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 25 謡曲「翁」の謎 ─ 詞章をペルシア語で解く 上
    (世界戦略情報「みち」皇紀2668(平成20)年6月1日第273号)

はじめに
昭和五〇年代の初めだったと思うが、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」という歌が流行った。そのイメージをもって生まれて初めて横須賀を訪れた。町は予想どうり賑やかだったが、我ながら驚いたことには、つい口ずさんだその歌に連れて湧き上がってきた節(メロディー)はなぜか別のものだった。

  プリティリトルベイビーハーイハーイ
  プリティリトルベイビーハーイハーイ

 何十年も前の歌である。ところが、このハプニングによってここ数年来の疑問が解けてしまったのである。
 日本書紀の第二六巻斉明天皇の六年(六六〇年)の最後に意味不明の歌が童謡(わざうた)として記録されている。

  まひらくつのくれずれおのへだをらふくのりかりがみわだとのりかみをのへだをらふくのりかりが甲子と  はよとみをのへだをらふくのりかりが

 当時、巷間に流行したからであろうが、日本語としては意味不明である。それがなぜ流行したのか、納得できぬままいた。この童謡が流行ったとき、果たしてどれだけの人がその意味を聴き取れただろうかと疑問に思っていたのだが、横須賀での自分のハプニングがあって、意味不明でもメロディがあれば口ずさむものなのだということを実感したのだった。斉明紀の童謡には、ついつい口を突いて出てくるような、魅力的な節がついていたに違いない。

「翁」と謡曲 
 謡曲「翁」(式三番)にも「とうとうたらり」で始まる意味不明の詞章がある。この一番は特別なもの、天下泰平・千秋万歳を祈るおめでたいものとされている。そればかりではなく能そのものの始まりに関わるものとされ、「かみうた」とも呼ばれ神聖視される。
 「翁」の申楽としての繋がりは神楽や日本の楽舞の起源にまで遡る。一方、その昔、祇園精舎の落成式の時釈迦の説教を妨げる邪悪な敵を弟子達による六十六番の物まねによって鎮めたという故事に習い、聖徳太子が六十六番の物まねを秦河勝に命じ、それによって国は治まり人々の寿命も延びたということが太子の「申楽延年記」に書かれており、それを読まれ、申楽を持って天下泰平の祈祷とすべきと感じられた村上天皇が、秦氏安に命じ六十六番の申楽を紀権守とともに紫宸殿で演じさせた。その後、六十六番は一日では演じきれないので、氏安がこの中から三つ選んで現在の式三番の形にした。これは「花伝書」他よりの大意である。六十六番の芸は三十三番になっているものもある。また秦氏安は河勝三百年後の子孫であるが、河勝以来この家系は宮中の楽舞を預かっており、後には圓満井、さらに金春へと続いていく。
 ある時期、申楽・猿楽は散楽と同じものとされたらしい。散楽はいわゆる雅楽に対して雅楽ではないものの総称である。演じられるものは、楽舞ばかりでなく、滑稽なもの、奇術、曲芸など、人々をアッと驚かすようなものが沢山あったらしい。奈良時代に唐より伝わったとされるがその唐へは西域より胡人の幻術として伝わった。散楽は「さるごう」ともよばれ、枕草子にも見える。が、聖徳太子の時代にすでに日本には申楽がある。散楽が伝わってからは申楽はその中に含まれ、さらに申楽(猿楽)自身で能・狂言に発展していったということなのだろう。
 村上天皇より三百年後、後嵯峨院のころの「翁」について『猿楽傳記』の記述がある。

 後嵯峨院の御宇に、往昔村上帝の御文庫に納メ置給ひし十六章の謡物の次第、叡聞に達し置きたるを思召出され、謡い舞うべきものなりとて、上代よりの樂人の頭人たる、大和圓満が家の者に給ふ、故に音曲の鳴物を添て今の能を仕始めたり、此圓満の家といふは、聖徳太子、倭國の音樂舞樂を定め給ふ時、川勝大臣を以て、其事に預からしめらるヽに付、子孫へ傳へて代々樂頭たり、故に今圓満に謡舞べき由を仰有し川勝大臣の時より、圓満猿楽の家にして、とうとうたらりの翁渡し、家に伝うるを以て其吟聲にて十六章の謡物を諷ひ、其謡を囃す笛鼓にて是を囃して、舞曲を取立てたり、其吟聲は僧家に伽陀と云呪讃の吟聲を元として、移し來る處也、是太子の神道集合を始め給ふによる也

 ここで「伽陀」(かだ)というのは、仏教語大辞典によれば、「偈」(げ)とも音写される言葉、サンスクリット語「ガーサー」(gth)が原語で、詩を意味する。一種の韻文で仏の思想や徳を讃えたものであり多くの種類がある。このうち仏典に多く使われるものは三種類あるという。
 上の『猿楽傳記』はその後、次のように続く。其十六章の謡物を

 圓満が是をはじめてより、前にさし、次第の分断を添、跡に論義、切り謡迄の文句を足し、今の一番謡と成事珍らしく、世に翫ぶを以、其後一休和尚、山姥、江口を作り、段々一番物の謡出來たり、後來其一番物百番に及び、又二百番と成、三百番に及びて、其餘近來は六七百にも及ぶ、観世家にて遊行柳出來、朝鮮陣の時……

