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       16 ウズベク語の不思議 8

 接尾語「イッラ」が謎を解く
   (世界戦略情報「みち」皇紀2667(平成19)年5月1日第249号)

日本語の形容詞にK音が現れることから示唆されるのは、まず関東方言に近いウズベク語系の言葉が存在し、その後、近畿地方中心に話されるようになった、つまり古語に近いツングース系の言葉が入ってきたのではないかということである。
 この言葉(中央語)は為政者の言葉であったため記録(文学)として後世に残っている。しかし関東には、防人の歌で憶測可能であるように、現在の関東方言の元のようなものが存在していた。この言葉は関東武士が勢力を持つようになり、中央につながりを持つにつれ、古語にも影響を与えはじめる。武家が実質上の為政者になると、話し言葉においてますますこの傾向は強くなる一方、依然として古語系の言葉は文学的言葉として残った。政治上でも、武士には幕府の上に常に御所の存在があったことと同じ状況で、興味深い。この頃は、おそらく武士は、文学系の言葉(中央語)とこれを元としながら形の変ったもの(後には武家言葉)と領地の方言のいわばトリ・リンガル、時代と立場によってはバイ・リンガルであったと思われる。形骸化した中央と話されなくなった文語とは、不思議にぴったりと重なり合う。部分的にではあるが、江戸に住む人は江戸語と、もう本や手紙にしか使われなくなった文語との一種のバイ・リンガルであり、地方に住む人は、方言と文語のいわばバイリンガルであったと言えよう。
 明治になり、関八州の言葉を中心に読み書きの標準語が制定された。これにより、日常では文語(古の中央語・古語の言葉)は徐々に使われなくなってゆく。そして百年あまり経って現在は、日本中の人びとが、方言と標準語のほぼ完璧なバイ・リンガルである。
 余談であるが、標準語の制定は難航したらしく、志賀直哉などは、欧米に匹敵するべく国語をフランス語にしたら如何という説の持ち主だったそうだ。
 一方、文語で書かれていた小説を話すように書くことの困難さは、我々の理解を超えるものであったらしく、日本で最初に言文一致体の小説を書いた二葉亭四迷などは苦心した上、結局、自分の小説をまずロシア語に訳し再び日本語に訳すという作業を経て口語文体にしたと言われている。二葉亭四迷=(くたばってしまえ)という自嘲気味の命名は、そうした苦労と関係あるのだろうか。
 古語に近いツングース系の言葉については、少なくとも古代に二度に亘り押し寄せる波があったのではないか。だとすれば、一番最後のものが日本語での最初の記述(文学)に直接つながる言葉と思われる。なぜなら、上代で使われた助詞・助動詞の中に中古では使われなくなるものがあるからである。これには、助動詞では受身・尊敬・可能・自発の「ゆ」「らゆ」、「ましじ」などがあり、助詞では「よ」「ゆ」「ゆり」、「がも」「かも」等がある。
他方、武士の勢力が強くなってくる中古には音と意味の両方でウズベク語と繋がりのある助動詞・助詞が現れ始める。これには「らる」「す・さす」「まほし」「たし」、助詞では「がな」「かな」がある。それとは逆に消えていった助詞・助動詞は、それを言葉として持つ人びとの勢力が衰えたことを意味するのではないだろうか。
 ここで、「消える」ということ、つまり、文献に現れないということは、その語彙が消滅したということではない。言葉はそれを話す人びとと共に存在はするのだが、より強い勢力を持つ人々の言葉に取って替られ、もはや文字に記録されることがなくなったことを意味するのである。ただ、かなりの数の助詞・助動詞が上代・中古・中世を通し生き延びていることからこれらの勢力間の言葉には決定的な差はなく、それだからこそ、同じツングース系と思われる。
日本語には、形容詞に見たと同じように動詞にも謎がある。そしてこれも形容詞と同じ方法で謎解きができるのだ。
 その謎とは、古語において下二段・上二段活用の動詞が、なぜ標準語では下一段・上一段に変るのかということである。
 つまり、「受く」はなぜ「受ける」となるのか、ということである。自然に音が「ウク」から「ウケル」に変化したとは考えられない。もし変化したというならば、それはいつ、どこで、どのように、ということが明確に説明されなければならない。変化途中の形も知りたいものであるが、見たことも示されたこともない。
 しかし形容詞と同様に、中央の言葉と関東方言との勢力関係がその答えを与えてくれる。
 ウズベク語には、動詞を作る接尾語「―ラ」がある。これで名詞や形容詞から動詞を作るのである。

  ソズ(言葉) + ラ  → ソズラ(「話す」の語幹)

  オク(白い) + ラ  → オクラ(「白くなる」の語幹)

