みょうがの旅    索引 

                    

 みょうがの旅 9 ── おしほい 3
 (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)6月15日第362号)


●先に霊言(たまこと)五〇音字と『古事記』上巻に記される神々の関係について栗原茂氏の論考に触れた。天地開闢から神々に通じる霊言の出現を順に追ってみる。

 ウ=アメノミナカヌシ
 ア=タカミムスビ/ワ=カミムスビ
 オ=ウマシアシカビヒコヂ/ヲ=アメノトコタチ
 エ=クニノトコタチ/ヱ=トヨクモヌ
 (以上、獨神(ひとりがみ)にして母音)

 チ=ウヒヂニ・キ=スヒヂニ
 ミ=ツヌグヒ・ヒ=イクグヒ
 リ=オホトノヂ・ニ=オホトノベ
 シ=オモダル・yi=アヤカシコネ
 (以上、対神(ついのかみ)にして子音+母音)

 イ=イザナギ・ヰ=イザナミ
 (以上、対神にして母音)

 仮名にそもそも母音、子音の別はないものの、「ワはアの隠り音」ともあったので、ワ行音も仮に母音として右の通りにまとめてみた。アメノミナカヌシからトヨクモヌまでの獨神は母音に通じるが、ウヒヂニから続く対神は高天原=タカ(ア)マハラの各行とナ(ワ)サヤの各行のイ段の子音+母音に通じていく。しかし対神の最後に「成(な)りませる」イザナギとイザナミはア行とワ行のイ・ヰの母音に通じる。しかもイ・ヰは直前のyiを承けるように鳴りませる。国生みと神生みの共同作業をするイザナギ・イザナミ二神(ふたはしら)に通じる音が再び母音となる。二神はカグツチまで「生(う)みませる」後、今度は各々単独の排泄物や着衣、心身の穢(けがれ)れの禊祓から神々が「な(生・成)りませる」との表記に注意すると、獨神とイザナギ・イザナミ対神に通じる音が母音となるのは意味深長だ。
●『古事記』のイザナギの禊祓までをもう一度振り返ると、アメノミナカヌシからオノゴロシマまでは「成(な)りませる」(成る)とあり、以降イザナギ・イザナミ二神は「みとのまぐはひ」により国と神を「生(う)みませる」。しかし、カグツチ出産後のイザナミ単独の嘔吐物や糞尿からは神々が再び「なりませる」。しかも、出産直後の嘔吐物からカナヤマビコ・カナヤマビメ二神が「生(な)りませる」のに対し、次の屎(くそ)からはハニヤスビコ・ハニヤスビメ二神が「成(な)りませる」。以降「成(な)りませる」多くの神々が続き、イザナギ単独の禊祓の末にはアマテラス・ツクヨミ・スサノヲの三貴子(みはしらのうづのみこ)が「成(な)りませる」。ただしこの禊祓で「成(な)りませる」神々は後述で、着衣など「身(みみ)に著(つ)ける物(もの)を脱(ぬ)ぎうてたまひしに因(よ)りて、生(な)りませる神(かみ)」と「御身(みみ)を滌(そそ)ぎたまふに因(よ)りて生(あ)れませる者(かみ)」に分けられる。
 その後アマテラスとスサノヲの誓約(うけひ)による子生(みこう)みで「成(な)りませる」タキリビメ、イチキシマヒメ、タギツヒメの宗像三女神と、マサカアカツカチハヤビアメノオシホミミ、アメノホヒ、アマツヒコネ、イクツヒコネ、クマヌクスビの五柱の男神もまた「生(あ)れませる」と書かれる。そして高天原(たかあまはら)を追放されたスサノヲに殺されたオホゲツヒメの身には蚕、稲種、粟、小豆、麦、大豆が「生(な)り」、カミムスビはそれらを種と「成(な)したまひき」……と続く。
●つまり、天地開闢から獨神と対神が「成(な)りませる」→イザナギ・イザナミ二神が「みとのまぐはひ」で神々を「生(う)みませる」→イザナミの排泄物から神々は再び「な(生・成)りませる」→イザナギの川中の禊祓、アマテラスとスサノヲの天安河(あめのやすのかは)の誓約(うけひ)で「成(な)りませる」神々はまた「生(な)りませる」、「生(あ)れませる」とも→オホゲツヒメの身に「生(な)」る蚕と五穀をカミムスビは種と「成(な)したまひき」、となる。
 イザナギが「國土(くに)生(う)み成(な)さむ」とイザナミを誘(いざな)われる箇所で、字義が相通じる「成」と「生」が同時に記され、それに続く「みとのまぐはひ」までは訓(よ)みが「生(う)み」となり、イザナギ、イザナミ各々単独の神生みが始まると一旦「生」の字を承け「生(な)りませる」と訓んでから、以降の神々が「成(な)りませる」と続く。しかし川中での禊祓と天安河での誓約で「成(な)りませる」神々は、別段で「生」の字に換えて「生(な)りませる」、さらには「生(あ)れませる」と訓む。その後「生」の字を継いで、蚕と五穀が「生(な)り」と再び訓み換えた上で、種と「成(な)し」、と字を「成」に換える。
 こうして見ると、用字と訓みが闇雲な当て字ではなく、異なる字同士は共通する音を介して、異なる音同士は共通する字を介して、直前の字や音を承けて連綿と繋がる様が窺われる。承前の原則は、各地の社寺で地主(じぬし)神への信仰を維持し、新たに勧請される神々や仏菩薩の伝説にも反映させてきた、わが国の信仰のあり方にも通じるようだ。
●用字の訓み換えの契機となる最初の箇所は、イザナギ・イザナミ二神が「ただよへる國を修理(つく)り固(かた)め成(な)せ」との天神(あまつかみ)の命(みこと)により、天沼矛(あまのぬほこ)を指(さ)し下(おろ)して「鹽(しほ)こをろこをろに畫(か)き鳴(な)して、引(ひ)き上(あ)げたまふ時(とき)に、其(そ)の矛(ほこ)の末(さき)より垂落(しただ)る鹽(しほ)、累積(つも)りて嶋(しま)と成(な)る」淤能碁呂嶋(おのごろしま)だ。これは男女の営みの喩えとする説もあるが、あくまで「嶋(しま)と成(な)る」のであり、「唯(ただ)意能碁呂嶋(おのごろしま)のみは、生(う)みませるならず」と注記される。イザナギはオノゴロシマに降りてから、「國土(くに)生(う)み成(な)さむ」とイザナミを誘(いざな)われる。この微妙な移り変わりに鹽が関わるのが興味深い。(つづく)