みょうがの旅    索引 

                    

 みょうがの旅 12 ── おしほい 6
  (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)8月1日第365号)


●伊邪那岐大神(いざなぎのおほみかみ)の阿波岐原(あはぎはら)での禊祓により成(な)り(生(な)り)ませる神々のうち、衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)、道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)、道俣神(ちまたのかみ)もまた鹽(しほ)に関わると気づいてきた。次に左手の手纏(たまき)に成りませる奥疎神(おきざかるのかみ)、奥津那藝佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ)、奥津(おきつ)甲斐辨羅神(かひべらのかみ)、また右手の手纏に成りませる邊疎神(へざかるのかみ)、邊津那藝佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)、邊津甲斐辨羅神(へつかひべらのかみ)についても、今できる範囲で考えてみる。
 前の三柱の御名には、渚=那藝佐が沖(奥)へ遠ざかり、貝がひらひら(辨羅)と波に遊ばれる、干潮の様子が思い浮かぶ。逆に後の三柱は、渚が浜辺(邊)へと遡り、その邊で貝がひらひらと波に遊ばれる満潮の様子が思い浮かぶ。甲斐辨羅に貝を連想するのは、この六柱の神々が手纏に成りませるからで、手纏とは古代の貝製の腕輪だろうからだ。しかも、左の手纏に成りませる前の三柱が干潮に関わるとすると、ヒダリのヒは干潮(ひしほ)の干(ひ)の音に対応し、右(みぎり)の手纏に成りませる後の三柱が満潮に関わるとすると、ミギリのミは満(み)ち潮(しほ)の満(み)の音に対応する。
 疎(さかる)は渚が沖へ遠ざかる、または浜辺に遡(さかのぼる)るの音にも通じる。両手の手纏に成りませる六柱の神々のご神徳は潮汐に通じるものと考えている。
●潮汐はおよそ一定の時間を置いて繰り返される(約一二時間二五分)。そしてほぼ一定の時間ずつずれていく(一日に約五〇分)。ならば、時計のない時代は、太陽、月、星の動きだけでなく、天気に関わらず観測できる潮の満ち干も、時間を計る物差しだったのだろうか。福岡県糟屋(かすや)郡新宮(しんぐう)町湊(みなと)の磯崎鼻(いそざきばな)という岬に箱瀬(はこぜ)と呼ばれる、比較的小さな石が敷き詰められた小さな池があり、中央に箱のような大岩がある。この池は海と繋がっているため、池の水位は潮の満ち干によって変化する。大岩に対する水位の変化で潮汐の移り変わりが観測できるならば、時間の流れをも計ることができる。新宮区の氏神の磯崎神社のご祭神(大己貴命、少彦名命、素盞嗚命の三柱)が神無月に出雲大社にお出かけになられた帰途は難儀され、近くの新宮町相島(あいのしま)付近で日没となり、途方に暮れていらしたところ、しばらくして鶏の鳴き声が聞こえたので、それを頼りに船を進めると磯崎鼻の箱瀬の大岩に辿り着き、導いてくれた鶏に感謝された、という伝説がある。一般的には夜明け=新しい一日の訪れを知らせる鶏鳴が、ここでは暗闇の中の水先案内となる話は、日月星辰の見えない悪天下でも時間の流れを示す、箱瀬らしい伝説ではないか。
 この箱瀬と相通じるような場所が、伊邪那岐大神の禊祓の霊地と伝わる福岡市博多区の筑前一之宮住吉神社にもある。本殿からまっすぐ延びる参道から一の鳥居を出て、公道を隔てた池の中の小島に天津(あまつ)神社(伊弉諾大神(いざなきおおかみ))が祀られる。この池は汐入(しおいり)の池とも呼ばれるので、往時は小島に対する水位よって潮の満ち干や時の流れを計ることができたのではないかと想像する。池中の小島は、上部が締まり、裾が広がった裳(も)(男性の礼服(らいふく)で、表袴(うえのはかま)の上に着用)の形にも通じるのであろうかと妄想をたくましくする筆者は、御裳(みも)に成りませる時置師神(ときおかしのかみ)もまた、潮汐に関わる神格と考えている。
●伊邪那岐大神の穢れた御衣(みけし)に成りませる和豆良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ)は『日本書紀』では煩神(わづらひのかみ)と記され、煩悩の煩の字が用いられる。確かに、衣服を買う際に店内を見て回りもせずに、最初に目についたものを、迷いもせずに買うほど煩悩の少ない人はあまりいない。いくつか仮に選んだ候補のうち、どれが良いか比べるのが普通だ。和豆良比能宇斯能神の御名に良と比の字が用いられているのも興味深い。衣は煩悩が寄りつき易い物の代表格なのだろうか。大祓で用いられる人形(ひとがた)も、衣を着た人の輪郭をしている。
 太宰府天満宮のご祭神、菅原道真公にまつわる伝説にも「衣」がよく登場する。大宰府を目前にして、長旅で汚れた衣を着替えられた地に衣掛(きぬかけ)天満宮が鎮座する。自らの潔白を天に訴えられた天拝山(てんぱいざん)の麓には、身を清めるために衣を掛けられた「衣掛(ころもか)けの岩」という大岩が祀られる。太宰府天満宮で春と秋の夜に斎行される更衣祭(こういさい)は、ご祭神だけでなく、境内すべてのものの衣替えと位置づけられるほど重要だ。
 伊邪那岐大神が衣を投げ棄てられたのも、穢れた衣を取り替えるためや、水の中に入るためだけではないだろう。ワヅラヒは、濁点を外し、ツをスに変えるとワスラヒ(忘らひ)となる。現代仮名遣いならば、違いは濁点だけだ。問題や困難、病気などの禍に直面しても、それを忘れている間は悩むこともない。恨みや嫉妬などの嫌な感情も忘れてしまえば、どうと言うことはない。「問題」だと思うことも、他人からすれば「問題」ではなかったりする。つまり何らかの事態も、問題視しなければ、あるいは忘れてしまえば「問題」ではないのだ。難病や障害を抱えていても、健常な人より明るく前向きに生きている人たちも少なくない。視点を少し変えるだけで、禍も禍でなくなる。禍=ワザワイが幸=サイワイに転ずるにはもっと努力がいるが、濁点を取れば、現代仮名遣いながらどちらも同じ文字で構成される言葉であるのは、意味深長に思われる。(つづく)