かぐや姫の誕生     索引  

                    

09 ウズベク語の不思議 1 ブユキパキオリの小路で   
     (世界戦略情報「みち」皇紀2667(平成19)年1月15日第242号)

 私だけであろうか。シルクロードは西域と極東を結ぶものと長い間、漠然と考えていた。シルクロードの行着く先はローマであることを知りながら、様々なルートで中国の奥地から砂漠を越え火の山を過ぎ西域に至ると、その先を考えることがなかった。
 縁あって、西域の国、独立間もない中央アジアはウズベキスタンに住むこととなってある日、タシケントの住居から大通りへ出ると、その道が今では「ブユキパキオリ」(偉大なる絹の道)と呼ばれる昔のシルクロードそのものであることを知った。左を見ると道はタシケント中心街へと続き、右を見ると道は天山山脈の支脈へと続いている。その時、西域はシルクロードのど真ん中にあることを突如、実感した。ここからさらに西へ、シルクロードは延々と延びている。アレキサンダー大王はシルクロードを伝ってここまで遠征してきた。モンゴルは押し寄せ通りすぎ、チムールは帝国をつくり、その子孫バブールはインドへ攻めて行き、ムガール帝国を建てた。
 正倉院の御物の中のペルシャの水差しやガラスの鉢などにいつでも写真や映像で接することができるからだろうか、シルクロードにまつわることにはいつも興味を掻き立てられる。頭の中には、会ったことのないソグド商人や、独身主義だったアレキサンダー大王がその美しさに結婚を決めたといわれるソグドのロクシャン姫や白居易を酔わせた西域の踊り子がまるで友達のように住んでいる。ウズベキスタンに住むことが決まったとき、ポッと夢が湧いた。あのフェルガナの汗血馬が見たいと思ったのだ。
 言うまでもなく、汗血馬はそのためにシルクロードが西域までつながったといわれる天下の名馬である。漢の武帝が捜し求め、フェルガナに派遣された張騫が長年の苦労の末ついにもたらすことができた。一日に千里を走り、血の汗を流すといわれる。
 フェルガナは巨大な盆地で、昔ここに大宛という国があった。今は、ここにはアンディジャンという古い町がある。ムガール帝国を建て、詩人でもあったバブールはここで生まれた。この地方で一番大きな町で博物館もある。ここの学芸員に聞いてみたが何も心当たりがないという。アンディジャンでは、今も昔も馬のことは聞いたことがないそうだ。一日中、聞き廻ってもう一度学芸員に会った。一日の無駄な成果を告げたとき、ふと、真顔でこの人が聞いた。「それは一体いつごろのことですか?」「二千年前のことです」と答えるにはかなり勇気を要した。
 汗血馬に代表される名馬は実は今も存在する。どういう経緯があるのか、今はお隣の国、トルクメニスタンにはヨーロッパの人々が宝石と嘆賞する美しい馬がいるそうである。残念ながら実物を見てはいないが、写真では会うことができた。アンディジャンは一〇世紀頃から記録があるそうなので、これまでの千年の間に馬はフェルガナからトルクメニスタンに移ってしまったようだ。血の汗についてはすでに科学的に解明され、汗と共に流す血は寄生虫によるそうである。寄生虫のことを知ったら、武帝は何と言っただろうか。
 ブユキパキオリを天山山脈に向ってどんどん登っていったことがある。普通の自動車で行ったのだが、この先は徒歩かロバでなければ通れないという位細い道に行き当たるまで進んだ所は小さな小さな村であった。少し折り返し、ゆったりと流れる川の景色の良い河原で車を止めて休んた。河原は日本でもよく見かけるつるりと角の取れた大きな石ころを敷きつめたかのようで、ぱらぱらと木が生え、陽光に満ちた澄んだ空気の静かな山間である。するとそこへ、荷台にも人を乗せたトラックが一台近づいてきた。かなり辞退した挙句、結局食事に誘われることとなった。トラックから一人が道案内にとこちらの車に乗り込んできて、着いた先は集会所のようであった。
 ウズベキスタンでは、食卓のあり方が日本とは根本的に違う。ここでは食卓いっぱいに果物、干葡萄、木の実、甘味、ドライフルーツ、トマト、胡瓜等が山盛りのお皿を所狭しと並べ客人を待つ。客がテーブルに着くと、暖かい料理が一品また一品と運ばれてくる。こうした食卓はバガーティ(金持ち・豊か)で良しとされる。テーブルの上がシンプルだと客に呼ばれても気の毒で食べることができないのだそうだ。大盛りの食卓にはもう一つの意味があって、この国では主客の連れてくるお客は主客よりさらに大切にされる。それゆえ、主客に呼ばれれば、断りなしに何人お客を連れていってもよいのだそうである。つまり、お客が予告なしに何人増えても対処できるように、準備されているのである。
 実際、あるとき、主人と二人で招待され通された部屋には、色とりどりの山盛りのお皿で埋められた大きなテーブルの周りに椅子が十脚以上あったと記憶するが、テーブルをかこんだのは四人であった。
