かぐや姫の誕生     索引  

                    

       14 ウズベク語の不思議 6

 ヒワの踊りまたは日本語の正体
   (世界戦略情報「みち」皇紀2667(平成19)年4月1日第247号)

 ウズベキスタンでもっとも強く印象に残っているもの、それは「踊り」である。強烈な印象を最初に受けたのも踊りだった。アラビアンナイトや御伽噺に出てくるような衣装で、まるで王様の前で踊るかのように優雅に踊る美しい踊り子たち。二〇世紀の社会では、バレーやお芝居や映画の中でしかありえないと思っていた光景を目の当たりにする。信じられない思いだった。
 しかし、そればかりではなかった。ウズベキスタンでは、どの人も言葉をしゃべるのと同じように、踊りも上手なのである。中には踊りが嫌いという人もたまにいるが、驚くことにそんな人まで個性豊かに踊る。
踊りのパターンは幾つかあり、そのパターンの中でそれぞれの個性が光る。このパターンは各地方やオアシス都市に由来する。不思議なことに、踊っているときはどの人も実に魅力的だ。
 旧ソ連体制下で芸術家が特に大切にされ、また舞踊団の保護育成がなされたためもあり、ウズベキスタンには「バホール」(春)という素晴らしい国立民族舞踊団がある。ここの踊りはダンサーの美しさもさることながら、その表現力と民族音楽が素晴らしい。
 その演目の中でもっともユニークな踊りが「ヒワの踊り」つまりホレズム地方の踊りである。この踊りは感情的に烈しいこの地方の人々の性格を反映していると聞いたが本当だろうか。他のオアシスの踊りと違い、両の掌をひらひらさせて踊るのですぐわかるが、この踊りはだんだんテンポが速くなり、ついに尋常ではない速さとなり観客の緊張が最大になったところで突然終わって、大拍手となる。初めて見たときには、緊張とともに何か懐かしいものがこみ上げてきた。何と! それは阿波踊りにそっくりなのである。
 ウズベク語もはじめは日本語と何か似ているなと思っていたが、そのうちに「まるで、そっくり」と感じることが多くなり、「他人の空似」などでは済まされない思いをするようになった。ヒワの踊りで掌を「ひらひら」させることだって、「ぴるぴる」というのだ。
 帰国してから日本語に関する文献の豊富なこともあり、その思いはますます深まって十数年が過ぎてしまった。日本語とその起源については、多くの真摯な研究がなされ、そのそれぞれに深く肯ける点もあるにもかかわらず、いまだに系統だった流れが示されないのはなぜだろう。
 専門家でもない私が、ウズベク語と日本語とのつながりについて果たして考えを進めてよいものだろうか、との戒めは常に心の底にあり、これが浮かびあがるたびに、言葉について戻れるところまで戻って考える。

 ◎まず言葉は音である。その音と文字で書かれたものとは、越えられない溝がある。特に、もともと文字を持たない言葉にとっては、「語感」が意味をもつのではないか。
 ◎話し言葉は、母から子にまず伝わるものであり、音で覚えるものである。意識的に変えようとしない限り、それぞれの地でそんなに変るものではないのではないか。古語もいつかの時代にはそれぞれの話し言葉であったはずである。記録に残る言葉や変化する言葉は、時々の社会の勢力情勢と関わる。
 ◎方言は、地域の共通語。記録に残る言葉は言ってみれば中央の方言。記録になくても方言はいつの世にも存在したはずである。方言は、話し言葉と言い換えができる。

 そして、言葉は五歳の子供でも使えるものであるから、そのレベルまで戻って考えることは許してもらえるかも知れないと開きなおる。これは、ウズベク語と日本語が似ていると思い始めたころ、現代日本語と現代ウズベク語、つまり『話し言葉同士を較べても意味はない』という語学界の意見に接することがあり、びっくりしたのであるが、そのことに対する異議でもある。
 さて、幸運なことに、現代ウズベク語(フェルガナ方言)と現代日本語(関東方言中心とすべきところ便宜上、関東方言とする)は、両方とも標準語という性格を持つため、とても比較しやすい。辞書や文法の力を借りることができる。しかし、なおもこのつながりが不思議でならないのは、日本語において、カタカナで表される俗語のようなものに語感の似たものがあることである。いくつか例をあげてみよう。

  (日)ビリッケツ
  (ウ) ビリンチ(一番)
     ケツ  (終わり)

  (日)アングリ(と口を開ける)
  (ウ)アングライ(唖然とするの語幹)

  (日)バッキャロー
  (ウ)バッキール(叫ぶ)

  (日)ウン
  (ウ)ウナ(同意するの語幹)

