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 みょうがの旅 22 おしほい 16 アマテラス
      (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)2月1日第375号)

●大國主神の國作りを助けられる大年神は「御諸山(みもろのやま)の上(へ)に坐(ま)す神(かみ)」(『古事記』)、即ち奈良の三輪山の神=大國主神の和魂(にぎみたま)=大物主神と同一視されるが、大物主神を祀る讃岐國の金刀比羅宮の鎮座地は入り江の奥の象頭山だとご由緒にある。また、これまで何度も触れてきた、大年神の母の大市姫命を祀る福岡県糟屋郡新宮町夜臼(ゆうす)の高松神社の鎮座地も太古は入り江の奥だった。
 生物相豊かな汽水域の遠浅の入り江に河川が運び込む土砂が堆積し、葦が密生すると、水質が浄化され、有機物の盛んな分解で肥えた干潟が形成され、葦原中國(あしはらのなかつくに)となる。大國主神の國作りの過程で土壌の塩分濃度が高いうちは耐塩性の高い稗作が中心だったと思う。大國主神を日枝大神とも申し上げるので、日枝は稗に通じると考えるからだ。
 稗は畑だけでなく水田でもできる。葦原中國が降雨や水田用の灌漑など淡水の影響を長年受けると、土壌の塩分濃度が漸次低下し、やがて稲作も可能となる。米は稗と比べると、美味で精白の歩留まりも良い。稗の精白に費やす労力は大変だそうだ。機械で精白も包装もされた商品の稗さえ、手に入れ調理することも稀な現代では想像しがたい苦労だったろう。その上、食糧の確保が現代よりはるかに不安定だった時代では、精白の歩留まりの差は、日常の胃袋に直結する問題だったはずだ。我々の先祖たちが稗よりも米を望んだのはやはり自然なことだった思われる。
 だが、米と生産の場が重なる稗は、米よりも厳しい環境に適応でき、稲田にも自生してくる。稲作ではこの自生する稗を「雑草」として取り除くことが、現代でも大変な作業だそうだ。このような稗と米との関係を背景とした、稗作から稲作への転換が、記紀神話に描かれる大國主神=稗の神から天孫=米の神への國譲りであろう。
●葦原中國で稲作を可能ならしめた主な要因が雨水と、それが地中を経て湧出する河川水とすれば、天照大御神を雨宝童子(うぼうどうじ)と同一視する神仏習合の発想は、自然の営みにも記紀神話の内容にも符合する。天照大御神は太陽神であらせられるが、太陽は海水も温め、水蒸気を発生させ、水蒸気は雲や雨となる。天照大御神の「天」は「海」とも謂われる。ならば、太陽神は空、即ち天(あま)(を)照(て)らし、また海(あま)(を)照(て)らすことで水蒸気と雲を発生させ、雨(あま)(を)垂(た)らす雨宝童子となるのだろう。
 太陽神天照大御神の御恵みたる雨水が、葦原中國の土壌を除塩し、稲作が可能になるには長い年月を要する。その年月の長さは、冒頭の大年神の御名に示される。長い年月もその実、太陽が昇っては沈む一日一日の積み重ねだ。このように天照大御神と大年神には相通じるご神徳があり、大年神も「海(うなはら)を光(てら)して、依(よ)り來(く)る神(かみ)」と、海(あま)照(て)らすご神徳が特記される(『古事記』)。
●海照らすご神徳が強調される神としては、宗像三神(田心姫神(たごりひめのかみ)・湍津姫神(たぎつひめのかみ)・市杵島姫神(いちきしまひめのかみ))も挙げられる。宗像大社神宝館には、田心姫神を祀る対馬海峡沖ノ島至近での日本海海戦で大勝した連合艦隊司令官の東郷平八郎提督が奉納した「神光照海」の扁額があり、湍津姫神を祀る宗像市大島の宗像大社中津宮(なかつぐう)の拝殿前の二基の朱塗りの灯籠の脚にも、この四文字が入っている。
 宗像大神も天照大御神と大年神に通じる神なのか?天照大御神と建速須佐之男命の誓約(うけひ)で生(あ)れませる三女神は、宗像大社の解説では天照大御神の子として伊勢神宮とのつながりが強調され、宗像大社は「裏伊勢」とも称される。
 再び神仏習合の視点で考えてみよう。天照大御神が雨宝童子として雨(あま)垂(た)らし給うと、その雨は地中を経て川水となるが、確かに宗像大神は天安河(あめのやすのかは)に成りませる神で、仏教では川の女神、弁才天と習合した。川の神が、雨垂らす伊勢の母神と共同で、日枝=稗の神の葦原中國を除塩して、天孫=米の神が豐葦原水穂國(とよあしはらのみずほのくに)を知ろしめす環境整備に寄与される。天に坐す天照大御神と地に坐す宗像大神の表裏一体性は、弁才天信仰で有名な琵琶湖の竹生島の最奥の高所に、雨宝童子の祠があることにも窺われる。こうしてみると、地上へ降られた「天孫(あめみま)を助(たす)け奉(まつ)りて、天孫(あめみま)に祭(いつ)かれよ」との天照大御神の宗像大神へのご神勅(『日本書紀』)や、「裏伊勢」の意味も少し明らかとなる。
 田心姫(『古事記』は多紀理毘賣(たきりびめ))が大國主神の妃となられるのも、川の女神が國土を潤し、大國主神の御魂を和(なご)め鎮められる示唆ではないか。似たようなご神徳は大年神にもある。大年神は、大國主神が國作りの協力者の少名毘古那神を失って絶望しかけた時に海を照らして希望の光をもたらされた。
●『古事記』には海照らす女も登場する。大國主神の祟りで物言うことができなかった本牟智和氣別命(ほむちわけのみこと)(垂仁天皇の御子)は、出雲に詣でて大神を拝まれて、ついに言葉を発せられたが、この後婚(まぐはひ)された肥長(ひなが)比賣(ひめ)の正体が蛇(をろち)と知ってお逃げになると、追いかける比賣もまた「海原(うなはら)を光(てら)し」たのである。
 どうやら大國主神の鎮魂とは、太陽がアマテラス(天照らす、海照らす、雨垂らす)ことで國土を潤す、自然の営みに通じるようだ。そしてこの過程に介在する三輪山の神も川の神も肥長比賣も蛇と関わり深い。(つづく)