 これによれば、村上天皇よりさらに三百年後、後嵯峨院の時に村上天皇の遺された十六章の謡い物を圓満の家の者が体裁を整え「翁」の吟声で謡い始めたのが今の能の始まりとなる。

「翁」の詞章 
 詞章のうち狂言部分は本来の散楽・猿楽に直接繋がる部分として重要ではあるが、ここでは「とうとうたらり」で始まる翁の登場部分にのみスポットを当て、その部分のみ記載する。なお、元の詞章にはないが、便宜上①~④の番号を付して区分した。

①翁謡出すとうとうたらりたらりら、たらりあがりらヽりどう、地ちりやたらりたらりら、たらりあがりららりどう、翁所千代迄おはしませ、地われらも千秋さむらはふ、翁鶴と亀との齢にて、地幸心に任せたり、翁とうとうたらりたらりら、地ちりやたらりたらりら、たらりあがりらヽりどう、
②千歳ノ舞初るなるは瀧の水なるは瀧の水日はてるとも、地たへずとうたり、ありうどうどうどう、千歳たへずとうたりとうたり、舞君の千とせをへん事も、天津乙女の羽衣よ、鳴るは瀧の水日はてるとも、地たへずとうたり、ありうどうどうどう、舞スム笛ヒシギ千歳元之座に著
③翁あげまきやどんどや、地ひろばかりやどんどや、翁座して居たれども、翁まいらふれんげりやどんどや、
④翁千早振る神のひこさのむかしより、久しかれとぞ祝ひ、地そよやりちや、翁凡千年の鶴は、萬歳樂とうたふたり、又萬代の池の龜は、甲に三玉をいただき、なぎさのいさごさくさくとして、あしたの日の色をろうじ、瀧の水、れいれいと静に落て、夜の月あざやかにうかんだり、天下泰平、國土安穏、今日の御祈なり、あれはなじよの翁どもよ、地あれはなじよの翁どもぞや、いずくの翁どうどうどう、翁そよや、翁舞千秋萬歳のよろこびの舞なれば、一舞ひ舞はふ、萬歳樂、地萬歳樂 翁萬歳樂、地萬歳樂、  (『古事類苑』「樂舞部十二能楽一」に所収『一話一言』三六より)
 

 さて右の詞章は、①から④に別けたように異なる四つの部分から構成されている。
 まず④については、それに続く狂言の部分と同じ作者により書かれたものと思われる。
 ついで、②の部分の始めと終わりに繰り返される「なるは瀧の水日はてるとも、たへずとうたり、ありうどうどうどう」と基を一にすると思われる歌が風俗歌として梁塵秘抄に載っている。
「滝多かれど、嬉しやとぞ思ふ、鳴る滝の水、日は照るとも絶えでとうたり(または、とふたへ)やれこっとう」というものである。
 また、千歳の部分「たへずとうたりとうたり、君の千とせをへん事も、天津乙女の羽衣よ、鳴るは瀧の水日はてるとも」は七・四・七・五・七・五・七・六と今様の形であり、全体としては千秋萬歳の喜びにあうように、二つの別のもので構成したように見える。ここで、梁塵秘抄は後白河院の編著であり、氏安の時代より二百年ばかり後の作であるので、この部分②は後世の手が入っているのではないかとの説がある。
 ③の詩章も、催馬樂にある総角(あげまき)の歌

  あげまきやたうたう
  ひろばかりやたうたう
  さかりてねたれども
  まろびあいにけりたうたう
  かよいあいにけりたうたう


の替え歌のようである。
 内容からすると、③自身は千秋萬歳に合う内容ではないが、「とうとう」と言う言葉により、繋がりはある。「どんどや」と「とうとう」については、両方とも水の豊かに流れる様を表わして同義である。しかも今様では、「とうとう」は「とんとうと詠む也」と書かれている。「とんと」は「富つ」の意という。
今様の起源は敏達天皇の頃とされ、村上天皇の頃より上下社会に広まった。氏安が今様の形を好んで使っていることもうなづける。
 次に、①の翁の詞章と地の詞章を、それぞれ繋いでみると次のようになる。

(翁)とうとうたらりたらりら、たらりあがりららりとう、所千代までおはしませ、鶴と亀との齢にて、とうとうたらりたらりら
(地)ちりやたらりたらりら、たらりあがりららりどう、われらも千秋さむらはふ、幸心に任せたり、ちりやたらりたらりら、たらりあがりららりどう


 すると、神楽歌にある「得銭子(とくせにこ)」とよく似た形になってくる。

(本)とくせにこが
   ねやなる志めゆふひばをたれか
   たをりし
   とくせにこやたたらこきひばや
   たれかたをりし
(末)とくせにこや
   われこそは見ればやうれたさに
   たをりて来しかや
   とくせにこやたたらこきひばや
   たおりて来しかや
   とくせにこや


 神楽の形を意識して構成されているのだろうか。
 別の試みとして①において意味不明の部分と意味の通じる部分とに分けてみよう。まず、意味の通じる部分は、次のようになる。

  所千代までおはしませ
  われらも千秋さむらはふ
  鶴と亀との齢にて
  幸心にまかせたり 


 これはまったく今様そのものである。 次には、意味不明の部分を検討してみることにする。(つづく)