かぐや姫の誕生     索引  

                    

       22 ウズベク語の不思議 14

 「まだらぶすま」の謎を解く
   (世界戦略情報「みち」皇紀2667(平成19)年8月1日第255号)

先号で「かなし」と「かな」を繋ぐ「カナカ」について記してみた。その中で、「かなし」の登場は、万葉集では一一〇回、古今集になると二八回になると書いたが、これでは誤解を招くかもしれないと気がついた。
 古今集は全一一〇〇首、一方万葉集は四五〇〇首余りあるので、割合としてほとんど変わりはなく、「かなし」という言葉が廃れていたわけではない。さらに、古今集では「恋し」が四六回、「憂し」が四〇回登場し、さらには「わびし」「惜し」がそれぞれ一四回という風に、形容詞がよく現われる。興味の赴くままにざっと数えてみると、形容詞の使われる頻度は、次のようである。まず、三回以上現われる形容詞を頻度順に挙げてみる。

  恋し …… 四六回
  憂し …… 四〇回
  かなし…… 二八回
  わびし…… 一四回
  惜し …… 一四回
  深し …… 一三回
  つれなし……一三回
  繁し …… 一一回
  苦し …… 一〇回
  はかなし……九回
  かたし……  七回
  近し ……  七回
  早し ……  七回
  寒し ……  六回
  つらし……  六回
  よし ……  六回
  久し ……  四回
  めずらし…… 四回
  薄し ……  四回
  うれし……  四回
  あやなし…… 四回
  むなし……  四回
  長し ……  三回
  少なし……  三回
  濃し ……  三回


 つづいて、古今集に二回だけ現われる形容詞を列挙する。

   遅し・のどけし・あじきなし・涼し・露けかし・弱し・まさしうらめし・はるけし・あやし・やすし・にくし・高し・   浅し・清し・いやし・やすし・白し・さびし・ものうし・遠し

 次のものは一回づつ現われる。

   とし・めでたし・なつかし・ふるし・あかし・うしろめたし・心細し・ねたし・うとし・からし・みじかし・ほこらし   ・かしかまし・憂れはし・あさまし・あし・やさし・新し・楽し

 因みに東歌に出てくる「かなし」のほかの形容詞も挙げてみよう。
 まず二回以上使われているもの。

   遠し・ま遠し … 七回
   繁し    …… 五回
   えし・良し …… 四回
   恋いし   …… 三回
   惜し    …… 二回
   悔し    …… 二回
   高し    …… 二回


 東歌に一回だけ現われる形容詞。

   あやし・悪し・難し・まぐわし・まぎらわし・あさまし・おもしろし・異(け)し・うつくし・うらがなし・ともし・い    たぶらし・なやまし・寒し・おほほし

 東歌二四〇首中で「かなし」以外の形容詞の使用例を合計すると四〇回で、古今集一一〇〇首中の同使用例三〇三回と比較すると、東歌ではより少ない形容詞のうちで、やはり「かなし」が特に好まれていたことが分かる。
 古今集になると、一見では「恋し」「憂し」にその座を奪われてしまうようにみえるが、実は、「かな」が登場して、「かなし」と従兄弟のような「かな」との合計出現数は、八六回。その使用数は他の形容詞が使われる数と較べると比較にならない。
 これもざっとみただけではあるが、防人の歌では、二二三首中「かなし」は一二回使われている。東歌より頻度は少ないが、他の巻の倍以上である。
東歌の三三五四に次の歌がある。

 伎倍人(きべひと)の班衾(まだらぶすま)に綿(わた)さはだ入(い)りなましも妹(いも)が小床(おどこ)に   伎倍比等乃     萬太良夫須麻尓    和多佐波太   伊利奈麻之母乃伊毛我乎杼許尓
 
 中西進『万葉集』(講談社)では次のように解釈している。

  「伎倍の人が使う、まだら模様の夜具に綿(真綿)が沢山入っているなら、私もあの子の小床にいつも入りこみ   たいものを」
 
 伎倍は地名(遠江・浜名湖の北)という説と柵(き)に属する戸(へ)または、伎人(機織職人)の戸という説がある。
 この歌に出てくる「まだらブスマ」というのは一体何であろうか?
 「まだら模様の夜具」ではなさそうである。なぜならば、フスマの種類としては、

  タクブスマ(楮で作ったフスマ)
  アサブスマ(麻で作ったフスマ)
  ムシブスマ(絹で作ったフスマ)
  カミブスマ(紙で作ったフスマ)

