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 24 「酒船石」の謎を解く ─ リーマン浄化の施設
        (世界戦略情報「みち」皇紀2667(平成19)年9月15日第257号)

飛鳥板蓋宮は大化改新の舞台であり、斉明天皇即位の場所である。その宮跡とされる遺跡の東にひろがる丘陵は、平成四年に見つかった石垣から、日本書紀斉明紀の条にある「宮の東にある石垣」や「両槻宮」ではないかと考えられている。
 その後この遺構では、さらに階段状石垣や石敷き、底に石を敷いた溝が発見され、小判型、亀型の石造物も発見された。この辺り一帯は酒船石遺跡と呼ばれ、今も調査中である。(明日香村教育委員会資料より)
 この丘陵の高い所、ひっそりとした竹林に囲まれて謎の石造物「酒船石」が静かに横たわる。縦が約五メートル、横は約二メートル、高さ約一メートル、両辺は何かの理由でかなりの部分削りとられ、表面に彫られた模様は不完全な形となっている。この模様および石自体については、江戸時代から記録に残っているが、諸説紛々である。

   *燈油製造器
   *辰砂生成説(水銀朱採取)
   *天体観測用機器(暦の機能)
   *浄水装置付水道説
   *饗宴観賞用仕掛石
   *濁酒を溝に流し清酒にする施設


 最後の説は本居宣長によるもので、通称の「酒船石」(さかふねいし」は本居説からの命名だということである。最近では、松本清張『火の路』で一段と有名になり、その中では、ペルシア渡来のゾロアスター教徒が儀式に使う「ハオマ酒」をつくったのではないかと推測されている。
 確かに、日本書紀には大化の改新の九年後と一二年後の二度にわたって、トカラ国(現アフガニスタン。ササン朝ペルシアの頃はペルシア領だった)からの渡来人の記録がある。
 天皇が駅馬(はゆま)をもって迎えたとの記述から、おそらく身分の高い人々だったのだろう。大化の改新の七年後にあたる六五二年、ペルシアでは、最後の王ヤズデギルドⅢがトカラ国メルヴにて水車番に殺され、ササン朝ペルシアはここに滅亡する。トカラ国からの最初の渡来はその二年後にあたる。
 日本書紀に出てくる「舎衛女」とは「シャー女」つまりシャー(ペルシアの王)の娘であろうとの考察を一年前本誌二三三~二三五号の三回にわたり「『舎衛女のうた』斉明紀童謡考」と題して掲載して頂いたことがある。
 その三年後に流れ着くトカラ国の人、ダラ(ダリウス)も自らペルシア人と名乗っている。これらペルシア人は、時の天皇である斉明天皇の庇護を受けているからには、酒船石遺跡の辺りに住んでいたと思われる。そしてササン朝ペルシアは、ゾロアスター教が国教であった。
 一般にはあまり知られていないが、ゾロアスター教徒の生活はどのようなものであろうか。
 ゾロアスター教の世界では、まず、創造されたのではないアフラマズダ(善・叡智)と対立霊アングラマインユ(悪・無知)の存在がある。アフラマズダの七つの創造物(人間・天・地・火・水・植物・善なる動物)はすべて善であり、アングラマインユは、病・死・カビ・サビ等、人間に害を与えるものなどがその創造物である。アフラマズダが完璧にこの世を造った瞬間からアングラマインユが破壊を始め、善と悪の対立はサオシュヤント(救世主)が現われるまでつづく。この時、すべての悪はなくなり、死もなくなり、人間は永遠の命を得る。そして楽園の生活が訪れる。
 さて、アフラマズダの七つの創造物のうち、人間の守り神はアフラマズダであるが、その他の六つの創造物にはそれぞれ守り神(ヤザタ)がアフラマズダにより創られていて、いつもアングラマインユと戦ってくれている。救世主が現われるまで、すべての創造物の代表である人間は、いつも身を清潔にし、他の創造物を汚すことのないように努力しなければならない。「善い考え・善い言葉・善い行ない」を実践し、一日五回、アヴェスタを唱えながら聖紐を結び直すことによりヤザタがより強力になるよう努力する義務がある。ゾロアスター教徒が火を大切にし、穢さないのは、アフラマズダの創造物だからである。同様に水も大切にし、穢さない。穢せば、アングラマインユの望む所となり、悪の力が強くなる。したがって、「浄化」の儀式は欠かせない。身体的「浄化」によって、精神までも浄化されると考えられている。
 ゾロアスター教では、一番大きな悪は「死」である。特に善人の死は忌むべきものとされる。それほど、悪の力が強かったと見なされるからである。古代には、実際、伝染病による「死」が恐れられたのであろうが、まるで死そのものが伝染でもするかのように、死人に触れた時には、バラシュノムという一番重い浄化儀式を行なう。これには、二人の特別な資格を持つ祭司や特別な犬、その他を必要とし、この浄化を受けた日から九晩一〇日にわたる謹慎と節制を伴う厳かなものである。
 浄化の儀式そのものは、時代とともにエスカレートしてきたものらしく、ササン朝ペルシアの時代に編まれた「ヴェンディダード」(除魔法)には、非常に事細かく規定されている。
 ササン朝ペルシアが滅亡したとき、インドに逃げたゾロアスター教徒たちはパルスィ(ペルシア人の意)と呼ばれ、現在は主にムンバイに住んでいる。そして、パルスィの人々の暦はササン朝最後の王ヤズデギルドⅢの即位の年を紀元としている。もちろん今も敬虔なゾロアスター教徒である。
パルスィであるモディ博士によれば、パルスィの間では次の四つの浄化法が今に伝えられているという。(J・J・モディ著『パルシィ教徒の宗教儀式および習慣』一九二二年、ボンベイ刊による)

