かぐや姫の誕生     索引  

                    

 28 かぐや姫の謎 ─ ペルシア姫だったかぐや姫 下
   (世界戦略情報「みち」皇紀2669(平成21)年8月1日第299号)

 先の号では、竹取物語が壬申の乱の数年後の実話で、かぐや姫のモデルはダラ女であること、そして貴公子たちのモデルの一人は大伴連吹負ではないかということにたどり着いた。
 ここでは、かぐや姫伝説の伝わる飛鳥の広陵町にある讃岐神社が、実話の舞台であることを検証し、さらに竹取物語の実話を追って行きたい。
 先号冒頭に掲げた竹取物語の引用は「国民文庫」からであるが、今に残る物語伝本のうち最古の完本を底本とする「日本古典文学大系」によれば、「讃岐の造麻呂」は「さかきの造」となっており、さらに【「さかき」は「さるき」の間違いで、「さるき」は「さぬき」に通ずるか】との註がついている。つまり、もとは「さるき」なのである。
 とすると、「散吉」は「散楽」が「さるごう」と読まれていたように「さるき」であり、従って、讃岐神社は「散吉神社」、讃岐の造は「散吉の造」が本来の姿なのだといえよう。
 事実、讃岐神社のもっとも古い記録として「三代実録」があげられているが、そこでの御祭神は、

   散吉大建命神
   散吉伊能城神

となっている。
 ここには元慶七年(八八四年)一二月、神階が正六位上から従五位下に昇格と記録されている。このとき同時に昇格している神社の名は、気多神、和多都美豊玉比咩神と書かれ、それぞれ気多神社、和多都美豊玉比咩神社であるので、讃岐神社の正しい名前は、「散吉大建命神社」、「散吉伊能城神社」なのだろう。なお、「三代実録」には、他所では、「讃岐介良岑」のように、「讃岐」という文字があるので、讃岐と散吉の混同はないといえる。
 しかし、このあと、神社は、延長五年(九二七年)にまとめられた延喜式神名帳では、「大和国讃岐神社」と変わってしまっている。
 では「散吉」とは、一体何者なのであろうか。
 まず二体の御祭神を見ると「命」という文字があることから、祭られているのは人であるらしい。人が祭られている場合は、二種類あって、いづれも社会生活において特殊な存在であった場合に限られる。人々に尊敬され崇められた者、もう一方は特に特別な死に方をした者や、社会に受け入れられなかった者の死後の霊魂の存在を信じ、天下に災いを及ぼすことを恐れ、祭るものがある。後者は神よりも精霊に近く、いわゆる怨霊神として祭られた。この例では、何といっても天神さま、菅原道真公が挙げられる。ここでは、これら二体はおそらく人名であろう。
 ペルシア語にsar-ka'r「サルカル」 という語がある。「監督」という意味の他に、二人称の呼びかけの敬語で、また男性の名前の前につける尊称でもある。英語のミスターよりもより丁寧な尊称といった意味合いがある。( a'はa の長母音で、音は口を大きく開けたア、音はオに近く聞こえる)
 一般に日本人が外国語を聞き、それを日本語の音に再現するとき、各子音の後に母音を入れる傾向がみられる。そして、選ぶ母音により、意味を持つ日本語にすり替わる。「トカラ」が「宝」になるように。また、よく似た子音同士にも転化がある。「サルキ」が「讃岐」になるように。「m」と「n」、「t」と「d」、「d」と「k」等等、意味や音が転化することは他にも多様にあると思われる。従って、日本語から外国語を類推するときは、子音が重要になってくる。
 先ず大建の子音は、ダ(イ)ケンから[d・k・n]または、重箱読みで
ダ(イ)タから[d・t]。これらの音に近いペルシアの男名をみると、後者に近いものでDavoud [ダウド] がある。 
 また、伊能城〔い・の・き〕は、[i・n・k]よりIndy [インディ]が近いと思われる。
 従って、音は、

