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 33 補遺 酒船石遺跡「空中井戸」再現実験
             (世界戦略情報「みち」皇紀2673(平成25)年10月1日第390号)

●数年前に『狂心の渠(たぶれこころのみぞ)の謎』という拙考を本誌に載せていただいた。その考えは今も変わっていない。その考えとは、石敷きの巨大な浅い谷である酒船石遺跡全体が実は中央にある小さな人工の湧水装置をつくるために必須であったという考えである。この小さな湧水装置は、いわば「空中井戸」であり、これを作るためには、この谷を掘らなければならなかった。こういう形がどうしても必要だったのである。
 下図をご覧いただきたい。


この人工の谷は、特に、井戸の水面と掘り下げた谷の底の間の地表は水が湧きやすく、従って、石畳と側溝が必要となる。そうしなければ、谷が崩れるであろうし、他方、しみ出る筈の水は溜まらぬように流さねばならない。地表より上にある井戸の水面からは樋をかければ、いつでも水が湧き流れることとなる。この樋の先に亀型水盤を置けば酒船石遺跡となる。この谷を掘って出た土は、周囲に盛り上げる。酒船石遺跡では、もとからあった丘にさらに盛り上げたようである。盛り上げた土がくずれないように、石垣を巡らすのも亦、必然の結果である。さらに報告書によれば、石垣の石は外から見える面がきれいに磨かれているとのことで、当時は、美しい人工の山が作られていたようである。
その山の中腹に在る酒船石は、飛鳥に残るいくつもの謎の石造物と同じく、御影石であることから、本来は、この美しい人工山をさらに飾るためのいくつかの石造物を作る目的で、石材として置いてあったものなのではないだろうか。実際には、使われぬまま時がすぎてしまったのだが。
酒船石の表面の謎の文様は浅く掘られているため、切り出していくつかの石像を作るには何ら影響はないであろう。表面の謎の文様は、九つの円とそれをつなぐ溝からなっている。以前にこれは、斉明天皇がこの建造物を造った時代(六世紀後半)に、飛鳥にいたと日本書紀に記録されるペルシア人達のゾロアスター教における重要な儀式、「浄化」に使われたのではないか、ともご報告させていただいた。ゾロアスター教では、この儀式に使われる図式も九つの円または四角で、石が使われる。そして酒船石の上の図は、この儀式を行なうための配置、大きさがふさわしい。
●さて、当時の人々が「狂心」という表現を使った渠とは、研究者の方々によれば、この建造物を造る為に使われたおびただしい数の石を石上山から運ぶために作られた十数キロに及ぶ運河の事である、とされているが、本当にそうだろうか。この広大な遺跡は、たった一つのこのちいさな湧水施設(空中井戸)をつくるために掘られた谷である。その堀り土で隣接する人工の山まで作られた。そしてこの谷を維持するために、多くの石が一〇キロ以上離れたところから何万人もの人により運ばれた。つまり、この遺跡そのものが「狂心の渠」なのではないだろうか。実際、この遺跡には、排水のための渠が縦横に配されている。
 この空中井戸の設備は、今でこそ簡単な物理であるが、一三〇〇年以上前の時代では、まさしく水工(みずたくみ)による技であったに違いない。
 単に運河を掘るだけならば、十数キロに及ぶ並はずれた長さといっても、特に水工の技は不要であろう。それに石上山から酒船石遺跡までは、実は運河を掘る必要はなく、自然川を使って石上山から飛鳥坐神社までたどることができる。そして飛鳥坐神社前から酒船石遺跡まではすでに運河が発掘されている。この運河は、小さな船二艘がちょうど行き交う広さの小規模の運河である。
しかし、この小さな運河の存在は重要である。石上山から布留川、大和川と自然川をたどって、日本書紀の記述に従い左折して寺川にはいり、米川と伝い、香具山の西を通る八釣川に入って飛鳥坐神社の前までくると、そこからは、川は急勾配に登りとなる。つまり、船は流れに逆らうだけでなく、実際、動けなくなる。川の方向もそこから目的地にあわなくなってくる。そこで、どうしてもこの運河が必要となる。
