に置かれたときに、支那との朝貢貿易に支障が出ないように、そのまま琉球王国の領土として留め置かれ、明治の廃藩置県の際にも、そのまま沖縄県に帰属することになった。ちなみに徳之島の松原には銅山があり、松原銅山の掘削と硫黄鳥島の硫黄の掘削とは、共通する技術であったことが想像できる。硫黄は、その匂いを毒蛇のハブが避けるとして、徳之島では、家屋敷の周りに、卵の腐ったような匂いのする硫黄を粉にしてふんだんに撒いた。
●硫黄は、火薬の原料である。硝石と木炭とを混ぜると爆発的に燃焼することが唐代に発見されたが、それがヨーロッパに伝わったのは、ようやく一三世紀になってからであった。硝石は、山東半島あたりで大量に入手できたが、硫黄は火山の近くでしか入手できないために、東アジアでは、火山活動のある地域、つまり日本列島のその延長線上である南西諸島と遙かにフィリピンからインドネシアの火山地帯でしか入手することのできない希少な資源であった。火薬は宋の時代に大きく爆薬として進歩を遂げることになるが、鍵となる硫黄は大陸にはなく火山列島から入手する以外になかった。本州と九州の活火山はもとより、島では屋久島近くの硫黄島と、硫黄鳥島が重要な生産地であった。支那で火薬は発明されたものの、原料の三要素の一つは、黒潮が岸辺を洗う火山島でしか調達できなかったのである。東シナ海側の二つの硫黄島が代表となり、南シナ海側ではフィリピンのルソン島のピナツボ火山等の大規模な火山地帯で採集する以外になかった。硫黄は付木(ちきぎ)としても使われた。付木とは楊子の先に硫黄を塗ったもので、今のマッチに近い。火打ち石で熱してから炎を取り出すためには、硫黄が便利である。西欧でマッチを専売品とする国があるのも硫黄の希少性と利便性が原因である。硫黄は殺菌力があるので、特に、皮膚病、リウマチ、呼吸器系疾患に効く薬として使われた。南蛮(なばん)とよばれた梅毒にも効くとされて珍重された。漂白剤や防虫剤としても使われた。蚊取り線香が普及する以前には、蚊を追い払うためにも使われた。硫黄鳥島からの硫黄は琉球王朝の資金源となり、一七世紀以降は薩摩藩が背後から間接支配した。那覇の港の硫黄城(ゆわぐしく)は硫黄鳥島から運ばれてきた硫黄を集積した場所の名前だ。硫黄鳥島での採掘は大東亜戦争後も行なわれたが、昭和三四年に噴火を恐れて島民が久米島へ移住し昭和四二年に大噴火があって無人島となり、終わった。久米島の「鳥島(とぅいしま)」集落には硫黄鳥島からの移住者の末裔が住む。(つづく)