   散吉大建はサルコル・ダウド
   散吉伊能城はサルコル・インデイ

といえよう。この二人は舎衞女と一緒にきたトカラ人(つまりペルシア人)ではないだろうか。
 とすると、竹取の翁のモデルはこのサルカルとなる。つまり「サルキ」、転じて「讃岐」である。
 竹取物語はかぐや姫の成長と昇天がこのうえなく奇想天外であるが、その間に挟まれた求婚譚も、読者の視野は日本国内に留まらず、遠い外国に向けさせられる。それを求めるかぐや姫の個性も「なよ竹のかぐや姫」という命名に反して、日本的な「なよ竹」ではない。その性格の激しさは、オペラの「トーランドット」王女を連想させる。この二人とも、結婚をめぐって難題をだす謎かけ姫である。
 それもそのはず、思いがけぬことに、片やササン朝ペルシアの気配の漂い始めた竹取物語に対して、プッチーニのオペラで有名な「トーランドット」のストーリーもまた、実は元を辿れば、ササン朝ペルシア時代にあったといわれる「千の物語」に行き着くのである。
 余りにも有名な「千夜一夜物語」、すなわち「アラビアンナイト」には、実は双子のようなやはりペルシア起源の「千一日物語」というものがあって、これは一七世紀にルイ一四世に仕えたペテイという学者により書かれたものである。この中の「カラフ王子とシナの王女」という話を元に劇作家ゴッツイが寓話「トーランドット」を書き、それがプッチーニ等によりオペラとなった。トーランドットとは、トーラン(ツーロンまたツラン、古代ペルシア人に対抗した強敵のトルコ系民族)+ドット(ドクト=娘)であり、その舞台は実は中央アジアではないかといわれている(このあたりは、香川大学でよく研究されている。)このオペラの中で、謎を全て解いたカラフ王子が逆に自分の名前を当てるようにトーランドット姫に謎を出し、姫への愛をこめて歌う「誰も寝てはならぬ」は、フィギュアスケート金メダリスト荒川静香選手がトリノ冬季オリンピックの晴れ舞台で用いた曲として知られている。
 因みに ペルシア起源のこの二つの物語の一方の「千夜一夜物語」は女性を信じない王様に語る話であり、他方の「千一日物語」は、男性を信じない王女様に語る話であることは、一興である。
 さて、これでモデルは揃った。時代も、そして舞台も。そして、かぐや姫のモデルがダラ女とすると自然に実話が浮かび上がる。
 六六〇年、西の海へ出帆したダラを待ちながら舎衞女は、六七五年にダラ女の一五歳の成人を迎え、その正月、天武天皇に拝謁した。ダラの申し出により人質となった舎衞女は、おそらく護衛付きで、見張られながら、飛鳥のどこかでダラ女と二人、ひっそりと暮らしていたことだろう。しかし、外国人であることから、雅楽寮には繋がりがあったと思われる。雅楽とは、外国の音楽のことであり、度羅楽・吐羅楽(タクラ楽)の存在がそれを暗示させる。舎衞女の歌もある。しかし、人質ゆえに、その行動範囲は厳しく限られていたに違いない。
 都は天皇とともに難波に移り、近江に移り、壬申の乱の後は再び、飛鳥に戻って来た。拝謁の後、安堵のためか、舎衞女は急逝したと思われる。ここから竹取物語がはじまる。保護者をなくしたダラ女は、八キロほど離れた広陵町に住むサルコルたちにひきとられる。舎衞女は人質であったので逆に住む所も生活も保証され身の安全は守られていたのであるが、いまや、ダラ女は、自由の身であり、いきなり世間に現われることとなった。
 突然、広陵町に現われた異形の美しい妙齢の姫に、見物は押し寄せ、サルコルへは質問が殺到する。「どこから来たのか」という問いには、仕方なく今まで住んでいた方向を指さすと、そこには鬱蒼とした竹藪がある。これで「竹藪から来たお姫様」という要素が出来上がることになる。
 さらに「光る」という要素はやはり金髪だろうか。
 求婚する者も後を絶たない。しかし断わってばかり。それは母の死と急激な環境の変化に戸惑うばかりのダラ女には当然と思われる。余りの執拗さに、サルコルたちは一計を按じて、当時のササン朝ペルシアの物語にあるように難題を出すことをすすめる。
 しかし、数年のうちにダラ女も急逝する。つまり昇天である。
 サルコルたちは、ゾロアスター教徒であるので、遺体は一刻も早く処理しなければならない。幸い、住んでいるところのすぐ傍に古墳がある。そこには石が葺かれている。それ以外に鳥葬の場所はない。土も火も水もアフラマズダの創造物であり、死という最大の悪により汚すことはできないのである。そこで、その夜、二人でこっそり運び出し鳥葬にした。
 急にいなくなったダラ女がどこへいったのか、再び質問が殺到する。そこで、厳かに「天」へと答える(鳥葬だから嘘ではない)。夜ならば、「月」を指さしたかもしれない。
 その後、サルコルたちには、無念の死が待っていた。おそらく鳥葬はもう許されず、本意なくも土に埋められたであろう。残されたペルシア人たちはその災いを恐れた。
 日本書紀には、あたかもサルコルらのもたらした災害であるかのように、六八〇年には突然として一〇件の天変地異(地震、雷、霜、大風他多種)が記録されている。その前後の異変数は次の様である。貴人の病死は含まない。

   六七三年(0)  六七四年(0)  六七五年(2)  六七六年(2)
   六七七年(1)  六七八年(3)  六七九年(2)  六八〇年(10)
   六八一年(7)  六八二年(7)  六八三年(1)  六八四年(5)
   六八五年(2)  六八六年(1)

 菅原道真の怨霊が猛威を振るった時と較べても、はるかに異変の数は多い。サルコルたちは六八〇年の前半には、すでに亡き者であったのだろう。一連の天変地異はこの年六月から始まっている。その後、おそらくは天変地異の多さに一般の人々も恐れを感じ、さらには、公に怨霊神として祭られたのであろう。
 竹藪、突然の出現、輝くばかりの美しさ、謎かけ姫、月、昇天などを骨子に物語は語り継がれ、二〇〇年以上の時が流れた。そして、才能豊かな一人の作者によって、ファンタジー溢れる、奇想天外な、しかも誰からも愛される「竹取物語」が誕生したのであった。(おわり)