などが知られているが、「~ブスマ」の~は材料であって、「まだら模様」のように形態・形状を表わすものではないからである。材料を表わすものであるなら、「まだら」とは何であろうか。その前にそもそも「フスマ」とは何であろうか。
 小川光暘『寝所と寝具の文化史』によれば 私達になじみ深い「フトン」は、江戸時代になってから初めて文献に現われるそうである。それは浮世絵に見られ、現在と全く同じものである。ところが、この「フトン」という言葉そのものが、またまた謎であるらしい。元来「蒲団」と呼ばれるものは、禅宗の僧侶が修行の折に敷く蒲の葉で編まれた円座のことである。「布団」とは当て字である。
 では、その昔、人々はどうやって眠っていたのだろう。
 隋・唐の倭国伝には、「草を編みて、薦となす」と記されている。そして、古事記には、「タタミ」が登場する。景行天皇の条に、ヤマトタケルの尊が走水の海に身を投げるオトタチバナヒメのために、「スガタタミ」を八重に、「カワタタミ」八重、「キヌタタミ」八重を波の上に置いたと書かれている。沈んでほしくないヒメへの思いが伝わってくる。正倉院には聖武天皇の御床(木製寝台)があり、八重タタミが置かれているそうだ。八重タタミとは、ムシロ一枚、薦(こも……荒く織ったムシロ)七枚を重ね差し、縁取りしたものである。万葉集にはカワタタミの説明があり、「韓国の虎の皮をタタミに刺し……」とあるそうだが、本当だろうか。つまりタタミは「畳むこと」「畳んだもの」を意味する敷物の総称であり、同じ形状の敷物を幾枚か重ね刺しにしたものらしい。
 記録に残る中古・中世の寝具のうち、敷く方は、この「タタミ」であった。そして掛ける方の寝具は「フスマ」といった。しかし、これは貴族・金持ちのみで、一般には板の床の上にフスマを掛けて眠り、タタミの上に眠ることは、出世を意味したということだ。
 このフスマの種類はいろいろだった。前出カミブスマは外が紙で中にワラを入れたもの、また、ムシブスマはムシ、つまり「蚕」より、絹製のもの、当然中は真綿であろう。いわゆる、綿(コットン)は中世に日本に渡来したものだそうでこの頃には広くは存在しないと言われている。しかし、ムシブスマには異説があり、苧麻、別名カラムシ(大麻より柔らかい麻)製のフスマという説もある。「ムシ」はアイヌ語で「イラクサ」のことであり、イラクサよりも繊維がはるかに長い唐のムシ(カラムシ)、つまり苧麻(中国名)で作られたということは十分考えられる。アサブスマは、大麻による麻で作られたフスマであろう。
 フスマは絵巻物で見る限り袖と襟がついた夜着のように見える。
いよいよ、「まだらぶすま」の謎を解く時がきた。ウズベキスタンでは、布のことを「マタ」といい、沢山の布は「マタラル」という。もし、端布のような沢山の布が、色違いで大きさもいろいろに縫い合わせられていたら、「マタラルブスマ」は「マダラ」に見えないだろうか。この「マタ」が絹であったか、麻か苧麻か分からないが、その屑布や屑糸を「綿」と呼んだことはないだろうか。「マタラルブスマ」に真綿を入れるとなると、「パンがなければ、お菓子を食べればいいんじゃないの」と言うくらい、ちぐはぐになってしまう。「和多」を植物の「綿」でなく、動物の腸つまり「はらわた」の「わた」のように、詰め物と思ってはいけないだろうか。紙ブスマには「ワラ」が入っていたし、東北の漁村出身のある人によれば、つい最近までフトンに干し海草を詰めることがあったという。「マタラル」が「マダラ」とすれば、伎倍人は伎人(機織職人)の戸がぴったりである。屑糸、屑布が沢山ありそうではないか。
 現代日本語がウズベク語に似ているように、寝具も現代日本とウズベクはほとんど同じである。関東中心の方言が東国といわれた昔とつながりをもっているように、フェルガナ方言は現代ウズベク語とつながりを持つ。記録には現われないだけで、言葉と同様に、それぞれ、寝具もその土地でずっと、同じように存在していたのではないだろうか。日本では、関東の庶民のそれが記録にあらわれるのは江戸時代からである。これらは「フトン」と呼ばれるものである。
 ウズベキスタンでは、「フトン」は「コルパ」(掛けフトン)と「コルパチャ」(敷きフトン)とよばれる。形も材質も用途も同じく、片付け方まで同じである。そして、「トン」という言葉があって、これは寒いとき、上に羽織る袖付きの胴長着のことをいう。日本の「どてら」を筒袖にしたものにそっくりだ。この「トン」に綿を入れたものは「グッペトン」と呼ばれる。音は「フトン」に近い。「グッペトン」はいわゆる「かいまき」にも通じる。そして「かいまき」は、「フスマ」に通じる。
 上古・古代を通じて、東国の庶民の寝具が絵巻物に現われるはずがないので知る由もないが、例によってタイムマシンで覗けるものならば、畿内では「タタミ」や「床」に「フスマ」の頃、東国ではきっと、材質こそ今と違え、パッチ・ワークの「敷きフトン」に「掛けフトン」、そして「かいまき」に近いものを用いて眠っている庶民の姿を目にするだろう。(つづく)