かぐや姫の誕生     索引  

                    

07「齋明紀童謡考」補遺 
   盂蘭盆会──還らざる魂の帰還 (天童竺丸解説)
 
     (世界戦略情報「みち」皇紀2666(平成18)年12月1日第240号)


●盂蘭盆会に還らざる魂が帰還する
 齋明紀に出てくる盂蘭盆会と須弥山の関係について、前号で孫崎紀子氏の論考に些か疑問を呈したところ、早速にもお返事をいただいた。先に疑問に思ったのは、私の考えが至らなかったせいで、今回新たに解説していただいたお陰で、疑問はすっかり氷解した。
 今度のお返事にも重要な卓見が多く含まれているので、私信ではあるが、あえてここにご紹介することにする。ただし、さらなる誤解を避けるため、孫崎氏のお考えについて今回の私信をも含め、予め要点を整理しておきたい。
 まず第一に孫崎氏の考えには、幽明界(さかい)を異にした者の魂は決して還ってくることができないと古代の日本人たちは信じていた、という前提がある。
 その「還らざる魂」が帰ってくると信じられるようになる信仰史における一大転換点が齋明天皇の時代であり、その転換をもたらした者こそ他ならぬ、新年には祖先の魂が帰ってくるとするゾロアスター教の教えを奉じるササン朝王族ダラと王女であるその妻舎衛女であった。これが孫崎紀子氏の主張の第二の眼目である。
 そして、本来帰らざる魂が帰還するという信仰の前に、死者の魂が寄り集うところと信じられていた山を目の前に据え、それを先祖の魂の「権化」と見なし、法会を営んで供養するという日本独自の「盂蘭盆会」があった。
 須弥山とは、「そこへ」と魂を呼びもどすための依代(これが私の誤解)ではなく、「そこに」魂が寄り集う山そのものと見なされたのだ。
 盂蘭盆会はダラによる「帰還せざる魂の帰還」という考えがもたらされる以前にすでに営まれていたが、この法会による先祖供養という信仰は他に例を見ない日本独特のものだった。そこへ、七月十五日は新年に当たり死者の魂が帰ってくる日とするゾロアスター教の信仰が加味されて、日本独特の「お盆」が成立する。
 新しい信仰によって先祖の魂が帰還してくると信じられるようになると、もはや須弥山は作る必要が無くなる。須弥山が盂蘭盆会から消えた時、それが「帰ってくる魂」という信仰が定着した時である。これが孫崎氏の考えの第三の要点である。
 それでは、以下にお手紙の主な部分を掻いつまんで紹介させていただく。

 ……齋明天皇が飛鳥寺の西に須弥山をつくって「盂蘭盆会」を営んだ時、なぜ山を作ったかは、私の知る限り、定説もなく、謎とされています。
『仏説盂蘭盆経』には先祖を救うために何をすべきかが書かれていますが、それには「山」は登場しません。従って、まったく日本のオリジナルです。「法会」を営んだということですが、これすらも盂蘭盆経の中には書かれていません。
 盂蘭盆経に書かれていることは、「現在父母や七世父母のために、七月十五日(夏安居の解ける日)に百味飲食を盂蘭盆の中に安んじ、仏や僧に施して願いなさい。そうすれば、現在父母は寿命百年にして病無く、一切苦悩無く、七世父母は餓鬼の苦しみを離れ、天人中に加わり、福楽極み無し。一切の仏弟子となろう人はこれをやりなさい」ということです。
 ここで注目すべきは、「仏や僧に施しなさい。そうすれば、仏の力、僧の力は偉大で守ってくれる」ということが書かれていますが、原文の中には、「法会を営め」とは書かれていません。(訳には、盂蘭盆=盂蘭盆会と解釈してあるものもあります)また、「魂」という文字もありません。意外ですが、事実です。つまり、「山」を作って盂蘭盆会という法要(僧侶が読経して供養)をすること全体が日本独特で、仏教民俗辞典にも、盂蘭盆会はインドにも中国にもない風習、とされています。(ついでながら、彼岸会もそうです)
 ではなぜ齋明天皇は須弥山を設けたかですが、これは発掘された明日香村の須弥山石を見た時に、直感的に日本古来の魂の居場所、と私は思ってしまいました。
 もしこの発掘品が齋明天皇が盂蘭盆会の時に使われたと同じ種類のものならば、七世父母の権化として(魂のある所として)置かれたものと思います。
 そして夕刻、ダラは宮廷に招かれます。その場にはダラと天皇の二人だけとは考えにくく、たぶん盂蘭盆会に招かれた僧等もいたと思われます。この日は僧に供養する日ですから。ダラがここで話すとすれば、同じく先祖に供養する日、つまり自分たちの新年のことを話したでしょう。魂が帰ってくることや、旧暦では七月十五日、新年の五日前の特別の日が始まること、しかし自分たちは太陽暦なのでそれは過ぎ、この年、旧暦七月十五日は「オボン」という名の日であること、屋根に火を焚いて魂を迎えること等々。
 すでに日本独特な形でなされていた盂蘭盆会に、魂が帰ってくる要素その他、送り火、迎え火などゾロアスター的要素が、このとき組み込まれ、盂蘭盆会のことも「オボン」と呼ばれるようになったのではないか。
 魂は山から「帰ってくる」わけですから、もう「山」は設ける必要がなくなったと考えました。
 この後、二年後(齋明天皇の五年)、齋明天皇は京内の諸寺に盂蘭盆経の勧講を群臣に詔す、と日本書紀にあります。もう山は要らなくなったのだ、と秘かに思っている次第です。
 あまり関係ないことですが、齋明天皇は同年、陸奥と越の蝦夷を饗応し、この時も甘檮(あまかし)の丘の東の川上(河原)に須弥山を作りて……、とあります。盂蘭盆会から須弥山は消えても、須弥山に対する敬意は変わらぬようです。
 ……「盂蘭盆」という言葉は古くは「逆さづり」を意味するウランバーナが語源と言われていました。唐代のことです。ずっとそのように信じられていましたが、近年ウランバーナというサンスクリット語は存在しないことが言われ始め、このごろはイラン語で死者の魂を意味する「ウルバン」が関係しているのではないかと言われていますが、定説はないようです。
「盂」は食べ物を盛る台つきの鉢、蘭は花、盆はそれらを載せる台です。経の中に「盂蘭盆」を「奉じる」また、「作す」とあり、あるいは飯百味・五果・汲潅盆器・香油・錠燭・床敷・臥具を具え、世の甘美を尽して以て盆中に著(つ)け僧を供養すべし……とあります。訳では「法会」という言葉が入りこんでいますが、原文には存在しないことから、漢字の意味通りの「花と食べ物が載っている盆」が盂蘭盆だと考えます。ある本には、花と食物の盆の意という考え方もあるが、これは民間で言われているだけのことだと書かれていましたが、なぜこの考えが陽の目を見ないのか、理解できません。
 盂蘭盆経は父母に対する孝順の考えが強いこと、また仏教では現世のつながりを絶って仏門に入ることから、むしろ儒教の影響を受け中国で作られた偽経とされていますが、それならば、サンスクリット語や西域の言葉に語源を求めるより、漢字の意味そのままでよいのではないか、と考えます。
 ……盂蘭盆経にはなく、齋明天皇は「山」を作って「魂」を前に盂蘭盆会を営んでいたけれども、ダラによるペルシアの新年(帰ってくる魂に供養する)との関わりから、「山」を作らなくても魂が山から帰ってくるという要素が入りこみ、現在の「お盆」の考えに近くなったと思います。(11月21日付私信より)

