みょうがの旅    索引 

                    

 みょうがの旅 7 ── おしほい 1
 (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)5月15日第360号)

●本号ではまずお詫びから申し上げねばならない。前号に書いた東京早稲田の穴八幡宮の元別当寺は「法生寺」ではなく「放生寺(ほうしようじ)」、また王子の「紀伊神社」も「紀州神社」の誤りであった。これら社寺のご関係者たちにはもちろんのこと、読者諸氏にも大変申し訳なく思っている。思い込みと読み返しや資料の確認時の不注意であった。そこで「放生寺」の「放生」を「法生」、「紀州」を「紀伊」と思い込んでしまった原因をまず考えてみる。
 放生寺の寺号を間違えたのはこうだったかもしれない。前回の原稿を提出した四月二八日の前後が慌ただしかったこともあるが、その日の夜には滋賀県大津市に向かい、翌二九日に春の大祭が行なわれる雄琴(おごと)神社(じんじや)と那波加神社(なはかじんじや)、それに那波加神社の元別当寺の法光寺(ほうこうじ)(いずれも抱き茗荷紋)を参拝することにしており、その法光寺の「法」に気持ちが引っ張られていたようだ。
 次に王子の紀州神社と奈良市の春日大社奥の院の紀伊神社はご祭神が同じ五十猛命(いたけるのみこと)、大屋津姫命(おおやつひめのみこと)、抓津姫命(つまつひめのみこと)の三柱で、そのことを知って以来、何度か春日大社にお参りするうちに、王子の紀州神社も「紀伊神社」と思い込むようになっていたようだ。
 壬辰(みずのえたつ)の今年は心を落ち着けて前へ進まねばならないと注意された、博多の東長寺住職の法話をご紹介した筆者自身がこの体たらくで、心は既に大津に飛んだまま、早稲田の放生寺のことを書き、参拝もまだの紀州神社に触れた勇み足を反省している。過ちを犯せば禊祓をせねばならない。
●紀州神社とご祭神が同じ紀伊神社が奥の院に祀られる春日大社の葉室賴昭(はむろよりあき)元宮司のお話として、福岡の小戸(おど)妙見神社の増田誠司宮司から伺ったところでは、例えば病気のお祓いでは病気が治ることが期待されるが、本来はなぜ自分が病気に罹ったのかに気づくことがもっと大切だそうだ(医学的原因だけではない)。そして、病気に罹ったことを前向きに捉えることで、抱えた病気とともに人生が新たな展開をしていく──、それこそがお祓いで最も大切なのだと筆者は受け止めた。病気も過ちも好んで罹ったり、犯すものではない。人智の容易に及ばぬ何らかの理由があるのかもしれない。
 そう思いつつ今号の原稿を書きながら、法光寺のご詠歌の写真を拡大して改めて読むと、

  世の中に放つ光りの寺なれバ
    草葉の露も瑠璃とうるおう

  諸人にみ法伝うる寺なれバ
    佛の光り瑠璃とかがやく

とあるのを確認した。法光寺が「放つ光りの寺」とあるのに、「放生寺」を「法生寺」に書き間違えた筆者は少し慰められる気もするが、ともに「ほう」と読むこの二つの字に通じるものが他に何かあるのかどうか、無理に結論を急ぐことは止めておこう。
●茗荷紋とも由縁ある社寺に日光東照宮がある(配祀神の一柱、源頼朝卿の御神輿に抱き茗荷紋)。その主祭神、東照大権現こと徳川家康公はご遺訓の中で、人生を重い荷物を背負って進む旅に喩え、先を急ぎがちな心を戒め、「及ばざるは過たるよりまされり」と諭された。「過ぎたるは猶ほ及ばざるがごとし」と、「過ぎたる」と「及ばざる」とを同等に置く孔子の教えとの違いが興味深い。進歩が遅く、やり足りない段階ではまだ向上の余地がある。しかし急いでやり過ぎると後の祭りだ。日光東照宮の神厩舎に「見猿、言わ猿、聞か猿」の有名な三猿の彫刻があり、神馬の守護のためとされるが、家康公のご遺訓を読むと「見過ぎ、言い過ぎ、聞き過ぎ」等々、何でも「過ぎる」ことを戒める意味もあるように思う。
●ところが記紀神話は、やり過ぎてしまった後の禊祓(みそぎはらえ)が、予期せぬ幸いをもたらしうることを示している。黄泉(よみ)の国に入り、見るべきでないものを見過ぎてしまわれた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、禊祓をされた結果、天照大御神(あまてらすおほみかみ)、月讀命(つくよみのみこと)、建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)の三貴子(みはしらのうづのみこ)を得て喜ばれたことは、その好例である。
 その禊祓の地にある小戸妙見神社の増田宮司も、直日(なおひ)の神よりも禍津日(まがつひ)の神が先にお生まれになった順番に筆者の注意を促された。人間の価値基準では「悪」や「過ち」、「病気」などの「禍」が忌避される。しかしどんな「強運」の人でも「禍」を完全に避けることはできない。だが禊祓をすれば、即ち「禍」を抱えるに至った自分自身を見つめ直し、中々容易なことではないが、「禍」にさえ肯定的なものを見出せば、何か新たなものが生まれ、霊魂の成長につながる。葉室元春日大社宮司の著書『神道 夫婦のきずな』には、台風で境内の被害が増えていっても、実際より酷い事態にならずに良かったと常に考え直し、「台風さん、ありがとう」と感謝さえしていたところ、前々から修理の手が回らなかった春日山奥の末社まで、結果的にはきれいにすることができた、と書いてある。
 徳川家康公のご遺訓にも「勝事(かつこと)ばかり知りてまくる事をしらざれば害其身(そのみ)にいたる」とある。これらのみ教えに、煩悩や過ちの多い筆者は改めて励まされる。前号で取り上げたお汐井の力も借りて一層の禊祓をすべく、副題を「おしほい」に改める。