 日本語の方言には大きく分けると、四つのグループがあるとされる。琉球方言、東部方言、西部方言、八丈方言である。九州は、東部方言と関わりを持つとされるが、西部方言に入れられている。方言研究では「万葉集などにより奈良時代にはすでに方言の対立があったことからすでに方言があった」とされるが、記録に現われるのがその時代ということであって、それ以前も以後も常に方言は存在したはずだ。
 古語辞典に載っている言葉はひっくるめて死語のように扱われるが、実は語彙の生死と関係なく、その時の中央において使われたという記録ではないだろうか。江戸時代になって現われた言葉は今もなじみ深いものが多いが、それ以前には存在していなかったとはいえない。古語辞典には語彙の登場する時代区分があり、上代(大和・奈良)中古(平安)中世(鎌倉・室町)近世(江戸)と分かれている。
 興味深いのは、日本語(関東方言)とこんなにも不思議なつながりを持つウズベク語なのに、中世以前の古語とのつながりが薄いことである。そしてその細々としたつながりも、関東方言を通したものである。
 言葉は常に時の勢力と関わりがあるが、やはり平安末期にも関東武士との関わりから、少しずつ関東方言の影響が中央に及びはじめていることが見られる。『太平記』の中には、このころ坂東の発音や立居振舞が公家の間に流行していると書かれている。また兼好法師も、最初その独特の発声について驚き、ついで公家の中にそれをまねる者が現われたとさらなる驚きを、書いている。
 ウズベク語の動詞の接尾語と日本語の助動詞を比較すると、一九個の助動詞のうち、意味と発音の似ているものは一八個もある。つまりほとんど全部につながりが見られる。因みに残りの一個は「ぬ」(打ち消し)である。
そのなかには以前にも書いた「尊敬・受身・可能・自発」の「ル」「ラル」もあるが、「尊敬・受身・可能・自発」の「らる」が古語において現われるのは中古(平安)以後となっている。
 一方、ざっと三九個ある古語の助動詞のうち、ウズベク語とのつながりがあるのは「らる」のほか、「使役」の「す」「さす」や「希望」の「まほし」くらいである。いずれも中古以後現われる。
 上代からあって近世に消えてしまった(つまり、記録に残らなくなった)約二二個の助動詞と似た接尾語を持つ言葉がどこかにないだろうか。これらは主に宮廷で使われていた言葉と思われる。文語として長く記録に残ったが、それを話していた人びとが力を失うとともに、周りの方言に早くに馴染んでいったのではないか。母親がその地の人であれば、さらに容易である。などと考えていた矢先、強力な候補が現われた。ツングース語である。
 福井昆之『日本語とツングース語』(丸井図書出版)に詳しいのであるが、ここではツングース系言語に含まれるエヴァンキー語、ウデヘ語、オルチア語、オロチ語、ナナーイ語など一〇の言語のすべてと日本語を比較している。ここには、「む」「まし」「き」「ず」など、古語の助動詞とのつながりも解説されている。この中でもっとも驚いたのは、接尾語「―シ」についてである。きっとどこかにあるはずだ、とずっと捜していたものだ。
 ウズベク語と日本古語および日本語の形容詞の間には次の関係がある。

    (ウ)       (古)    (日)
  ソブック   ―― さぶし ―― さむい
  カッティック ――  固し ―― 固い

 意味は同じく「寒い」と「固い」である。ソブックの「ク」は「kh」の発音であり、関東では「h」から「イ」となり「寒い」に、九州では「k」から「カ」となり「寒か」となったのではないかと考えてきた。古語とつながりを持つ言葉があるとすれば、お気に入りの接続語尾「―シ」があるはずと思っていたのである。
さらにツングース語においては、助動詞というお土産ばかりでなく、長年あってほしいと願っていた接尾語「――アシ」の存在もまた示唆されている。
 古語において、形容詞には「ク活用」と「シク活用」が在る。福田氏によれば、「寒し」のような「ク活用」は状態を表し「悔し」のような「シク活用」は情意を表す。そして「シク活用」は動詞に「――アシ」という接尾語をつけて作られたものである、というのである。つまり、

  悔ゆ ―― 悔ゆ+アシ ―― 悔し
  喜ぶ ―― 喜ぶ+アシ ―― 喜ばし
  睦ぶ ―― 睦ぶ+アシ ―― 睦まじ

 その他、「恨む」から「恨めし」、「恋ふ」から「恋ひし」など「アシ」ではないものもあるが、数量的には「アシ」が多いので単なる前後の音による変化であろうとする。ここに登場する「――アシ」がいかにウズベク語と日本語のさらなる結びつきを示すかについては後の稿に譲ることにしたい。
 ツングースの文化は紀元前三~四世紀までアムール川から沿海州にあった文化で旧ソ連ではポリツェ文化とよばれている。ポリツェ文化は土器の形や粘土製紡錘車など稲作抜きの弥生文化そっくりで、弥生文化の祖とされているそうだ。中国文献では「濊」と呼ばれ、歴史学者三上次男氏は、濊→倭→加羅という流れがあるとしている。
 ウズベク語と関東語、ツングース語と上代~中古の古語との関係には確かな手応えを感じる。しかし、この二つでは到底覆いきれないような不思議なことが日本語にはある。例えば、一つの音が一つの意味を持つという日本語の特徴はどこから来たのだろうか。(つづく)