八釣川は、今は中の川と呼ばれているが、万葉集に歌われている川である。現在も、下八釣という地名が残っており、いにしえの八釣川の存在を偲ぶことができる。
空中井戸のアイデアを、友人の夫君である物理専門家に見ていただくと、理論的には適っているとのお返事をいただいた。しかし、実際に井戸を掘るわけにはいかず、宙ぶらりんのままで、その後はアイデアを封印していた。
●ところが、この夏休みのある朝、ヨーグルトに入れようと何気なくジャムの蓋をあけると、ジャムの真ん中の穴にシロップのプールができていた。井戸水が溜まっているのと同じ原理である。次の瞬間、ジャムでなら空中井戸のモデルがつくれるかもしれないとひらめいたのである。
 ジャムは、水分を多く含んだ地層(水脈)であり、そこを掘って行くとシロップ(井戸水)が溜まる。次に溜まったシロップの水面を保つべく、太いストロー(井枠)を差し込み、その周りのジャム(地層)を掘り下げる。掘り下げたジャム(堀土)は、外側に盛り上げる。すると、その結果、できた谷の真ん中に、ストロー(井枠)にかこまれたシロップの柱(水柱)が出現する。空中井戸というか、この水柱のてっぺんからは、まさしく空中から水を取り出せることとなる。一三〇〇年前には、空中井戸は摩訶不思議な建造物であったにちがいない。斉明天皇が、「狂心」とそしられるのもかまわぬほど魅せられたのも無理からぬことに思えてくる。
 まずジャムを容器に入れる。ジャムは固形の内容物がなく質が均一な、冷蔵庫でプールができていたものを使った。因みにジャムはブルーベリージャムである。ストローについては、毛管現象でシロップ柱ができたのではないことの証明として、シロップの単なるプールに立てただけのものも作ってみた。このストローは太い(直径九ミリ)ので、毛管現象は見られない(B図)
 シロップ柱を空中に出現すべくストローの周りを掘り出していく間、これが、実際に大きな空間だったら、階段状にしたほうが堀土の処理がしやすいのではないかと感じた。階段状にすれば排水用の溝も配置しやすく、一挙両得。一瞬、いにしえの水工の考えに触れたように思った。酒船石遺跡の構造は、しかるべくしてあのようになっていたのだ。
 まずは、下の写真をみていただきたい。 A図のジャムの谷の表面を固定するためには何かが必要である。酒船石遺跡では、おびただしい数の石であるが、私のジャム谷には平たい乾麺をハサミで切り約五ミリ四方となったものを表面にできるだけカバーするように貼りつけた。酒船石遺跡では、湧水装置の周りは 砂岩でできた塀のある小さなたたきになっているが、ジャム谷では、ストローの周りに極小ビーズ(ガラス製)を敷いた。この部分は、ここではストローの中のシロップ柱を固定するには必要であったが、酒船石遺跡でも、できた水柱を安定させるために砂岩ブロックのたたきスペースは、必須であったにちがいない。

A図(空中井戸にあたるシロップ柱が見える)


B図(毛管現象は見られない)


 ストローの中の一センチくらいの高さのシロップ柱は「空中井戸」で一週間以上、高さは変わらなかった。その時点で、いったんストローを抜き、単なる井戸掘り状態にして、同じストローをたててみるとB図のようになり、毛管現象はみられなかった。酒船石遺跡の湧水施設の地上に突き出している部分(写真参照)、井枠にあたるタワーの砂岩には『』型のような細工があるそうである。水が漏れないためにと思われる。
 最後に、酒船石遺跡の中央部分をみていただきたい。遺跡全体が浅い谷となっている。 奥に見える小さな塔が「空中井戸」である。

(南から見た遺跡)           (北からみた遺跡)

 


【参考】「発掘調査概要酒船石遺跡の発掘調査成果とその意義」【遺跡の写真】飛鳥古郷顕彰会冊子より転写。
(おわり)