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 みょうがの旅 24 おしほい 18 雨水
   (世界戦略情報「みち」平成25年(2673)3月1日第377号)

●白蛇を頭頂に載せるお姿もとられる弁才天と習合した宗像三神の総本社たる福岡県宗像市の宗像大社と、その一柱の市杵島姫命を祀る弁天神社がお守りくださる山口県岩国市の錦川中流域の白(しら)崎(さき)八幡宮が、どちらも川の淡水と汽水の境界域に鎮座されることは、十分に除塩された土地でないと難しい稲作と宗像大神=弁才天との強いつながりを想像させる。
 宗像大社では新穀収穫後、新嘗祭の他、一二月に新穀と特殊神饌を神人共食する古式祭、さらに一月にも前年末奉献の新穀をお供えして新年の豊作を祈念する献米奉告祭がある。
 また、日本三大八幡の一つ、福岡市東区の筥崎(はこざき)八幡宮(應神天皇、神功皇后、玉依姫命の三柱)の境外末社に宇佐殿(うさでん)(宗像三女神)があり、往時は米(よね)山(やま)弁財天と呼ばれていた。ご由緒の説明板には「この地にて神功皇后三韓出兵の際糧米(米俵)を山積みした故事による。その後弁財天様を祭りました」とある。米山の地に弁財天=宗像三神が祀られることになったのが興味深い。
 宗像大神は海の神でもあらせられる。かつて稲も海もヨナとも読むことから、稲霊(よなたま)は海を渡ってきた海霊(よなたま)でもあると考えたことも思い出す。
 米をヨネとも呼ぶことにも、米が海(よな)のもたらした稲(よな)の実であり、海を渡り来たものの中でも最も大切でありがたいものという、我々の先祖たちの気持ちがこめられているように思われる。
 海がもたらしたヨネはしかし、海水や塩性土壌では実らない。太陽で海水が温められ、雲となり、降雨や地中を経た川などの淡水が土壌を除塩し、さらに水田の中で稲を浸す必要がある。
 神話はこれを、太陽神の天照大御神が空=天(あま)と海(あま)を照らし、その結果発生する水蒸気が雲となり、やがて雨を垂らし、その雨が地中を経て主に川水となり、その川に天照大御神の子の三女神が生(あ)れませると語る。そして、天から地へ降られる稲の神の天孫を、地上で川の神として国土を潤し、和め鎮める形でお助けし、その為に天孫に祭られよ、との天照大御神のご神勅をいただかれる。このように宗像大神は海の神と川の神のご神徳をお持ちなのだ。
 右の過程は、天照大御神が天岩戸からお出ましになり、世の中が明るくなった後、高天原を追放された須佐之男命の降られる場所が出雲國と呼ばれ、その出雲國の肥河上(ひのかはかみ)でめぐり会われる櫛名田比賣(くしなだひめ)が、奇稲田姫とも書かれることにも通じる。ここにも、顕れた太陽が天と海を照らして水蒸気が発生し、それが雲、さらには雨、そして川水ともなり、土壌を和め鎮めて稲田ができるという自然の営みが反映されている。
 このように、稲作には川水を溜め池や水路を通じて水田に引く必要がある。兼業農家の知人が筆者に語ったところでは、稲の播種から苗作り、田植えというスケジュールは、いつ、どの水田の順番で水を田に引き入れるかという農家同士の話し合いですべてが決まる。稲作の中心たる水稲耕作の開始は田に水を引き入れるタイミングで左右されるのだ。川水が稲作の前提であることを再認識すると、川の神でもあらせられる宗像三姉妹神の長姉が、宗像大社では田心姫神(たごりひめのかみ)と申しあげ、また宗像大社の邊津宮(へつぐう)が宗像市田(た)島(しま)の鎮座地により「田(た)島(しま)様(さま)」と地元民から敬仰されている理由の一端が垣間見えてきた。
●筥崎宮の参拝所には明治天皇の御製が毎月一首掲げられている。平成二五年二月は次の一首であった──

くもりなき朝日のはたにあまてらす 神のみいづを仰げ国民

 そして「一点のくもりもなく天地を照らすあの朝日の光を象る日の丸の旗、太陽のごとく万物をてらしいつくしみ育てられる天照大神の霊徳を国民みな仰いで日々を明るいこころで生きてゆきたいものである」と解説があった。
 しかし同時にまた、清らかな朝日がはた(=畑や土(はに)田(た))に天照らす→海照らす→雨垂らす神の水(=雨水や地中を経ての水(み)出(い)づ)を仰いで生きてゆきたい、とも思われた。天照大御神のご神徳の広大さに思いを巡らせていると、御製をみだりに忖度するのは畏れ多いものの、こうした想念が浮かんだ。
 筥崎宮の境内には、さざれ石の碑もある。碑文には「…学名を石灰質礫岩と云い永年の間に石灰質が雨水で溶けて生じた粘着力の強い乳状液が小石を凝結して次第に巨岩となり苔むす」とある。ならばさざれ石もまた、太陽が天照らして海照らす、そして雨垂らすご神徳の賜物であり、天皇家とわが国に譬えられるのもそれ故ではないか。
 筥崎宮と宇佐殿に今年の正月以来久しぶりに参拝したのは、二月一八日乙卯、陰暦で睦月九日の初卯、二十四節気では雨水の初日。福岡市は奇しくも霧雨や小雨が終日静かに降り続いていた。今まで何度も目にしてきたさざれ石の傍を足早に過ぎ去ろうとした筆者を何が思い止まらせたのかはわからない。「雨水」の二字に目が留まった時はただ、境内に今しばらく佇み、四方八方から湧き出る雲から垂れてくる慈雨を仰ぎ、そのもっと高みに坐す天照大御神=雨宝童子の慈しみが、ひとしおありがたく感じられるばかりであった。(つづく)