みょうがの旅    索引 

                    

 第2回 みょうがの旅 2 ── 茗荷の冥加に導かれて 2
            (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)3月1日第355号)

●前号では昨年一二月二三日に拙稿執筆のお導きをいただいたと書いたが、そもそもこの時期に上京を決めた理由はこうである。福岡~東京間の片道航空券への交換には若干不足する全日空マイルが昨年末で有効期限が切れることになっており、しかも昨秋得意先と行った海外出張のおかげで、保有マイルの合計は往復航空券にも十分交換可能になっていたので、得意先へのお礼と今後の打合せのために上京することにしたのである。先方の都合もあり、日程は冬至の一二月二二日となった。
 当日は時間の余裕もあるので、都内で冬至関連の行事はないかと調べると、早稲田の穴八幡宮で冬至祭があり、「一陽来復(いちようらいふく)御守」の頒布が始まることを知った。穴八幡宮はかつて茗荷で有名だった早稲田にあるので前から気になっていた。だが、今回の参拝が本稿「みょうがの旅」へと筆者の背中を押すことになるとは予想もしなかった。
●本社の御祭神は應神天皇(品陀和気命)、仲哀天皇(帯中日子命)、神功皇后(息長帯比賣命)の三柱。由緒書きによると、康平五年(一〇六二)、奥州から凱旋中の源義家(八幡太郎)が「日本武尊命」にならって兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧請したのが創祀で、この地は江戸初期まで八幡山と呼ばれていた。寛永一八年(一六四一)、宮守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところから神穴が出現し、爾来穴八幡宮と呼ばれるようになった。
 境内の入口には流鏑馬の銅像が立つ。享保一三年(一七二八)徳川吉宗八代将軍が世嗣の疱瘡平癒祈願で奉納したのが穴八幡宮の流鏑馬の始まりで、後に各将軍一代の重事の度に催されてきたが、明治維新の後一時絶えていた。しかし、今上天皇陛下御生誕を奉祝して昭和九年に再興されたと案内板で知り、皇居参拝の前日にお参りできたことを有難く思った。銅像の下には「早稲田茗荷」の案内板を見つけた。
●「一陽来復御守」は公卿の水無瀬家が山城国宝寺より感得し奉納した福神(打出小槌)に起因し、打出小槌はそもそも聖武天皇が養老七年(七二三)の冬至の日に龍神より授けられた宝器と伝わる。毎年の冬至祭には金柑と銀杏、柚子がお供えされてきた。御守は江戸中期から冬至の福神祭で授与され始め、「金銀融通の御守」とも呼ばれるようになった。今は冬至から節分まで毎日頒布されている。そして冬至、大晦日、節分の三日の中のいずれか、夜中の一二時に歳ごとの恵方に「一陽来復」の字を向けて壁や柱に貼ってお祀りする。これら三日を境に陰気が去って陽気が復やって来ることを感謝し、人生においてもそのようなご加護を願うものだろう。前にも書いたとおり、今年の干支の壬(みずのえ)も陰気が去り陽気が生じて万物が孕む象意を持つ。この日は朝から曇っていたが、十時半ごろには境内にも薄日が差してきて、「一陽来復」を感じさせる天気となった。
 お祭りのときはそれぞれの社寺の性格がより強く顕れるので、研究上の収穫も多い。神事や祭典、法要だけでなく、御守(特定の期間や日だけ頒布されるものもある)、名物の品々、同じような御利益の御守や名物でも社寺によって呼び名が違う点にも、各地の信仰の特徴がうかがわれる。
「一陽来復御守」は貼る方角が厳密に定められ、貼り直しはいけないこともあり、方位磁針と、御守が剥がれ落ちないための台紙を売り、貼り方のコツを参拝客に指南する露店も出ている。「金銀融通」の御利益あれと、柚子や、柚子を使った菓子類も目立つ。これは冬至祭の御供物の金柑が「金」、銀杏が「銀」、柚子は「融通」に通じるとの発想であろう。「一陽」にはまた、「銀杏」(いちょう)と「陰陽」(いんよう)の含意もあると思う。
●穴八幡宮の由緒書きの中で神穴出現のきっかけとなった「宮守の庵」とは、元は穴八幡宮の社務を担っていた別当寺で、現在の高野山真言宗威盛院(いせいいん)光松山放生寺(こうしようざんほうしようじ)のことであり、開創は威盛院(いせいいん)権大僧都良昌(ごんだいそうずりようしよう)上人。上人が夢告にしたがい祈願を続けて三代将軍家光の長子(四代将軍家綱)が誕生したことで、寺号「威盛院光松山放生會(え)寺」を賜り、葵紋の使用も許された。
 山号は幕府の祐筆、大橋龍慶が神穴出現の年に社地を穴八幡宮に献じて社殿を造営した頃、神木の松が瑞光を放った奇瑞に基づく。
 放生会(ほうじようえ)は、人間が日ごろ命をいただいている魚鳥を山野池沼に放って供養する法要で、現在は毎年体育の日に修され、御本尊の聖観世音菩薩像も御開帳となる。因みに、穴八幡宮の流鏑馬神事も体育の日に執り行なわれる。
 穴八幡宮の「一陽来復御守」も元々は別当の放生寺が天保年間に授与しだしたものに起こり、こちらでは観音経の「福聚海無量(ふくじゆかいむりよう)」という偈文から福の字をとって「一陽来福」と名付けられ、観音菩薩の御札とされている。
●放生寺本堂を拝して振り返ると正面には神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の小祠がある。その上にはほのかに陽光がのぞいていた。
 三日前に本誌第三五一号で読んだ、役(えんの)小角(おづぬ)への神変大菩薩の諡号下賜と石清水八幡宮、賀茂神社両社の臨時祭再興に関する栗原茂氏の記事がふと頭に浮かんだ。