かぐや姫の誕生     索引  

                    

08「犬はカメ」── 日本語本来の発音について    
     (世界戦略情報「みち」皇紀2666(平成18)年12月15日第241号)

【紹介】不思議なことがあるものだ。本号の「世界情報分析」欄の原稿用にと「『トガとお化けの学問』の超克」が届いたその翌日、まさにそれに応えるかのような論考が、孫崎紀子氏から届けられたのである。打てば響くとは、このことか。
 もちろん、打合わせも約束も、何もない。突然にFAXが鳴り出し、おやと思って手に取ってみれば、何と! これからお目に掛ける原稿が送られてきたのである。
 先だって孫崎氏にお会いした折に、「もともとhを欠落していて発音できないポルトガル人たちの記録を拠所に、日本語の室町時代の発音を云々するのは、おかしい」という趣旨のお話をお聞きして、痛く興味を掻き立てられたことはあった。そして、是非原稿に纏めて下さるように申し上げたのも事実である。
 しかし、それをいつまでに、分量は何枚くらいと具体的に打合わせたことはない。
 私が「ぜひ纏めて下さい」とお願いしたのは、室町時代にあったとされる日本語のF音は、万葉の時代における「甲類・乙類」の日本語表記とともに、いわば心に刺さった棘のような問題だったからである。
 室町時代に日本語のハ行音をF音で発音したという説を取り入れた狂言で「ファッー、ファッファッファッ」と笑うのを小学校時代に観たとき、非常に奇異に感じた気持ちは今に忘れられない。最近、言霊に心を寄せるようになってから、もしも室町時代のF音説や万葉時代の「甲類・乙類説」が成立するとすれば、日本語の骨格ともいえる「五十音図」が成り立たないことになると、気になって仕方がなかったのである。
 快刀乱麻を断つごとく、この問題を見事に解いて、私の心に刺さっていた永年の棘を抜いて下さったのが以下の孫崎論文なのである。 (天童竺丸)