●孫崎氏からその後に重ねて頂戴したお手紙では、先祖の魂をめぐるツラン系と印欧系の捉え方の違いにまで言及されている。私の余計な詮索は省いて、できるだけ多くをご紹介したい。

 おもしろいことに気づきました。お墓参りについてついてです。日本の風習としての「お盆」(お彼岸もそうですが)には、各地で差はあるにしても大方、お墓参りをします。家族で清掃したお墓に行き、僧侶に経を読んでもらいます。僧侶にはお布施を渡します。私たちの郷里は真宗国でしたので、お供えはいたしませんが、一般には盆供があります。ただし、これは僧にではなく、先祖に対してです。
 お墓を須弥山に置き換えれば、「齋明天皇の盂蘭盆会と同じ形」と思ってしまいました。一方、魂が帰ってくるという考えもあります。つまり、齋明天皇の盂蘭盆会(盂蘭盆経にない日本独特の形)は、今も生きていて、一方で魂が帰ってくるという考えも存在する。魂が帰ってくるのなら、お墓参りの考えはダブっています。やはり「魂が帰ってくる」という考えは、外から入ってきたもの(インド・ヨーロッパ語族系)と思います。
 ここに至るまでに、もう一つの経験があります。それは中央アジア、ウズベキスタンの新年です。七十年間の旧ソ連の方針の下、暦はもちろんロシアのものとなってしまいました。例えばクリスマスは一月七日です。暦の上の新年は一月一日。しかし今もウズベキスタンの最大のお祭りは「ナブルース」です。「ナブルース」は「ノウ・ルーズ」(ペルシア語の新年)に由来します。毎年「春分」がお祭りの日です。これが近づくと、町は見るみる清掃され、塗り替えられ、飾られ、美しくなってゆきます。ナブルースに何をするかといえば、家族が揃い、お墓の掃除をしてお参りし、家に帰って、ナブルース独特の食事をします。それまでに家の中も大掃除をします。
 ここでウズベキスタンの「ナブルース」に魂が帰ってくるか否かは、印象がないのです。何が言いたいかと申しますと、祖先に対する接し方の違いです。ウズベキスタンはペルシアの支配下にあった時もあり、ペルシア系国が建てられたこともあり、ナブルースに代表されるように、風習にもなっている他国の影響は否めませんが、それでもその土地に昔からあったことは、その中に残っているように思います。ナブルースに供物は印象に残っていません。一方、イランには日本の新年のお飾りのような供物があります。そしてイランでは、お墓参りは印象に残っていません。祖先に対する接し方の違い、片やお墓・須弥山(先祖のいる所)に出向く、または向き合う→(ツラン?)
片や魂が家族の所にもどってくる→(インド・ヨーロッパ?)などということがありやなしや?(11月23日付私信より)

 先祖の魂に対する接し方の違いにもツラン独特の特徴があるのではないか、と示唆された卓見は貴重である。
(つづく)