みょうがの旅    索引 

                    

 みょうがの旅 11 ── おしほい 5
 (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)7月15日第364号)


●『古事記』の中で、黄泉(よみ)の国から逃げおおせられた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が「竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばなの)小門(をど)の阿波岐原(あはぎはら)」にて「身(みみ)に著(つ)ける物(もの)を脱(ぬ)ぎうてたまひしに因(よ)りて、生(な)りませる神(かみ)」十二神(とをまりふたはしら)は次のとおり

 杖 → 衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)
 帯 → 道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)
 裳 → 時置師神(ときおかしのかみ)
 衣 → 和豆良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ)
 褌(はかま)→ 道俣神(ちまたのかみ)
 冠 → 飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ)
 左手纏(たまき)→奥疎神(おきざかるのかみ)
 左手纏→奥津那藝佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ)
 左手纏→奥津甲斐辨羅神(おきつかひべらのかみ)
 右手纏→邊疎神(へざかるのかみ)
 右手纏→邊津那藝津毘古神(へつなぎさびこのかみ)
 右手纏→邊津甲斐辨羅神(へつかひべらのかみ)

 正直なところ、浅学非才の筆者には想像もつかない神々もいらっしゃる。表面的な整合性を繕うための無理な論考は慎まねばならないが、前号で反省したうっかりミスは、困難を安易に回避しようとしたことへの戒めと受け止めた以上、今できる範囲のことはするのが禊祓である。もちろん、禊祓がこの一頁でとうてい済むものでもないことぐらいは容易に察せられる。
 しかしその前に、これらの神々が生りませる「阿波岐原」とはどこかという議論について一言断っておこう。研究書の類をあまり読んでいない筆者は、とりあえずインターネットで検索すると、宮崎県の小戸神社や江田神社がよくヒットする。また、しばしば「アワ」や「オド」の音が含まれる地名も比定地として散見される。本稿で何度も触れている福岡市西区の小戸妙見神社の鎮座地も、伊邪那岐命が禊祓をされた場所と伝わる。このテーマは「おしほひ」の枠から大きくはみ出るので、別途愚考を述べることにして、今は各地のいろんな伝承をそのまま受け入れていくのが「みょうがの旅」だと申し上げるに留めておこう。
●さて、伊邪那岐命の禊祓で最初に生りませる衝立船戸神は、舟を繋留するために河口付近に打ち込まれた杭の神だろう。因みに、福岡市の小戸には十郎川の河口があり、その河口に現在はヨットハーバーがあるのも神計らいだろうかと、参拝の度に思うのである。 道俣神はしばしば道路の分岐点に祀られる塞神、道祖神とされるが、水神、海神の宗像大神は道主貴(みちぬしのむち)とも申し上げるので、「道」とは陸路のみならず、河川の流路や海路、潮流でもあり、それらの分岐とも関係する神格と考える。
 そう考えると、同じく「道」が含まれる道之長乳歯神も河や海に関係するだろうか?『日本書紀』では長道磐神(ながちはのかみ)と表記されるが、河の中に河筋に沿うように横たわる長い石または中洲だろうか? 河水の流れは石や中洲に当たると一旦割れ砕けて、再び合流する。
 或いは海の側から河口を覆うように長々と延びる築石の堤防だろうか? 堤防は陸と河口側の海水の動き、潮の流れを穏やかに変化させ、河口に遡上する海水の勢いも抑えられ、河口付近の海水と淡水が適度に交わるようにする、つまり汽水域かそれに近い場をつくるのではないか。
●大祓詞(おほはらへのことば)に次の一節がある。

 荒潮(あらしほ)の潮(しほ)の八百道(やほぢ)の八潮道(やしほぢ)の潮(しほ)の
  八百會(やほあひ)に坐(ま)す速開都比賣(はやあきつひめ)と言(い)ふ神(かみ)
   持(も)ち加加(かか)呑(の)みてむ

「持ち加加呑みてむ」とは「噛み砕いて呑み込んでくださるだろう」という意味だと思うが、河水(それに、河水が海に持ち運ぶ物)と海水がよく交じり合うように噛み砕く様が、堤防のような長乳歯=長道磐という御名にはあるのではないか。しかしこの噛み砕かれる場では、新たな神々も生まれる。『古事記』で速秋津日子(はやあきづひこ)・速秋津比賣(はやあきづひめ)の二神が「河海(かはうみ)に因(よ)りて持(も)ち別(わ)けて生(う)みませる」のは、沫那藝(あわなぎ)、沫那美(あわなみ)、頬(つら)那藝(なぎ)、頬那美(つらなみ)、天之水分(あめのみくまり)、國之水分(くにのみくまり)、天之久比奢母智(あめのくひざもち)、國之久比奢母智(くにのくひざもち)の八神。「持ち別けて」とは大祓詞の「持ち加加呑みてむ」に通じるものがあるようだ。そして「生みませる」これら八神の御名もナギやナミ、水分、クヒなど、河口付近の河海の様子を想起させる。速秋津日子・速秋津比賣の二神が水戸神(みなとのかみ)とも書かれるので当然だろう。水戸は「みと」とも訓まれるが、「みとのまぐはひ」で國生み、神生みをされる伊邪那岐・伊邪那美二神の御名のうちのナギとナミが、水戸神=速秋津日子・速秋津比賣二神の子神の御名にも含まれるのが注目される。
 「みとのまぐはひ」では伊邪那岐・伊邪那美の二神が天之御柱(あめのみはしら)を間にして一旦別れ、男神は左へ、女神は右へ各各廻り、再会して誘(いざな)い、誘(いざな)われた後に國生みと神生みが始まる。水戸神=速秋津日子・速秋津比賣二神の神生みが、「持ち別けて生みませる」と表現されるのも、親神たる伊邪那岐・伊邪那美が各々然るべき方向に一旦別れて再会する「み(な)とのまぐはひ」に通じ、その過程で生みませる本州(ほんしゆう)が大倭(おほやまと)豊秋津嶋(とよあきづしま)と呼ばれ、水戸神の別名の「秋津」が含まれることにも、二組の神々の強い関係性が感じられる。
 ここまでみても、伊邪那岐命の禊祓で、「成(な)りませる」と同時に「生(な)りませる」とも表記される神々も、やはり河海の相互作用、つまり鹽に関係することが窺われる。(つづく)