みょうがの旅    索引 

                    

 みょうがの旅 10 ── おしほい 4
 (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)7月1日第363号)


●前号では『古事記』における用字と訓みが当て字などではないことを、「成」と「生」の字を例に、「成(な)りませる」、「生(な)りませる」、「生(あ)れませる」、「生(う)みませる」という表現を通して窺われることを指摘した。さらに用字と訓みの組合わせが変化するときは、一旦従前の字を残して訓みを換え、また訓みを残して字を換えるという、承前を原則としていることにも気づいた。そしてこの組合せの最初の変化の契機となる箇所が、鹽(しほ)が積もって嶋と成ったオノゴロシマであった。
 次に組合せが変わるのは、イザナギ・イザナミ二神の共同の「みとのまぐはひ」によりカグツチまで「生(う)みませる」後、今度はイザナミ単独の嘔吐物からカナヤマビコ・カナヤマビメ二神が「生(な)りませる」と書かれ、その直後のハニヤスビコ・ハニヤスビメ二神以降は「成(な)りませる」との表記になる箇所である。共同の営みによって「生(う)みませる」のではなく、単独の排泄物から「なりませる」のだが、字は従前の「生(う)みませる」の「生」の字を残して「生(な)りませる」と訓み換え、その後にはじめて「生」を「成」に字を換えて「成(な)りませる」神々が続いていくのである。この訓み換えの契機はカグツチの出産であるが、カグツチを火山の溶岩=マグマの象徴とすると、ここで再び鹽が関係してくるのが興味深い。葉室(はむろ)賴昭(よりあき)元春日大社宮司の著書『神道 夫婦のきずな』には縄文時代からの知恵である漬け物の話題の中で、「塩というのはマグマが海中に出てできたものです」とある。カグツチも鹽と関わり深い神なのだ。福岡市西区愛宕山の愛宕神社で七月と一二月の一日に行なわれる「御潮井受け」神事の重要さが、少し分かってきた。
●イザナミのカグツチ出産の次に用字と訓みが大きく変わるのは、黄泉(よみ)の国から戻ったイザナギの「竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばなの)小門(をど)の阿波岐原(あはぎはら)」と「中瀬(なかつせ)」での禊祓の場面である。ただしここで再び前号でうっかりミスを犯したことをお詫びせねばならない。即ち、∧イザナギの川中の禊祓、アマテラスとスサノヲの天安河の誓約で「成(な)りませる」神々はまた「生(な)りませる」、「生(あ)れませる」とも∨と書き、さらに∧川中での禊祓と天安河での誓約で「成(な)りませる」神々は、別段で「生」の字に換えて「生(な)りませる」、さらには「生(あ)れませる」と訓む∨と続けた。しかし、これらの箇所では「川中」という言葉が不要で、誤解を生むことになるのを、発行済みの前号を手にして気づいた。
 正しくは、イザナギの禊祓は「阿波岐原」で「身(みみ)に著(つ)ける物(もの)を脱(ぬ)ぎうてたまひしに因(よ)りて、生(な)りませる神(かみ)」と、その後はじめて「中瀬」の川中で「御身(みみ)を滌(そそ)ぎたまふに因(よ)りて生(あ)れませる者(かみ)」とに分かれる。つまり「成(な)りませる」神々が、別段で前者は「成」から「生」へ字を換えて「生(な)りませる」神々と総括され、それが後者になると「生(あ)れませる」と訓みも変わるのだ。
 ここで注目されるのは、またもや鹽が関わることだ。水中の禊祓では、わが国の海=潮水の神々の代表格ともいえる綿津見(わたつみ)三神と住吉(すみよし)三神が、交互に一柱ずつ双子のように「成(な)りませる」(「生(あ)れませる」)。ただし、その場所は海の中ではない。「中瀬(なかつせ)」と呼ばれる、上流から流れてきた淡水と、河口から押し寄せてくる潮水が適度に、複雑に交わる、あくまで川の中である。
 福岡市博多区住吉の筑前一之宮住吉神社の名越(なごし)大祭には果たして、福岡平野を貫流する那珂(なか)川の淡水と博多湾の潮水が交わり合う、住吉橋が掛かる所で斎行される川岸祭がある。那珂川の名称にも、伊邪那岐大神が禊祓の場所に選ばれた「中瀬」の含意があると思う。このような場所、即ち汽水域は大(おお)祓詞の(はらえのことば)中にも出てくる。「荒潮(あらしほ)の潮(しほ)の八百道(やほぢ)の八潮道(やしほぢ)の潮(しほ)の八百會(やほあひ)に坐(ま)す速(はや)開都比賣(あきつひめ)と言(い)ふ神(かみ)」とあるとおりだ。
●綿津見三神と住吉三神の直前にイザナギの「汚垢(けがれ)に因(よ)りて成(な)りませる」ヤソマガツヒ、オホマガツヒ、カムナホビ、オホナホビ、イヅノメ五柱のうち、カムナホビ、オホナホビ、ヤソマガツヒの三神は福岡市中央区天神の警固(けご)神社で警固大神として祀られる。御神名は神功皇后の朝鮮親征で軍衆=水軍を警固(けご)されたことに由来するが、水軍自体もかつては警固衆(けごしゆう)とも呼ばれていた。
 警固大神は博多古図(はかたこず)に描かれる博多湾の「筑紫石」のほとりに影現されたと伝わる。毎年四月三日に斎行される筑前一之宮住吉神社の潮干祭(しほひさい)の御神幸も、往時は「大築石(おおちくし)・小築石(こちくし)」(=筑紫石)と「荒津」(福岡市西公園周辺)を経て、「若宮」(福岡市中央区今泉周辺)を頓宮とする船神幸だった。この地には若宮神社(豊玉姫命一柱)が正徳三年(一七一三)に遷座される(創祀地は荒津の近くの舞鶴一丁目)。そして若宮神社の近くに鎮座する警固神社の相殿に建角身(たけつぬみ)神と豊玉姫命も祀られる。警固大神と住吉大神との関係の深さが、ここにも感じられる。
 では伊邪那岐大神が「中瀬」に入られる前に「脱(ぬ)ぎうてたまひしに因(よ)りて生(な)りませる神(かみ)」一二柱(とをまりふたはしら)はどうか?実はここを避けて進みながら、前号の誤解を生む表現に陥った。困難を安易に避けるなとの戒めと受け止め、改めて禊祓の地に向かおう。(つづく)