みょうがの旅    索引 

                    

 みょうがの旅 16 ── おしほい 10
  (世界戦略情報「みち」平成24年(2672)10月15日第369号)

●福岡県糟屋(かすや)郡新宮(しんぐう)町の北西から東南に長く延びる町域が、玄界灘に面した北西の磯崎鼻(いそざきばな)から東南の立花山(たちばなやま)や中腹の六所(ろくしよ)神社及び獨鈷寺(とつこじ)とを結ぶラインを基本軸としており、それは磯崎鼻からすると冬至の朝に立花山の上に一陽(いちよう)来復(らいふく)の日に向かう方角でもあり、『古事記』に「竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばなの)…」とある伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の禊祓の場に通じることに前号で気づいた。しかも、その日(ひ)吉(よ)しの線上に位置する人丸(ひとまる)神社の由緒に促されて地図上でこの線をさらに東南へ延長すると、奇しくも九州の東海岸で大分と宮崎の県境、即ち豐國(とよくに)と日向國(ひゆうがのくに)の国境に至る。即ち、筑紫國(つくしのくに)の新宮町の中で、一年間の陰気が極まる冬至の朝、立花山の上に立ち昇る一陽来復の日に向かう信仰心は、九州=筑紫嶋(つくしのしま)における日向(ひむか)にも通じる。
 伊邪那岐命も陰気極まる冬至の朝日に向かって禊祓をされたのか?愛する伊邪那美命(いざなみのみこと)の死をもたらした自らの子神、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を悲しみと怒りのあまりに斬り殺し、死後の伊邪那美命を黄泉國(よもつくに)まで追い求め、黄泉(よみ)返(がえ)らせようとされたのに、その伊邪那美命との約束は破ってのぞき見し、変わり果てたお姿に驚き、今度は亡き妻の怒りに恐怖のあまりあの手この手でこの世に戻ってこられる。その上この世との境の黄泉比良坂(よもつひらさか)で喧嘩別れまでされる。福岡県神社庁発行の『神社廳曆』では「悲嘆の末禁忌を破ったことと、腐敗する遺体に対して、自分が感じた感覚」がこの場合のケガレと解説される。
●仮にケガレを陰気に喩えると、最初の水蛭子(ひるこ)と淡嶋(あはしま)を除いては、次々と国土と神々をお生みになったことは、成功の連続とも、陽気が増していったとも言いうる。ところが、迦具土神の出産と伊邪那美命の死によって、陽気極まる中に陰気が生じる。人生も仕事も他の営為でも、順風満帆のいわゆる右肩上がりの成長のままとはいかない。どこかの時点で必ず下り坂に直面する。それと同じように、陽も極まれば陰に転じるのが自然の摂理なのだろう。しかも成長が大きければ大きいほど、連続すればするほど、急であればあるほど、反動も大きく、長引き、急激なのだろう。下り坂も先行き不透明のまま暗さが増していくと、不安が妄想を生み、妄想が過ちを増やし、不安を強める。こうして気枯(けが)れは加速度的に進む。
 伊邪那岐、伊邪那美の二神も国生み、神生みの成功が連続しすぎたのか、下り坂も急激で黄泉國にまで至る。伊邪那美命は身罷り、伊邪那岐命も黄泉國に行き、さらに罪穢れを重ねられる。
 だが、あくまでこの世に生きて自らの努めを遂行する御意志があったが故に何とか戻られて禊祓いも可能となる。これは、臨死体験した人の生き方が大きく変わることを想起させる。それは、この世で生きることが魂の修行となる、との天童竺丸氏の考えや、水、鹽、米の基本的な神饌が生命維持に不可欠なものの象徴と同時に禊祓の象徴でもあると本稿で気づいたことにも通じる。逆に言えば、冥界の霊魂は禊祓や修行はできず、生者から祀られ、供養されなければ鎮まり、成仏することができないという示唆でもあろう。自殺者が多い現代には極めて重要な点である。
●禊祓の場である阿波岐原(あはぎはら)は、河海の接する水戸(みなと)=河口付近の葦津(あしづ)原や秋津(あきづ)原に通じるのではないかと前に述べた。そして、葦津原の干潟が干拓されて田畑となり、特に葦に似ていると思われる水稲は秋に実る。神仏祖霊に感謝しつつも、つい喜びが過ぎて、水戸神(みなとのかみ)の速秋津比賣(はやあきづひめ)=速開都比賣(はやあきつひめ)のような大口を開けて秋の実りを加加(かか)と呑(の)み込んだり、開囓神(あきぐひのかみ)と同音の飽食(あきぐ)いをしていると、いつしか日照時間はどんどん短くなっていき、やがて冬至となる。
 稲作も陰陽二気の観点からみると、陰陽相半ばする春分からしばらく後に育苗が始まり、田植えを終えると夏至となって陽気が極まる。その直後から陰気の伸長が始まるが、稲の実りと収穫は再び陰陽相半ばする秋分前後になり、そこで人間の喜び=陽気は極まる。人間の感覚が周囲の陰陽二気の実態とはズレているのが興味深い。それ故か、冬至を迎えるのは急速に感じる。が、冬至のおかげで人間は陰陽二気の実態と感覚のズレを調整する機会を得る。記紀神話で稲作が最も尊ばれるのは、陰陽二気の変化と稲作と人とのこのような相関関係が意識されてもいようか。
「仕事での成果」や「人生の成功」などは一般に賞賛や憧れの対象となるが、本来「成果」や「成功」も陰陽が混交しており、それらの「陽」の裏には、他者の支えや犠牲(ライバルの敗退や脱落なども含む)という「陰」の側面が必ず伴う。陰陽のどちらか片方に傾きがちな心と実際のズレを顧みて自己を見つめ直す意味も、神仏諸霊の祭祀供養や禊祓にはあると思う。
 国生み、神生みの犠牲となられた愛妻を追い求めた黄泉國から伊邪那岐命が戻られた時が、季節では陰気極まる冬至に当たるならば、禊祓の結果、日神の天照大御神はじめ三貴子(みはしらのうづのみこ)を得た喜び=陽気の感情は、極まる陰気を意識した人々が禊祓と祭祀を重ねつつ冬至を迎えると、果たして東南からの日の出が一転して早まり、陽気の伸長を認める喜びにも通じる。これは苦境克服のヒントでもある。(つづく)