一八五九年、横浜が開港した。その頃ここで生まれ、いくつかは今も生きている「ヨコハマ言葉」には、どこかユーモラスながら一笑に付すだけでは済まされないものがある。
 当時の人々が生まれてはじめて耳にした英語をそのまま発音して表記したものが、「メリケン」「グルモウネン」「グルパイ」「ハマチ」などとなった。それぞれ「American」「good morning」「good bye」「how much ?」のことである。
マドロスという言葉もある。これはオランダ語の「 matroos」(水夫)である。一方、外国人の発音する日本語の「助けて」は「ta-sket-ay」となる。犬は飼い主が「Come here !」と呼んだことから「カメ」だと思われ、そう呼ばれた。
 耳に新しい言葉の音は、すでに自分の知っている言葉の音に置き替わる。「violin」を初めて見聞きした人は。「バイオリン」と書き記した。当時、日本に「va」の音がなく一番近い音は「ba」であったからであろう。
それでは、わたしたち日本人の祖先たちは古代において日本語の音をどう発音していたのだろうか。不思議なことに、これが杳としてはっきりしない。
 ただし、学者の間では、
「日本語の古代音については、ハ行の音は、太古にはP〔p〕でありその後何時の頃かにF〔Φ〕となり江戸時代にH〔h〕となった。しかしどの時点でP→Fになったかは不明である」
という定説がある。これは、昭和三年の橋本進吉著『岡倉先生記念論文集 波行子音の変遷について』に詳しい。
 このF〔Φ〕の音はf〔/f/〕つまり英語のfではなくて、現代の「ふ」の形を作ってからa、i、u、e、oを発音するのでカタカナで表現するのは易しい。ファ・フィ・フ・フェ・フォである。
 上記論文には、平安時代の波行子音がF〔Φ〕だった根拠として斉藤正次氏の説、平安初期から中期にかけての波行子音から和行子音への変遷が挙げられている。
 和行子音〔w〕は、P〔p〕よりもF〔Φ〕に近く、P→WになったというよりもF→Wになったというほうがより自然であるから、この点からして波行子音はF音だったとされる。この時代に語中のF音は一斉に変わったが、語頭のF音の変化はほとんどない。例として、「はる」「ひと」「ほね」などと共に「かはる」「こひ」「かほ」などが挙げられている。また語頭の変わる例には、「はしる」と「わしる」(走の義)、「はつか」と「わづか」(共に僅の意味)が指摘されている。
 以上は波行―和行変換との関わりからのF音であるが、以下波行子音の音について室町時代まで、橋本氏の上記論文の後を追ってみたい。
まず奈良朝においては、手がかりはまったくないとされる。当時の万葉仮名についてみても、波行にあてた漢字の支那音はP系統の音とf系統の音が混同していて、F音を写したものかP音を写したものかまったく不明である。しかし、平安初期においてすでに語頭の波行子音がFでありかつ上に述べたごとく、語中においてFと発音された形跡があるとすれば、奈良朝においてもF音だったのではないかとする。
 平安初期になると、慈覚大師(天台宗延暦寺の座主)が八三八年~八四七年に入唐した際に記録した梵字の発音がある。
 平安末期には東禅院心蓮という悉曇学者が著した『悉曇口傳』という書の中に五十音の発音法の説明がある。
 鎌倉に入ると、宋の羅大經が日本僧安覺から聞いた日本語を、その著書『鶴林正露』の中に写した。その中で「フデ」(筆)を「分直」と表していることから、「分」はf〔/f/〕ではじまる音であることが指摘されている。
 また、南北朝の頃の『体源抄』(一五一二年)や『後奈良院御撰何曾』(一五一六年)に現れる「なぞなぞ」にある記述、そして元末の人、陶言儀が著した『書史会要』において日本僧克全から聞いた日本の伊呂波からの観察にも触れられている。
 室町時代に入ると、キリシタン伝道師たちによる日本語および日本についての出版物がある。キリシタン資料においては、波行がすべてf音で記述されているために、室町時代の波行がF音であったとする有力な証拠とされている。
 さて、一番古い時代にまだ触れていない。それについて橋本論文にはこう書かれている。
 魏志倭人伝以来初唐までの支那の史籍には、日本の波行音を「卑」「巴」「比」などP音で始まる文字で写しているが、これは波行の発音を決定する據とするには不十分である。支那古代に軽唇音がなかったとすれば、日本の波行子音がFであっても之をPで写したであろうからである。(大要)
ここに来て問題となるのは、実は同じことが室町時代のF音の動かぬ証拠とされているキリシタン資料に言えるからである。ポルトガル語には「h」の文字はあるが、「ハヒフヘホ」の音はない。
『ポルトガル語発音ハンドブック』(彌永史郎著)によれば、hの音は、語頭・語末では黙字、つまり音価はなく、語の中では〔ɲ〕つまり〔ンー〕と聞こえるだけである。
 したがって、仮に、当時の波行音がH音つまり「ハヒフヘホ」であったとしても、「秤」は「facari」、「平家」は「Feiqe」、「蜂」は「fachi」と書くより他なかったわけである。ゆえに、波行に関してはポルトガル語での表現は、正しく音を写していない可能性がある。
 布教のために日本語を身につけ、いろいろな場所へ出かける必要のあった宣教師たちは、言葉だけでなく当時の風習までも記録した三万二千語に及ぶ『日葡辞書』という素晴らしい辞書をつくった。主にロドリゲスが書いたといわれている。
 宣教師たちがローマから取り寄せた活版印刷機によって印刷・刊行した、いわゆる「キリシタン版」の中には、伝道用の宗教書を除けば『日葡辞書』のほかに、当時の口頭音に一番近いといわれている『天草版伊曾保物語』や『キリシタン版平家物語』などがあって、これらは当時の日本語を知る第一級の資料とされている。
 しかし、冒頭にも挙げたように、「犬」を「カメ」だと勘違いする日本人の例もあり、異国人の耳に聞こえた発音を根拠に日本語の音韻を論ずるのははなはだ危険である。
 そして、同じ危惧は中国人による資料にも言え、そこにf音があっても、それは中国人の音に近いものであって、正しく日本語の音を写しているかどうかはわからない。
 それよりも、日本人自身が自らの発音について記したものの方が、本来の発音により近く思われる。その代表が万葉仮名と五十音図であろう。
 万葉仮名の元の漢字をみると、P、f、Hが入り混じっている。どの音ともつけられないので一つの音に多くの漢字があるのかも知れない。
 五十音図になると、一つの音に漢字はあってもせいぜい数個である。次いで漢字の一部をとりカタカナが作られ、どの漢字ともつかぬ、音だけになっていく。
 興味の赴くままに、五十音図波行の一例として婆(波)、不、比、遍、保(『管弦音儀』一一八五年による)の支那音を見てみた。さらに祝詞の中の布、閉(ハヒホは上と重複)について確認し、ついでにバ行の毘、部、倍、菩(バは重複)の支那音をも見てみた。すると、すべてP音であった。
以上のような理由から、橋本氏の論拠のうちで外国人由来ではないもの、つまり、一六世紀のなぞなぞ、心蓮の五十音発音法、慈覺大師の梵字発音に焦点をあてたい。
 1「なぞなぞ」
 この「なぞなぞ」とは、「ははには二度会えども、ちちには一度も会えず」というものは何かという謎に対して、その答えを「唇」とするものである。「はは」は「ファファ」であるので唇は二度会うが「チチ」という音を発音するときには唇は会わない。「ファ」と発音するときは唇が半分会うので適っている。P音であればさらによいが、一六世紀にはP音はなかった、とF音の存在が説かれている。
 2「東禅院心蓮の五十音発音法」
 これによれば、波行発音について、「以唇内分上下合之呼 而終開之 則成ハ音 自餘如上」と説明がしてあり、麻行発音についても、「以唇外分上下合之呼 而終開之 則成マ(ノ)音 自餘如上」とされている。
 ここで波行がP音とすると波行子音と麻行子音の上下の唇を合わせる場所が同じと思われるので、外分と内分に分かれているからには、波行はF音であったろうと説かれている。
 3「慈覺大師の梵字発音について」
 その主要部分のみ抜き出すと、
(pa)唇音 以本郷波字音呼之 下字亦然 皆加唇音
(pha)波  断気呼之[註……断気というのはaspirated(有気・帯気)の意味である] 
(孫崎註……帯気とは、子音の後または母音の前に出てくる〔h〕の音を持つこと)
 これについて橋本進吉氏は、