   ①パディヤブ
   ②ナフン
   ③バラシュノム
   ④リーマン


 まず①の「パディヤブ」とは「衣類に覆われていない部分(手足)を一日四回、流れている水で洗う。水がない時は、灰や砂を使う。一~二分」と説明されている。
 ②の「ナフン」は「沐浴。二〇~三〇分。祭司を一人、必要とする」。
 ③の「バラシュノム」は「最も厳しいもので、死体に触った人は、必ず受けねばならない。特別資格の祭司二人、犬、信者一人、他。九晩一九一〇日続く。今では、死体に触った人のみではなく、これを受けると天国に行けると信じられている」とある。
 ④の「リーマン」は、「本来、死体に触れないまでも死体から出るもの、血や体液に触れた場合に行なう浄化でバラシュノムよりも軽く、三〇分位で済む。祭司は一人でよく、介添えに信者を必要とする。バラシュノムの代用とされる時もある」との説明がある。
 リーマンとは、「穢れた者」の意であって、この浄化はパルスィの浄化法であり、ヴェンディダード(除魔法)には出てこない。思うに、本国を離れたゾロアスター教徒たちが異国の状況に合わせ生み出した儀式なのだろう。そう考えてみれば、古代の飛鳥に渡来したペルシア人にも、同じ事が起きる可能性がある。
 そこで、リーマン浄化法について、さらに詳しく見てみよう。
 場所は「人目・人気の無いところ」、時間は「規定はないが、穢れた人の影が祭司にかからず、祭司が風下とならないよう留意する」必要がある。

 浄化の手順としては、まず、地面にナイフで溝を堀り、[図一]のような図形をつくる。ここでは、祭司が用いる二種の液体については、割愛する。祭司は九個の結び目があり先にスプーンのついた、「ナオガル」と呼ばれる杖を使用する。因みにゾロアスター教では3および9は大切な数であり、[図一]のマス目も、バラシュノムに使われる穴も九個である。
 ここで、注目すべきは、酒船石の穴も注意深く、忠実に復元すれば、九個である。([図二]参照)

  【手順一】祭司は浄化に用いる道具をAに置く。
  【二】浄化を受ける人は遠く離れて服を脱ぎ、地面に埋める。Gに立つ。
  【三】介添えはLに控える。
  【四】祭司は聖なる飲み物とザクロの葉一枚をIに置く。介添えは、これをとりFに置く。
  【五】サインで、浄化を受ける人に聖なる飲み物とザクロの葉一枚を噛むように指示する。
  【六】祭司はAからCに移る。
  【七】ナオガルの先のスプーンで、浄化を受ける人の手に、浄化のための液を注ぐ。受ける人はその液を体に
     塗る。(一五回)
  【八】祭司はAに戻り、灰を取り、Cに戻り、杖で一五回灰を渡す。受ける人は灰を体に塗る。
  【九】同様に水についても一五回行なう。
  【十】祭司はAに戻り、水の入った大きなポットをIに置く。
  【一一】介添えは、サインを浄化を受ける人に送り、Gを出てKに行き、最後の沐浴をするよう指示する。
  【一二】介添えはIのポットを取り、Kで、自分に水がかからないように注意して三回ポットの水を掛けてあげる。
  【一三】浄化された人は、傍に控えていた別の人に新しい服を渡してもらい着る。