 面白いことに、「オイオイ泣く」の「オイオイ」を、ウズベク語の表現で「ボイボイ」であり、これに「―ラ」がついた「ボイボイラ」というのは「泣き騒ぐ」という動詞の語幹である。この様に「ボイボイ」の「ボ」が日本語で「オ」に変る例は他にもあって、「押す」の意味を持つウズベク語の動詞の語幹は「ボス」である。
 この動詞形成接尾語「―ラ」は、「―である」「―する」の意味があると文法に書かれている。まるで日本語の「―る」と同じである。日本語でも「事故る」「真似る」という。また「ひたひた」から「浸る」が作られ、「ぬめぬめ」から「ぬめる」ができた。
 なおツングース系でも動詞を作る「―ラ」はあるらしい。
 それでは、外国語を受け容れる時はどうであろうか。日本語ではやはり「―る」をつけ「デモる」「ゼミる」「トラブる」「ジャムる」となる。
 では、ロシア語を受け容れるときのウズベク語の例を見てみよう。

  グラハ・タチ(大きな音をたてる)+イッラ → グルッラ(同義の動詞語幹)

  チリ・カチ(さえずる)+イッラ        → チリッラ(同義の動詞語幹)

 つまり、語幹に「―イッラ」(音によりウッラ)を付けることによって、ウズベク語に取り込むわけだ。
実は「―イッラ」は、ウズベク語において擬音・擬態語から動詞をつくる接尾語なのである。

  ビズビズ(ビュンビュン)+イッラ  →  ビズィッラ(「ビュンビュンと音をたてる」という意味の動詞語幹)

  シルシル(さらさら)+イッラ     →  シリッラ(「さらさら流れる」という意味の動詞語幹)

 これまた、日本語で「ぶるぶる」という擬態語から「ぶれる」という動詞ができるのとまったく同じである。
これほどにウズベク語と関東方言は音に対して同じ反応をするのである。ならば、関東方言を話す人びとが中央の動詞を受け容れる時にも、同じ原理がはたらいたのではないかと考えるのは自然である。つまり、異質な語尾を受け容れるために、あの「―イッラ」を用いたと考えてみるのだ。すると、どうなるか?

  ◎上二段活用動詞
  起く+イッラ→ 起きッラ→ 起きる
  過ぐ+イッラ→ 過ぎッラ→ 過ぎる
  恥づ+イッラ→ 恥じッラ→ 恥じる延ぶ+イッラ→ 延びッラ→ 延びる悔ゆ+イッラ→ 悔いッラ→ 悔いる

 何と! 見事に現代の動詞が現われてくる。そしてこれらの動詞はいずれも上一段に活用する。同様に、

  ◎下二段活用動詞
  受く+イッラ→ 受けッラ→ 受ける投ぐ+イッラ→ 投げッラ→ 投げる寄す+イッラ→ 寄せッラ→ 寄せる
  混ず+イッラ→ 混ぜッラ→ 混ぜる答ふ+イッラ→ 答へッラ→ 答える

といった具合に、下一段活用の現代の動詞が出現する。
 さらに、この「─イッラ」を使えば、他の活用形動詞の古語から現代語への変化をも説明できる。

  ◎カ行変格活用動詞「来」(く)
  く+イッラ → くイッラ→ 来る

 ちなみに、ウズベク語で「来る」は「ケル」というのだ!

  ◎サ行変格活用動詞「す」
  す+イッラ → すイッラ→ する

  ◎ア行変格活用動詞「あり」
  あり+イッラ→ ありッラ→ ある

 ただし、ウズベク語には、同義の「ボル」という語がある。これも前出、ボス(押す)、ボイボイ(おいおい)と同じで、「Б」(ベー音)をとれば「居る」となる。
 ところで、以上の外の上一段・下一段・四段活用動詞は、古語も標準語も同じ形である。この中には、「キイ」(着る)「ケス」(切る)「ビル」(知る)「カイッツ」(帰る)のように日本語そっくりのウズベク語が含まれる。「―る」で終わる動詞も多い。それは異質と感じられなかったため、接尾語を付ける必要がなかったのだろう。
さて前回、英語の形容詞「リッチ」「ナウ」をウズベク語に取り入れる時は、日本語と同じく「リッチイ」「ナウイ」とするが、手放しで喜べないと書いた。実は、ロシア語の形容詞も「ノーヴィンキイイ」(新しい)「バガーティイ」(金持ちの)のように「~イイ」がつくので、万一、ロシア語の影響ということもあるのでは、と用心したのである。しかし、結論が出た。「ホラズミイ」とは「ホレズムの」という形容詞であるが、ホレズム出身の有名な数学者の名前でもある。この人は九世紀の人であるので、ロシア語の影響の可能性が全然ない千年も前から、ウズベク語に「~イ」という形容詞の作り方のあることを確認できる。
 では、英語の動詞はウズベク語ではどう取り入れるのだろうか。質問を受けて立つ友人は、現在帰国中。帰京の日が待ち遠しい。(つづく)