黒潮文明論    索引  

                   

 

   107 与那国島よりスンダランドを望む
         (世界戦略情報「みち」皇紀2674(平成26)年1月15日第396号)

●デイビッド・リーンの映画は、冒頭に雄大な景色を撮影して大作のテーマを印象づける。『ライアンの娘』は、アイルランドの白亜の海壁をまず空撮して、近くの岬の上で両手を広げる娘を大写しにして迫力を出しているし、『アラビアのローレンス』では、砂山の先をカメラが辿っていくと、突然大型貨物船が登場して、スエズ運河が画面一杯に広がり、砂漠の中を船が横切るように航行する構成で、圧倒する大画面にしている。『インドへの道』のカシミールの美しい山嶺の描写は原作フォスターの文章を越えて心に残る。
 筆者は黒潮文明論を反芻するために、一二月の下旬に久しぶりに与那国島に一泊の小旅行を東京から敢行したが、石垣から与那国島への飛行ではリーンの映画のようなパノラマが展開した。那覇から石垣空港までは、ボーイングの737で快適に洋上飛行する。石垣空港は移設されて滑走路を延長したから、以前のようにブレーキのきしみ音を引きずりながら着陸して、滑走路の端でようやく停止する危なっかしさは気配もない。ボンバルディア社の小型高翼のプロペラ機に乗り換えて、難なく離陸して与那国島に向かうが、冬の季節風を横風にして、西表島の上空を小刻みに揺れながら飛行する。完全に白色以外に何一つ見えない雲海の中である。雲の上に翼の端が出たかと思うとすぐに下降を始める。島の北側の海岸線に沿うように飛ぶ頃に視界が開けて、東端の高台にある灯台が見える。灯台の周囲は絶壁となっていて、北側の海岸に珊瑚礁がへばりつくように少しばかりあり、そこに白波が砕けているのが見える。石垣のようにコバルトブルーの大珊瑚礁地帯があるわけではないから、観光地としての魅力は乏しい。飛行機は、島の西の端まで飛んでから旋回して南側から侵入して着陸した。与那国空港も滑走路を延長したから、ボーイングの737型機くらいは那覇から直行させることも可能だろうが、採算を考えて石垣空港乗り換えの小型機で中継して運航しているのだろう。空港の食堂には、年に僅かに数回与那国島から遠望できる、台湾の三〇〇〇メートルの山々が屏風のように連なっている写真が張り出してあった。それこそ、リーンの映画のような景色であるが、今回も霧と雲が晴れることはなく、現実の雄大な眺望はなかった。防空識別圏は領土とは関係ないが、島の半分が台湾の防空識別圏に入っていたし、周辺の航空情報を提供する空域としては今でも台湾の航空当局が担当しており、与那国島と、台湾の北東岸にある花蓮市との距離は僅かに一一一キロである。黒潮がその間の海峡を滔々と北流する。昭和の初期には東洋一と呼ばれる鰹節工場もあった。カジキマグロの水揚げ高は、今でも日本一である。『老人と海』のように、サバニに乗ってマグロを追っかける海人のビデオを見た記憶がある。黒潮の一部は島の東側で南流しているとも言われ、与那国島は黒潮に取り囲まれている。水温が高い黒潮は水蒸気を発し、それが雲霧となって、冬も夏もいつの季節も、台湾の高山を見えない状態にしているに違いないし、ホテルの窓から見ると岬の先端に打ち付ける波頭は一〇メートルは優に越えていて、冬場は特に荒海であることがわかる。戦前は台湾銀行券の使用が例外的に与那国で認められていたし、戦後の一時期は密貿易ながら国境貿易が盛んに行なわれたように、台湾との間で人と物との往来は絶えたことはなかったから、国税たる関税を石垣まで出かけて銀行に支払うことをしなくても、大正一五年に設置された島の郵便局の窓口に納入できるように改善が行なわれたこともあった。一一一キロの距離であれば、見通し内でマイクロ波の通信回線もきっと設定できるし、今は石垣から西表島を経由して電話も放送の電波も中継されている。光海底ケーブルを設置するとすれば、黒潮を横切る大工事になることは必至であるが、与那国島と花蓮等の台湾東部とを情報通信や経済面で同期させることも可能だ。余談になるが、日本最西端の碑が建立されているが、この碑は国や県、町が建てたものではない。島の学校の卒業生が建てている。与那国小学校は、なんと古くは明治一八年に創立された学校で、創立以来一三〇年になる。島には高校がないから、若者は中学を出て島外に出るしかない残念な状況である。碑は日本の涯にあって、真の防人を自負する島の誇りと団結とを示している。
●今回、池閒苗氏に再会できた。大正八年生で九四歳になられた。司馬遼太郎が『街道を行く』の中で同氏のことを書いた。沖縄県立第一高等女学校三学年在学中に熊本逓信講習所に入所し、同所終了後に無線通信技師、つまり、日本初の女性無線通信士となり、終戦まで与那国郵便局に勤務した。島で黄色いビートルの車に乗っていたことを聞いて驚いた。『与那国ことば辞典』を出版されたのは平成一一年で、一冊頂戴して大切にしている。南の島陰にはダイビング船を穏やかに錨泊させていた。近年発見された海底遺跡は人類の起源の歴史をも書き換えつつあるが、わが黒潮文明論もいよいよスンダランドの探求に向かう。  (つづく)