 これが、リーマン浄化法のあらましである。ここで、祭司は、特別である必要はないらしい。
さて、酒船石の模様[図二]に注目してみよう。点線は予想復元のもの、実線は現在の形、ギザギザは削り取られた部分である。
 リーマンの図[図一]では実際に使われる部分に斜線を施してある。両方の図を較べてみると、使われない場所のB、E、Hは酒船石においては、三つとも大きく丸く同じような形をしている。それに引き替え、使われる場所のA、C、F、G、Iは酒船石では、単なる丸ではなく、いろいろな形をしているように見える。まるで目印のようである。Aでは根元の形で、CとIでは、ハッキリとそれが見えるが、FとGはまったくわからない。ただ、そのスペースから、B、E、Hよりはかなり小さい形と思われ、同じものではありえない。つまり、リーマンの図において使用されない三つのマス目が、酒船石においては、同じ位置に同じ模様に特定されているのだ。またDについては、穢れた人の立つ空間と穢れていない人や物のある空間を象徴的に離すため、大きく小判型に形作ったかのようである。
 ゾロアスター教に特徴的な空間の捉え方とされているのは、実は、私たちにはなじみ深い「結界」の概念である。ゾロアスター教では一本の小さな溝が、日本では一本の縄で結わえた小さな石ころが、二つの異なる空間を分けることができる。
 酒船石でも「リーマン浄化」が何の支障もなくできる。それどころか、Kに当たる構造は、Kの位置が一段下がっているせいで、介添え役にポットの水が跳ねる心配がない。そこには入念な意図すら感じられるではないか。
 材質が岩ということも、直接大地に触れないという点で理にかなっている。パルスィでは、バラシュノムの九つの穴の代わりに、三個セットの石を九組使う。
 F、Gについては、他よりもかなりスペースが小さいと思われるのだが、その構造からは、穢れのスペースをできるだけ小さくという囁き声が聞こえるかのようである。
 斉明天皇が客を饗応した飛鳥寺の西、槻の木の下を反対方向へと遠く離れ、人目につかぬ丘の上のこの「酒船石」において、ペルシア人たちはひっそりと大義である浄化を厳粛におこなったのではないだろうか。
 正統なバラシュノムは、この異郷においてとうてい無理であった。第一に、特別に資格を持つ祭司を、一人ならず、二人も用意できるはずがない。それどころか、祭司は一人も日本へ渡来していない。渡来できなかったのである。
 ゾロアスター教の祭司は非常な尊敬を集める存在であるが、その日常は規律に満ち、厳しいものがある。日々の食事さえゾロアスター教徒の調理したもの以外は口にできない。そして長旅はもちろん、祭司は海を渡ってはいけないのである。つまり、航海は禁止されている。その理由は、祭司はアフラマズダの創造物である海を穢すことはできないからである。海の上で、祭司は自らの排泄物をどうできようか。
 日本へゾロアスター教が入ってこなかった理由は、このようにはっきりしている。
 一方、渡来したペルシア人社会では、浄化がどうしても必要な事件が存在した。六五九年シャー女はダラと結婚して舎衛婦人と書紀に記載され、二人で天皇に拝謁している。結婚の報告であろう。そして翌年、ダラは本国へ向けて出帆し、ついで、ダラの娘、ダラ女が誕生している。
 ゾロアスター教においては、結婚も出産も、浄化を必要とする大事件である。祭司がいなくても、祭司に近いように節制を行なって、常に自ら浄化を心がける、それにふさわしい信者を祭司の代わりとして、常に浄化を行なったのではないだろうか。それならば、酒船石でリーマン儀式に近い浄化も行なわれたにちがいない。
 さらに一六年後の六七六年、書紀には成人したダラ女とシャー女が揃って天武天皇に拝謁したことが記されている。古来、ゾロアスター教徒の成人は一五歳でお祝いするのがしきたりなのである。
 六六〇年に出帆したダラは航海の途中で難破した。お伴の生き残りのペルシア人は、現在のトカラ列島宝島に流れついた。宝島のもともとの名前は「トカラ島」であった。トカラの人が流れついたからであろう。
 その証拠として、宝島では七世紀のササン朝ペルシアが抱えていた、新年に関する暦の混乱がそのまま残る独特のお正月(七島正月、別名、親魂まつり)を今も祝っている。(本誌二三四号の拙稿「トカラ列島宝島考」参照)
 飛鳥で「酒船石」を使ってリーマン浄化の儀式を行なっていたペルシアの王女であるシャー女とダラ女、そしてそれを囲むお付きのペルシア人たちはどこへ行ってしまったのだろう。
 東大寺二月堂のお水取り、熊野の火まつり、盆の迎え火、大文字の送り火、精霊流し、おけら火、お盆に帰る御先祖さまの魂、結界など日本のあちこちにゾロアスター教の片鱗を残しながら、彼らは皆、いったいどこへ行ってしまったのだろうか。(おわり)