みょうがの旅    索引 

                    

 第1回 みょうがの旅 1 ── 茗荷の冥加に導かれて
            (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)2月15日第354号)

●今上天皇陛下御誕生日奉祝の一般参賀に初めてお参りする機会に恵まれた昨年一二月二三日、皇居参拝記念の「菊最中」をお土産に、みち編集部にお邪魔した際、天童氏より筆者の家紋の茗荷紋について記事を書くようにとのお導きをいただき、本号より拙稿を載せていただくことになった。
 長年海外にいた筆者は、恥ずかしいことに数え年四〇歳にしてようやく祖国のこと、郷土のこと、自分の家のことをあまりにも知らなさすぎる自分自身に気づき、今からでも勉強しておかねばという気持ちに駆られた。しかしこの年齢になって、縄文時代から弥生時代などと学校の勉強のようなことをしても仕方がない。また、筆者の家は家系図が残っているような名家でもない。が、無名の民であろうと、わが国と郷土(北部九州)の歴史とともに先祖代々の営みもあったのだから、自分の苗字、本籍地、家紋を入口として勉強を始めることにした。ただ、これまた恥ずかしいことには、自分の家紋が「丸に抱き茗荷」だと知ったのはそれからしばらく後のことである。
 爾来家紋研究を始めて五年余、不肖にして茗荷紋の何たるか、全体像を描ききれずにいる。これまでは不勉強なまま書くことを避けてきたが、今回は漠然と、不完全でも、いや不完全だからこそ書いておいたほうがよいかもしれないという気になった。海図なき航海さながらの思いつくままの家紋研究の旅を振り返り、また今もさすらい続けている在り様を、思いつくままに書き連ねていくことにしたのである。
●十大家紋の一つに数えられるほど茗荷紋が広まったのは「茗荷」が「冥加」に通ずるので縁起が良いと考えられたからだ、とよく言われる。広辞苑には、「冥加」とは「知らぬ間に神仏の加護をいただくこと」とある。この研究においても、不思議な形で神社、仏閣、人々、文献とのご縁をいただき、数々の貴重な示唆をいただいてきた。
 勿論これは、茗荷紋故の御利益ではなく、他の家紋の誰にでも起こりうるのであり、巷間そのような体験談を見聞きすることも少なくない。ただ、研究報告の類の中で不思議な体験談にも触れられることはあまりない。書きものの趣旨が違うということだろうが、拙稿では茗荷紋研究に関して目に見えるもの(言い伝えなども含む)と、目に見えぬものの働きと思われることも両方書いていく。いうなれば「顕界」と「幽界」の両界を往来するのだ。
●茗荷紋を文献やインターネットで調べると、ほぼ必ず「摩多羅神(またらじん)」という謎の仏教の護法神が登場し、しかも芸能、特に能楽との関わりが指摘されている。能楽の曲目は大抵、顕界のワキと幽界のシテが出会う場面から始まる。『異界を旅する能 ワキという存在』(ちくま文庫)の著者、能楽師ワキ方の安田登氏の解説を大まかにまとめると、此岸のワキがある「ところ」に通りかかった時に、予期せず彼岸のシテ(=神仏や幽霊)に出会う物語が能である。筆者は行く先々で神様や幽霊を目にはしない。しかし、それらの働きが感じられる、目に見える出来事には予期せず遭遇する。
●こうして来し方を振り返っているうちに、「冥加」に通ずると信じられてきた茗荷紋が主題だからこそ、顕界と幽界のことをあえて一緒くたに書いてみようと思いついた。蛇足ながら、「あえて」とは「敢えて」と「和えて」の両義である。このような試みは、世の中に「偶然」などないというご理解のある『みち』の読者を前にしてならば許されよう。今更ながら『みち』への「おみちびき」に冥加を感じる。
 前出の本で知ったが、ワキは「ほとんどの場合「道行(みちゆき)」という謡を謡う。これは文字通り「道を行くこと」、すなわち旅を表す」。十六羅漢の一人、シュリハンドクの墓から茗荷が生えてきたとの説話があるが、シュリハンドクが生まれたのは母親が出産のため実家に帰る道中だった。また、筆者の先祖の本籍地の産土神は宗像神で、そのまたの名は「道主貴(みちぬしのむち)」と申し上げる。そして、茗荷紋の研究も文献は二の次の、現地調査の旅、即ち「道行」が基本である。このようなご縁で始まる拙稿が今後、神意、仏意に適い、少しでも世の役に立つならば、摩多羅神信仰の「無明即法性」、「煩悩即菩提」の考え方に通じることにもなろう。
●実はこう書くに至るには、元々思いつきに従った研究で、資料も未整理のため、一月半もモヤモヤ状態が続いた。先の「執筆方針」が閃いて筆が進みだしたのは、伊邪那岐命の禊祓い伝説が残る福岡市西区小戸(おど)の小戸妙見神社の幟旗奉納祭典に参列した二月六日、旧暦小正月の夕方。誠に神恩感謝である。ご祭神は今年で編纂一三〇〇年となる『古事記』の中で、「天地の初發の時、高天原に成りませる神」と記された天御中主神のほか、妙見菩薩、龍神の計三柱、それに伊邪那岐命が境内に祀られる。この日は雨の予報であったが、祭典の直前に龍鱗のような斑模様の雲が現われ、その奥から太陽が見え隠れしだした。壬とは陰気が去り、陽気が生じて万物が孕むという象意だが、期せずして本年の干支壬辰を象徴するかに思われる日和となった。