 集会所には大勢人が集まり、主人は主客のお客となって、一番良い席を与えられ、このために料理された羊の一番良いところをもてなされることとなった。きっと古くは、主客に道中気にいられたちょっと毛色の変わったシルクロードの旅人が思わぬもてなしを受けることが多くあったに違いないと思ったことだった。
 古くから人が東西南北に往来し、いわば人に囲まれたようなウズベキスタンは、水に囲まれた日本とまったく違う歴史を持つにもかかわらず、ここを訪れた人は、必ずといってよいほど懐かしさを感じ、自分のルーツはここにあるのではないかと密かに思う国の一つである。ウズベキスタンに旅行した知人は、空港でウズベク人と思しき人に道を聞かれ、別の知人は日本とそっくりな炬燵のある部屋に通されびっくりしていると、コタツに入っているおじいさんがフトンの端をあげて「寒いから、さあ早く入りなさい」と勧められたという。一瞬、「ここはどこ?」と思ったそうだ。
 タシケント中心部にある歴史博物館の二階、階段をのぼった突きあたりにいきなり日本昔話の世界が現われる。ウズベキスタンのおそらく農家の一部屋を再現したものだろう。上がりかまちの下、土間(博物館の床であるが)には履物がぬいである。部屋の中央にはコタツ。掘りコタツである。片隅には寝具のフトンが三つ折にして積んである。フトンは綿入れのフトンで形、サイズとも日本とほぼ同じである。他にこれといった家具らしいものはなかったように思う。
 掘りコタツの扱いも日本とまったく同じである。出かけるときは、灰をかぶせて火種をのこす。夜は家族が掘りコタツの周りに放射状にフトンを敷いて眠るのだそうだ。形は長方形だが、座布団もある。赤ちゃんにはウズベク独特の籠があるというので見せてもらったが、日本で「いずめ」とよばれるものであった。「どてら」そっくりのものがある。綿が入っていない日常着も、着物丈を短かくし、筒袖にした袷そっくりである。風呂敷もある。
 ウズベクに着いてまもないころ何気なくつけたテレビで、女の人が風呂敷に衣類をあたふたと包みながらしきりと何か話している。言葉は全然わからないが、家出するんだと直感、まるで日本のドラマを見ているようだった。
 生活習慣ばかりでなく、言葉も日本語によく似ている。偶然耳にした「寒いよー」という時のウズベク語がまるで日本語を聞いているようで嬉しくなり、ウズベク人に、部屋から戸外へ出て寒かったら思わずどう言いますか?と質問し、「ソーブックダーユー」という返事の音がききたくて、頼んで何度も言ってもらった。日本のどこかでも「サーブイダヨー」と言いそうだ。
 ウズベク語はトルコ語に分類されると書かれているので、最初は単純に現在のトルコ国で話されている言葉の一方言のようなものかと思っていたらそうではなく、どうやらどちらも元が同じということらしい。ウズベクの人にトルコのテレビ番組を観るとどの位わかりますかと聞くと半分くらい分るという。逆にトルコの人にはウズベクの人の話すことはどの位分りますかと聞くと、全然分らないとのことだった。統計ではないので意味はないが、対応の違いが思いがけなかった。
 トルコ語も日本語とよく似ているといわれる。ウズベク語も日本語ととても似ていると思う。文章の語順が全く同じだ。「てにをは」に代わるものもある。とても乱暴な言い方をすれば、日本語の文の語彙をそのままウズベク語の語彙に置き換えれば、ウズベク語の文章となる。期せずして感心されたことがある。それは「貴方のお陰で」という言葉をそのまま、「あなた・の・陰・で」とそれぞれのウズベク語に置き換えたときだった。「(ウズベク語を習ってまだ一年のあなたが)どうしてそんな高尚な表現を知っているのか」と不思議がられたのだ。
 ウズベク語と日本語の決定的な違いは、人称による動詞・名詞の語尾変化がウズベク語にあることである。しかし、見方をかえれば、これさえも実は日本語とのつながりを示唆する。
 私(メン)……マン、貴方(シス)……ンギズ、君(セン)……サン、彼(ウ)……デ、我ら(マー)……ミズ、貴方たち(シズラル)……ンギズラル、彼ら(ウラル)……デラル。
 お気づきの方もあろうが「ラル」は複数を示す接尾語である。日本語の「ら」と重なる。ところが、同時に複数形はウズベク語では尊敬を表わすので接尾語「ラル」は尊敬をも表わす。日本語の「れる、られる」と重なる。また「私」の動詞語尾「マン」は強調も表わすので、マンを強く発音すれば、強い意思の表示となる。これは、子供言葉ではあるが日本語の例えば「ボク、行くもん」の「もん」を連想させる。「我等」の接尾語「ミズ」は実際の発音は「マズ」に近く聞こえ、「ミズ」は丁寧の意味も持つので、日本語の「ます」を連想させる。
 三人称「デ」は実際の発音は「ダ」に近く、そのまま日本語方言「行くだ」とか「来るだ」の「だ」を連想させる。そして三人称複数の「……デラル」や「……ンギズラル」は一音節に詰まって発音されるので、駿河地方の方言「……ズラ」を思い出させる。
 さらに、多くの言葉を見ていくうち、私の習ったフェルガナ方言と、現在の日本語標準語および関東周辺の方言が酷似すると気づくことになる。思えば、シルクロードの端っこで日本語を振り返るなど予想もしないことだった。