みょうがの旅    索引 

                    

 みょうがの旅 21 おしほい 15 昨年のまとめ
       (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)1月15日第374号)

●『古事記』に語られる伊邪那岐命の禊祓の場について、前号まで筆者の故郷である福岡県糟屋郡新宮町の中で考察してきた。それは、「竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばなの)小門(をど)の阿波岐原(あはぎはら)」の橘に、新宮町の立花山が言霊で重なることに注目したからだ。そして、橘と立花山との重なりを介して、立花山に関係する信仰の場が、禊祓の信仰の場に通じるのではないかと考え、阿波岐原に成りませる神々と新宮町内の地形や地名、神社仏閣との関係をみてきた。新年最初の本号では今までの内容を整理しよう。

 禊祓の場との対応
   一、竺紫……筑紫……福岡県
   二、日向……冬至の日の出を磯崎鼻から立花山の上に拝む方向に日向國あり
   三、橘………立花山…タチバナの言霊
   四、小門……立花山から磯崎鼻に流れる湊川(縄文・弥生時代は入り江)の河口=水戸(みなと)、
           即ち海への小さな門
   五、阿波岐原……湊川の特に河口付近に葦が密生する葦津原(汽水域の干潟)

 *湊……水戸……水戸神=速秋津日古神(はやあきづひこのかみ)・速秋津比賣神(はやあきづひめのかみ)
……湊川の葦津原……水戸の秋津原……小門の阿波岐原に通じる

 禊祓で成りませる神々との対応
  ア、衝立船戸神(つきたつふなどのかみ………湊川の河口に船を係留する杭
  イ、道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)……湊川の中の細長い石または河口を囲み覆う堤
  ウ、時置師神(ときおかしのかみ)……磯崎鼻の箱瀬という池の中の大岩(ほぼ一定時間で繰り返される潮
    の干満が大岩に対する水位で観測され、時間の経過も観測可能。磯崎神社の神々が出雲からの帰途
    の暗闇で鶏鳴に導かれて辿り着かれた場所)
  エ、和豆良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ)……物実の御衣(みけし)は煩悩、執着の起こり易い物の
    象徴
  オ、道俣神(ちまたのかみ………湊川と周辺水路の分岐
  カ、飽咋能宇斯能神(あきぐひのうしのかみ………湊川河口付近の葦津原の干拓地の田畑の秋の実りに、
    喜び過ぎて飽食に陥りがちな穢れ
  キ、奥疎神(おきざかるのかみ)、奥津那藝佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ)、奥津(おきつ)甲斐辨羅神
    (かひべらのかみ)……干潮に関わる神々
  ク、邊疎神(へざかるのかみ)、邊津那藝佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)、邊津(へつ)甲斐辨羅神
    (かひべらのかみ)……満潮に関わる神々

 以上のことから、阿波岐原は、川と海の接点にある葦津原に通じると考えてきたが、そこは潮の干満の影響を強く受ける場でもあり、それは阿波岐原に成りませる神々の御名にも窺える。
●潮の干満の働きを陰陽の働きに喩えると、伊邪那岐命の禊祓の契機はこうだ。伊邪那美命との男女=陰陽の営為によって数多の嶋々と神々をお産みになるが、突如として火之迦具土神が誕生して伊邪那美命は身罷り、伊邪那岐命も黄泉國(よもつくに)へ往還される。成功の連続=陽気の極みから陰気の極みへの急転ともいえる。しかし、禊祓の末に最終的に太陽神の天照大御神を始めとする三貴子(みはしらのうづのみこ)を得られたことが、一年の内でも陰気極まる冬至に一陽が生じる一陽来復の信仰に通じると考えた。それは前述のとおり、新宮町の磯崎鼻と新宮海岸の接する辺りから冬至の日の出が見えるのが立花山の方向だろうと仮定して、この方向軸を延長すると、九州の東海岸で大分県と宮崎県の県境、即ち日向國に到達することにも符合する。橘と立花山の間にはやはり、言霊の働きが認められるのだ。
●伊邪那岐命の禊祓は、死後の世界の黄泉國から現世(うつしよ)に戻られた後のことなので、生きること自体が禊祓、即ち魂の修行ではないかとも考えた。禊祓には水や鹽が用いられる。福岡県の特に玄界灘沿岸地方では「おしほい」=海水に洗われた真砂を用いる信仰がある。
 水と鹽は米とともに最も基本的なご神饌でもある。それらは、特に日本人にとっては生命維持に不可欠な要素の象徴でもある。ならば米や稲作自体にも禊祓の象意があるのではないかと考えた。すると、稲作は基本的に一年の陰陽相半ばする春分の頃に始まり、陽気極まる夏至を経て、再び陰陽相半ばする秋分の頃に収穫となることを知った。だが、自然界の陰陽が相半ばする秋に、収穫に対する人間の喜びという陽気の感情は頂点に達する。
 自然界と人間のこのズレが様々な問題を惹起する。しかも冬至に向けて日照時間が足早に短くなる気がするように、問題も次々と起き、怒りや悲しみ、不安など陰気の感情も加速度的に増大する。が、人間が自己と周囲の状態、その因果を見つめ直して陰陽を調え、「問題」と思われる物事にも新たな視点と対応で臨めば、「問題」は意外な形で新たな気づきや喜びをもたらす。
●一陽来復と稲作とのつながりはまた、磯崎鼻から冬至の日の出を拝む巽の方角の立花山に向かう途中の夜臼(ゆうす)貝塚で、籾痕が付いた縄文土器の夜臼式土器が発見され、その近くには稲荷神の母=大市姫命が祀られる高松神社があることにも顕れている。
 稲作の場は、稗作にも適する。それは、大市姫命の子で稲荷神の兄の大年神が、稗の神=日枝大神=大國主神の國造りを助けられることにも窺える。葦津原の汽水域の入り江に堆積した干潟の干拓地=葦原中國(あしはらのなかつくに)では、まず耐塩性の高い稗が作られ、そして大年=長い年月の降雨や灌漑の働きで塩分濃度が低下して稲作も可能となる。すると美味で精白の歩留まりも良い米が求められるようになるのは自然なことで、國譲り神話も生まれるのだ。以上が、これまでの概略である。(つづく)