みょうがの旅    索引 

                    

 みょうがの旅 8 ── おしほい 2
 (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)6月1日第361号)

●副題を「おしほい」に改めるに際して、天童竺丸氏から前号の初校で、平仮名では分かり辛いのではとのご指摘を受け、確かにそうなので本文の最後を少し書き変えた。「御潮井」や「御汐井」とすれば一見分かり易いが、「潮」と「汐」はやはり違う字であり、意味にも微妙な差がある。神社による用字の違いは、それぞれに理由があるようにも思う。とまれ、どれにも通じる表記にしようとすると平仮名しかない。「みょうがの旅」も茗荷紋の話だけではないので平仮名だ。ついでに種明かしをすれば、筆名の光蔵も摩多羅神信仰のキーワードである「密蔵」をも意識したものだが、人により「みつぞう」、「こうぞう」と読みが異なるようなので、今後は平仮名表記にしよう。
 文章では一般的に漢字仮名交じりのほうが文意は一読して伝わり易いが、それは文中の言葉が特定の意味に限られる場合である。信仰思想を伝える大和言葉は特定の漢字の字義の枠を超えた広がりを持ち、一つの漢字では十分にそれが伝わらない。ある一柱の神の御名の表記が一様でないのも、大和言葉の漢字表記の限界を物語る。
●しかし、漢字が大和言葉の意味の一端を理解する助けにはなりそうだ。例えば、元明天皇に奉る『古事記』の中で、皇祖天照大御神を含む八百万の神の御名に、ただ音が一緒なだけで闇雲に漢字を当てはめたわけではなく、逆に漢字の字義を調べ尽くし、熟慮に熟慮を重ねたことが、太安萬侶(おほのやすまろ)の記した『古事記』の序に窺われる。
 他の文献や神社の社伝、由緒書きの中のご神名や地名の漢字表記も無闇に当て字として軽視、無視するのはいかがか。そのような文献を記した先人たちも、それぞれの時代と地域を代表するような教養と見識の豊かな人たちだったのではないかと想像する。「弘法にも筆の誤り」の諺があるように、誤字などもあったろうが、紙と墨を浪費できない時代を思うと、社号やご神名などを紙に書くのは相当な研究と心構えがあってのことではなかったか。また、これらの書物を後世に大切に伝えてきた先祖たちの思いも大切にしたい。況んや、元明天皇と元正天皇が『古事記』と『日本書紀』をあるがままお受けになられた大御心については忖度するのも畏れ多い。不肖の筆者は漢字も大和言葉の一端を知るヒントとしたい。
●とはいえ、平仮名の大和言葉が内包するものの計り知れなさも感覚として強まってきている。既にご紹介した福岡市西区の小戸妙見神社の増田誠司宮司が、祝詞の「みたまのふゆ」は漢字でどう書くのかとの参拝者の質問に、「平仮名です」と答えられ、葉室賴昭(はむろよりあき)元春日大社宮司は、祝詞は大和言葉なのですべて平仮名で書かれていた、とお話しされていたのも思い出した。
 仮名は例えばハングルや欧米言語の表音文字とも違い、母音と子音が分かちがたく一体である。むしろ、音を母音と子音とに分ける発想が大和言葉にはなかったのだろう。縦にア行、カ行、サ行…、横にア段、イ段、ウ段…といった五〇音表などは、欧米言語の発想を契機にして生まれたのではないかとも思う。数学の順列組合せのような五〇音表は機械的な暗記、もっと言えば母音と子音を別々に表記する外国人用に作成されたかの印象さえ受ける。しかし理数系音痴が妄想だけで書いてはいけないので少し調べると、五〇音表は漢字やサンスクリット語の音韻学の必要性から作られたのが通説だと知った。やはり表意文字や、母音と子音に分かれる表音文字を使う外国語に接して生まれたのか、と納得しかけた。
●ところが数日後、何気なく手に取った過去の『みち』(第三二四号)をめくると、霊言(たまこと)五〇音字と『古事記』上巻の内容に関する栗原茂氏の記事が目に留まった。そこには、天地開闢からイザナギ、イザナミ二神(ふたはしら)の国生みに至るまでが、五〇音字に如何に通じるのかが説かれていた。再び本誌読者の前で大恥をかく、正に危機一髪だった。
 ならばファイト一発とばかり、無理を承知で栗原氏の論考によじ登ってみる。先ず獨神(ひとりがみ)に通じるウ(アメノミナカヌシ)がア(タカミムスビ)とワ(カミムスビ)を共振させ、葦牙(あしかび)のごと萌(も)え騰(あ)がる物に因りてオ(ウマシアシカビヒコジ)とヲ(アメノトコタチ)、さらにエ(クニノトコタチ)とヱ(トヨクモヌ)が出現。その後対神(ついのかみ)に通じるチ、キ、ミ、ヒ、リ、ニ、シ、yiが続き、イザナギとイザナミに通じる音はイ、ヰとなる。仮名に母音と子音の別はないが、ここであえて次の視点から振り返ってみよう。

  ウ→ア/ワ→オ/ヲ→エ/ヱ ……… 母音
  チ・キ→ミ・ヒ→リ・ニ→シ・yi ………… 母音+子音
  イ・ヰi ………………………………… 母音

「ワはアの隠(こも)り音」とあるので、ワ行音も母音としたが、国生み、神生みをされるイザナギ、イザナミ二神に通じる音が再び母音となり、直前のyiを継ぐようにも響くのは意味深長に感じる。因みにこの二神が国生みのために降りられたのは、鹽(しほ)が積もってできたオノゴロシマ。本稿の思わぬ展開も、漢字の限界だけで仮名表記を選ぶ安易さを戒めてくださった、「おしほい」の冥加と感謝したい。(つづく)