 かように梵字のpa 及び pha 共に本郷即ち日本の波の子音に呼ぶと説いているのであるから波を当時日本でpaと発音していたかのように思われるが、しかしここに注意すべきはその下にある「皆唇音を加ふ」という一句であって特にかような注意を加えなければならないのは、日本の波の子音がpa ではなくFaであった為であって……。
(原文表記を新仮名遣いに変更)

と説かれている。
 上記の1と2については、なるほどFの音は日本にあったかと思わせる。しかし3になると、波音は金波銀波のように現在でもPの音はあることや、従ってこの頃にもあったかもしれないこと、また、唇音を加えることが大事とされていることなどを勘案すれば、h音もまた該当する。一方、(pha)こそF音そのものと思われ、にわかには肯くことができない。
 室町時代には波行はF音であったということだが、H音「ハ」は本当になかったのだろうか。そこで気になるのが、この時代に生まれ展開した能楽において、言葉や音に敏感な謡曲で謡い継がれる波行はどのように発音されるのかという点だ。
 驚いたことに、ある能の流派では「八月」は「ハチんガッ」(ハは喉の奥から出す)と発音するのであって、「ハチんガ」の音より「ッ」が問題で、発音が難しいとのことである。
 そういえば日葡辞書では「八月」は「fachiguachi」と「fachiguat」、つまり開音節形のものと入声音形のものが記録されており、これは、柳田征司著『室町時代語を通して見た日本語音韻史』に詳しい。
 また、最初に論じられている波行―和行変遷も、今では日本語に限らず、一般的に「有声音にはさまれた無声音は、有声音になる傾向がある」といわれている。ハングルにもフランス語にも英語にもそれがあるそうである。
 つまり、母音(有声音)に挟まれたh(無声音)は有声化した結果、「おはよう」は「おあよう」のように、「警察本部」は「ケイサツオンブ」のように聞こえるのだ。さらにいえば、「かへる」が「カエル」、「こひ」が「コイ」に聞こえるというわけである。しかし、これが成り立つためには古代音がHでなければならなくなる。
このように見てくると、波行の音が古代からP→F→Hと変化したというのが学説ではあるが、実はこれらは、変化したのではなくて、どの時代にも共存・並立していたのではないだろうか。今日においても「セ」と「シェ」、「カ」と「クワァッ」、「ガ」と「ンガ」などが共存・並立しているように。
 たとえば、「はる」「はは」のように頭にある「ハ」はF音で、「かへる」「こひ」のように語中語尾にあるものはH音だったというように。
 あるいは、言葉によってF音だったりH音だったりしたことも考えられる。たとえば、「かはる」はF音で、そのため「カアル」とならず、「カワル」と変化したのかもしれない。また、地方によっての発音の違いもあったかもしれない。
 こう考えると、波行がP音と思われた時代またF音と思われた時代が存在するわけは、その時代の権力をもった人々の音だったがゆえに、記録として残ったからではないだろうか。上記の万葉仮名の時代には、波行に多くの漢字があった。それぞれの音として頭初にP、f、hのいずれかをもつ色々の漢字であった。
 このことは当時、日本の音を漢字で表現するのに、主に帰化人らに頼ったためではなかろうか。
 少し時代が下り五十音図になると、使われている漢字がすべてP音で始まる漢字に統一されている事実は、この頃になると日本人の中に漢字について深い知識を持った人が増え、その人たちによって漢字が選ばれたことを窺わせる。漢字を選んだのは、それができる地位にいた人々であったはずである。
 一番古い時代には「は」は「pa」であった、とする書かれた記録はない。しかし、八重垣島ほかに残る方言に、「ハナ」(花)を「パナ」と呼ぶことからそうであろうとされる。五十音図の漢字を選んだ人々が、ハ行についてp、h、fの三つの音からp音を選んだということは、その人々の古代の発音の記憶につながるのかも知れない。
 ずっと私を悩ませている疑問がある。(おそらくは)僧侶が五十音図のためにp音の漢字を選んでいる寺の門の外で、無邪気に犬と遊んでいる子供たちの笑声は果して「パッパッパッ」だったろうか、それとも「はっはっはっ」だったのだろうか。色々と思案をめぐらせてみるのだが、一向に答えに至らないので困っている。